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さいごに - 日常で役立つやさしいブッダの教え9

いかがでしたでしょうか。 難しく感じるかもしれない、仏教において、 じつはシンプルで実践的な内容が多いブッダの教えを分かりやすくまとめてみよう。 なにより、経典にそった形で、日常で実践しやすい内容にフォーカスをしてみよう。 そんな目的で、少しでも皆様のお役にたてればとまとめてみました。 仏教経典は膨大な内容ですので、まだ、加えられる事は沢山あるのですが、 あくまで、シンプルさを追求しつつ、 とはいえ、特に重要な部分はなるべく漏らさずしてみたツモリです。 これでも、内容が複雑に感じられる方は、 ブッダのラストメッセージ 「 もろもろの事象は変化し過ぎ去るものである。油断せず努力し続けなさい。 」 を思い出してみてくださいませ。 そして、より具体的にどうすれば?と感じたら、該当しそうな箇所を読み返してみてくださいませ。 もしくは、個別にご相談や質問も、 龍光ポスト にてお受けいたしております。 重ねてですが、ブッダは、あらゆる階級や立場の方に、 丁寧にやさしく語りかける方であったと、経典からもひしひしと感じます。 「人にやさしく慈しみの心を持つ」事は、 見返りあるなし関係なく、自分にとっても、 苦しみから離れやすくなる効果があると実感してます。 いろいろと、悩ましい事がある日常かもしれませんが、 ダイジョブですよ。 ぜーんぶ、 呼吸があって、 生命があるからこそ、湧いてでてくる意識です。 生きてる証拠です。 そんな、無責任な戯言で申し訳ございません。 ただただ、ここまでお読み頂いたみなさまが、少しでも、毎日において、 おだやかで、小さきことにも「おもしろいなぁ」「有難いなぁ」と 感謝と喜びを感じる時間が重なっていきますよう、と願っております。 小さきハゲボウズながら、そう、お祈りさせてくださいませ。 最後まで、お付き合いくださり、大変有難うございました。 龍光 ご興味があれば、下記 「 (補足)苦しみから離れるために、誰でもできる日々のオススメ by 龍光 」 「 (補足)仏教って、ややこしいモノなのじゃないの? 」 もご覧くださいませ。 —- 出典/参考 中村元 「原始仏典」 (ちくま学芸文庫)  中村元 「ブッダのことば-スッタニパータ」 (岩波文庫) 中村元 「ブッダの 真理のことば 感興のことば」 (岩波文庫) 中村元 「ブッダ最後の旅」 渡辺照宏 「仏教」(岩

呼吸に意識を向け、自己に意識を向ける - 日常で役立つやさしいブッダの教え8

長らくお付き合い頂きましたが、このパートが「日常で役立つ やさしいブッダの教え」の最後です。 それは、「呼吸」と「瞑想」についてです。 「瞑想」というと、なにやら、特別なモノのように聞こえますが、平たく言うと 「呼吸への意識を通して、自己への観察へ意識を向ける行為」 です。 この内容は、実際にブッダが語ったことかは議論がわかれますが、 様々な伝承が示すとおり、 ブッダは「瞑想」によって覚りを得たと考えられているので、 ここで紹介させて頂くにも良いのでは、と考えております。 ※ここではヴィパッサナー瞑想と呼ばれる瞑想について触れております。ここの内容は、初期仏教の経典では触れられておらず、少し後の仏教経典で語られているものです。 ただ、最初にお詫びしなくてはならないのは、 自分は瞑想について、必ずしも「分かっている」人間ではない可能性があると言うことです。 その前提にて、 自分なりにまとめた「瞑想について」という資料がありますので、 よろしければご覧くださいませ。 瞑想についてver0.2 by 小野龍光 この資料は、自由に活用頂いても全く問題ありません。 ただ、あくまで一人のハゲボウズの「感じるコト」でしかありませんのでご容赦くださいませ。 瞑想は、様々な欲や、偏りある自分本位の見立てに囚われがちになりそうな時、 自分を客観視する方法として、とても効果的と感じております。 そして、何より「呼吸」は、 おギャアの瞬間から、「息を引き取る」瞬間まで、 生きている限り、無意識でもずっとしてくれている、有難い存在。 心臓や腸など、他の臓器も、無意識で動いてくれているのですが、 呼吸は、実感できて、コントロールすらできる。 さらには、怒りや焦りや不安など、 心が乱れてきた時には、呼吸への変化に気づけることで、 心の乱れにも気がつけるようになる。 苦しまないためには、「思う通りにならない」という感情が芽生えた時に、 その苦しみが大きくならないうちに、流せることが大切。 一度、炎(囚われによる苦しみ)が大きくなると、消すのは時間がかかるのですが、ボヤのうちは、消しやすい。 呼吸への意識があると、息の変化により「思う通りにならない」と感じ始めに気が付きやすく、少し目を閉じて簡単な瞑想状態をおいて心を落ち着けたり、深呼吸するなどで、囚われを流す機会を得やすくなる。 呼吸を意識

苦しみから離れるために、日々できること - 日常で役立つやさしいブッダの教え7

苦しみを流し、離れていくために、日々できること。 その、より具体的な実践へと入っていきます。 最初にお伝えしますが、ここに書かれていることは、 何ら特別な内容に見えず、 極めて当たり前にも感じることばかりかもしれません。 以前ご紹介させて頂いたブッダのラストメッセージ 「 もろもろの事象は変化し過ぎ去るものである。油断せず努力し続けなさい。 」 の後半のパート「油断せず努力し続けなさい」にある通り、 「当たり前に聞こえるかもしれないけれど、それを続けていく事に意味がある」 その事を忘れずに、実際の中身に移っていきましょう。 ここでは、「苦しみから離れるために、日々できること」を - 言葉遣い - 行動 - 意識 の3つに分けてお話しさせてくださいませ。 まず - 苦しみから離れるために、日々できる「言葉遣い」 それは 「 ウソをつかず、悪口を言わず、声を荒らげず、優しい愛のある言葉を心がける 」 ※スッタニパータ143、148、159句 です。 道徳の基本のような、当たり前に思えるかもしれませんね。 でも、大切なのです。 ポイントとしては、 相手を自分の赤子のように、 ないがしろにせず、 慈しみ、 優しい愛のある言葉を心がける 、 という事です。 ここで言う「ウソ」は、自分の有利のため/保身のための「ウソ」を戒めてます。 相手を必要以上に傷つけないように、ウソが必要な時もあります。 でも、自分の有利/保身のために相手にウソをつくのは、 相手を貶めることになりかねません。 貶められた相手は、自分にどの様な感情を抱くでしょうか。 後に、こちらが不利になるウソを言い返されるかもしれません。 結果、自分にとって喜ばしくない状態を作ってしまうかもしれません。 そして、ウソをつくと、その罪悪感に苦しみがちです。 「あんなウソつくべきじゃなかった」と。 さらに、その後にウソをウソで塗り固める必要がでてきて、 ますます隠すのが苦しくなるかもしれません。 結局、自分のためにも、自分の利益や保身のためのウソはつかないほうが、苦しまずに済む。なので、 ウソはつかない 。 ※「ウソも方便」の「方便」は実は仏教用語です。ある気づきを伝えたい時に、ストレートに伝えても伝わりにくそうな時に、その気づきに誘導するよう別な内容を伝えるという手段を言います。この塩梅が難しいのですが、ポイントはあくまで