アメリカ最大級のホームレス地域を訪れて - 龍光ブログ

 アメリカ最大級のホームレス地域を訪れて - 龍光ブログ




「ロサンゼルスどこか見たい所はありますか?」

ロスでの講演にお呼び頂いた鶴亀さんのご好意に甘え、

全米でも最大級と言われるホームレス地域

"スキッド・ロウ"に連れていって頂きました。


少々ショッキングな内容も含まれますので、

事前にご了承くださいませ。
(写真は一切ありません)




そこへ訪れる前に、その地域のすぐ近くで

高齢者や路上生活者はじめ様々な方々への福祉活動を

50年以上に渡りされていらっしゃる

リトル・トーキョー・サービス・センターの

ビル渡辺さんやスタッフの皆様にもお話しをお伺いし

ホームレスが増えている現状を学ばせて頂きました。


「ホームレス生活は

努力が足りなかったり、ドラッグ中毒だったりという人がなるのではなく、

普通に働いている様々な方にも、ある日突然訪れうる」

という言葉には重みを感じました。


実際、寿司職人としてロスで長年の経験をつんだ日本人の方が、

コロナ禍で突然職場が無くなり、

ちょっとの英語力の手違いなどで、コロナ救済の書類に間に合わず

ホームレスになってしまう。

日常英会話ができても、政府へのコロナ救済への英語の申請書の提出に

突然対応するのは(その情報を手に入れるのも)簡単な事ではない。

日本人のホームレスも増えている、というお話しもされていました。


なぜホームレスが増えているのか?

そこで学んだことや、僕なりの薄っぺらいこれまでの知識をもとに

僕なりに理解したおおざっぱな背景はこんな感じでは、と。
(もちろん、これだけではなく、様々な原因が絡んでいると思ってます)



