呼吸に意識を向け、自己に意識を向ける - 日常で役立つやさしいブッダの教え8

長らくお付き合い頂きましたが、このパートが「日常で役立つ やさしいブッダの教え」の最後です。


それは、「呼吸」と「瞑想」についてです。


「瞑想」というと、なにやら、特別なモノのように聞こえますが、平たく言うと


「呼吸への意識を通して、自己への観察へ意識を向ける行為」


です。


この内容は、実際にブッダが語ったことかは議論がわかれますが、

様々な伝承が示すとおり、

ブッダは「瞑想」によって覚りを得たと考えられているので、

ここで紹介させて頂くにも良いのでは、と考えております。


※ここではヴィパッサナー瞑想と呼ばれる瞑想について触れております。ここの内容は、初期仏教の経典では触れられておらず、少し後の仏教経典で語られているものです。



ただ、最初にお詫びしなくてはならないのは、

自分は瞑想について、必ずしも「分かっている」人間ではない可能性があると言うことです。


その前提にて、


自分なりにまとめた「瞑想について」という資料がありますので、


よろしければご覧くださいませ。



瞑想についてver0.2 by 小野龍光

この資料は、自由に活用頂いても全く問題ありません。

ただ、あくまで一人のハゲボウズの「感じるコト」でしかありませんのでご容赦くださいませ。


瞑想は、様々な欲や、偏りある自分本位の見立てに囚われがちになりそうな時、

自分を客観視する方法として、とても効果的と感じております。


そして、何より「呼吸」は、


おギャアの瞬間から、「息を引き取る」瞬間まで、


生きている限り、無意識でもずっとしてくれている、有難い存在。


心臓や腸など、他の臓器も、無意識で動いてくれているのですが、

呼吸は、実感できて、コントロールすらできる。


さらには、怒りや焦りや不安など、

心が乱れてきた時には、呼吸への変化に気づけることで、

心の乱れにも気がつけるようになる。



苦しまないためには、「思う通りにならない」という感情が芽生えた時に、

その苦しみが大きくならないうちに、流せることが大切。

一度、炎(囚われによる苦しみ)が大きくなると、消すのは時間がかかるのですが、ボヤのうちは、消しやすい。

呼吸への意識があると、息の変化により「思う通りにならない」と感じ始めに気が付きやすく、少し目を閉じて簡単な瞑想状態をおいて心を落ち着けたり、深呼吸するなどで、囚われを流す機会を得やすくなる。

呼吸を意識しながら

「こうあってほしい」という対象も、変化し過ぎ去る様々な事象でしかないと確認したり

確たる実体の無いものへの囚われから来ている感情にすぎないのでは、

と自己観察をする機会を持つ。

もしくは、呼吸を意識しながら、

ブッダの教えの実践項目を思い返す機会をつくる。


そうすることで、つい苦しみがちな日常でも、少しは苦しみを流すキッカケを持ちやすくなる。



実は、呼吸を意識すると、作業や勉強、仕事中において、集中力が増すと実感しています。


また、眠気がある時に呼吸に集中すると、眠気も少し散らせます。


鬼滅の刃の「全集中の呼吸・常駐」ではないですが、呼吸って、スゴい。



呼吸への意識は、さまざまな事を与えてくれる、超身近で便利なものと考えております。



日常で、呼吸を意識するのは難しいですが、


「息を忘れてないか?」「息(への意識)を失ってなかったか?」


と自分に確認する機会をもつだけでも、変わってくるのではと思っています。



ということで、次は「さいごに」です。

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