まず、アメリカ特有の状況としてローン(借金)大国という文化。

それにより、多くの方は貯蓄があまり無く、

自転車操業的な暮らしになる方は少なくない。


ローンは、学生の頃から始まっている。

アメリカでは実に4500万人の学生が借金(ローン)を抱えているそうです。

そして一生懸命学んで社会人になってローン返済を初めても、

コロナのように突然職を失うこともあれば

採用されても突然解雇は当たり前な国。


そしてアメリカでお金を借りるには

「借金の残高と、返済の履歴」が審査の重要なポイント。

例えば、車をローンで買いたくても、

これまで借金ゼロな人は

「ローンの実績が無い」ので審査が通らない。


結婚や車や家を持つなど、

生きていれば様々なイベントで時に出費も必要になりますが、

就職しても学生ローン返済で自転車操業の中、

ローンに手を出しやすくなる。

しかもローンがあることで、さらにローンが組める仕組みのため、

ライフステージが進むにつれ借金が積み重なりやすい。


そんななか

家賃や食費、医療費、教育費など、

さまざまな値段がどんどん上がっていく。

一方で、多くの方は給料は上がる訳ではない。


株価や仮想通貨など、

お金でお金を増やしたい人たちのマーケットには、

「さらなる膨張」を求める大量のお金が流れ込み、

金融市場はどんどん膨らんでいくため、

不動産市場もどんどんあがっていく。


不動産ファンドも、手持ちの資産を投資で膨らませたいので

次々と古いアパートのオーナーさんに

高いお金での買い取りを提案し

古いアパートの大家さんも、生活にかかる物価が上がっていく中で

高いお金を出す買い手がくれば手放したくなる。


ファンドなど、アパートの買い手は、

買ったマンションから、さらにお金を生み出したいので、

アパートをリノベーションし高い家賃で貸し出す。

そして、そこに住めるだけのIT業界や弁護士や不動産業界など

高給取りの方々が住みはじめる。


スキッド・ロウの近くにも、いよいよ地下鉄が"開発"されてやってくる。

そうすると、ますます高給取りの方も住みつきやすく流れてくる。


それらの方々はローン残高が多いとしても、収入も多いので、

いわば、回転できるお金の量も大きくなる。

つまり、金払いが良くなる。

なので、そのアパートの周りには、

高級なバーやレストランも増え、

売る側も金払いのよいお客さんを相手にしたがるので

様々な物価もつり上がっていく。


そして、コロナや解雇で一時的に収入が途絶えた人たちが

ローン返済で貯金もすくないため、

どんどんあがる家賃や生活費によって

すぐに立ち行かなくなり、ホームレスとなっていく。


こうして、

おしゃれにリノベーションされたラグジャリーなアパートのすぐ裏に

ホームレスの街がふくらんでいく。

そんな感じなのでは、と。



実際に訪れたスキッド・ロウは、

大通りの歩道にずらーっと並ぶテントのなか

ズボンがずりおちそうな格好で、昼間から路上で寝転がっている方々

汚れ破れた衣服をまとい、何やら怒りをぶつけるような声を

歯がほぼ無い口からよだれを垂らしながらお金を求めてくる女性

テントの中で何人かの人に見守られながらお金を数える屈強な男性

そしてそのテントで何かを待っている人の列

とても大柄な身体を揺すらせながら両手にお酒をもって楽しそうな女性

テントの脇に大きなスピーカーを置き

大通りに向けて大音量で音楽を流している男性

ウンチや汚れまみれの衣服や、時に注射針やらが転がっている路上。


ここは、なんだか、違う国なのだろうか。

映画やバイオハザードやグランドセフトオートのゲームの中のように

無法地帯なのだろうか。

そんな風に映る景色が、

ロサンゼルスのとても気持ちのよい青空の下、

きれいに花を咲かせる街路樹とともに広がっていました。


ここの地域で、ホームレスの方々を支援されていらっしゃる方いわく

この周りには、様々なNPOとして医療サービスを提供する団体もあるとのこと。

カリフォルニアではアメリカの各州で進む

マリファナ(大麻)の合法化は既に行われており、

それと共に非合法の麻薬(覚醒剤など)は当たり前にでまわっているそうですが、

お金がない方々に向け、

安価な質の悪い合成ドラッグも大量に出回っているそうです。


落ちた注射針で麻薬をつかうのは病気の危険があるので

清潔な注射針の提供をする施設や

ドラッグの接種による急変に対応する医療施設。

そういったものも、国や市民の支援もあり、存在しているそうです。



麻薬などせずに、日雇いでもよいので、働いて這い上がればよいじゃないか。

努力が足りてない!

それは、とっても正論です。


でも、多くの方が、経済的な困窮の前に、

心的な苦しみに苛まれ、

全うにお仕事につけるだけの自信や心の安定を持ててないのが現状だそうです。


ホームレスになっていく過程で

自信を大いにうしなったり、時に政治や経済へ失望したり

もしくは、親の虐待などで、そもそも心的にダメージを抱えていたり

その体験をしなければわからないような、苦しみが重なり

とても前向きになれないのかもしれません。


ただでさえ、経済的な不安や、精神的な追い込まれで苦しい。

そして、日々の生活も、衛生環境も悪く、ときに暑く、寒く

お腹もすいて苦しい。

女性に至っては、レイプなどのリスクも常にあり、

周囲では見た目も屈強で怖そうな方もいる。

奇声がきこえたり、ケンカがおきていたりもする。


そんな環境の中にいることで、ますます心の安定を取り戻しにくく沈んでしまう。


そこに、お酒や、安価に手に入るドラッグが出回る。

苦しい方々は、一時的にも楽になりたく、それらに手を出していく。

そして、中には、その沼にハマって中毒になってしまう。


ミャンマーの最貧困層といわれる集落でも、

竹だけでできた露天に、たくさんのお酒屋さんが並んでいました。


人は、そんなに強くない。

経済的な苦しさが、自信を失わせ、

世間的に「転落した」と見られる生活環境にいることで、更に自信を失い、

苦しみが増していく。

そんな中、一時の快楽のお酒やドラッグに手をだしてしまう。



一体、誰が非難できるというのでしょうか。

多くの人において、自分ですら、そうならない保証はないのではないか。



それは、世界経済Nol1で世界の警察と言われるアメリカでも

軍事政権下で貧困にあえぐミャンマーでも変わらない

人としての、自然な悩ましい姿なのではと思うのです。


ブッダは、他を頼らずに自分を頼れと仰られたそうです。

それは素晴らしい教えですが、それは既に心がある程度安定していて

少しの自信を持てている人でないと、とても難易度が高いのでは。


だからこそ、仏教の宗派である「なんまいだ(南無阿弥陀仏)」と念じ唱えれば救われる

といった浄土真宗や

キリスト教のように、この神を信じさえすれば救われる、という教えが求められるのも

浅はかながら、理解できるように思うのです。



スキッド・ロウの街角では

「神があなたを救う」と叫びながら、ビラを配っている方がおりました。

そのビラを受取り、その団体のことを後で検索してみたら

賛否両論のコメントが載せられておりました。

その宗教の団体が、どういう組織なのかは、ここで詮索も解釈もしません。


そして、近くの道路では「神があなたを救う」という大きな屋外広告がありました。

おそらく、ある程度高いお金を出さなければ掲載できないような

良い立地の大きな看板でした。

それだけのお金を出して広告をしている意図を詮索するもなく、しても益はありませんが、

広告を出すだけの効果 = 求めている方々 がいらっしゃるのを期待しているから

広告を出されているのでしょうか。

それだけの広告掲載費が、善意によって捻出されていることを願っています。



一方で、その街の一角にはキリスト教の教会があり、

その前の広場では多くの方々(比較的おだやかな雰囲気に見えました)が

暮らしていました。

その教会では、そこへ訪れうるホームレスの方々に

ご飯の提供などをしてくださっているそうです。

ただし、30分間、聖書の教えを聞きお祈りをすることが必要だそうです。

大変有り難きことです。


自分が「宗教」を語れるような人間ではないかもしれませんが、

"宗教"といっても、様々なのだと感じます。

マリファナが、医療用にも使われている一方で

時にドラッグ中毒の入口にもなりえるように。



さて、最後に少しホッコリなお話しを。


そんな街を歩かせて頂いた自分ですが、

できるかぎり多くの方に、もとめられなくても

両手をあわせ、笑顔で挨拶をしてまわっていました。


それに対して、何人もが、笑顔に挨拶を返してくれました。


時に道路で汚れた毛布にくるまって寝ている方や、

何かをわめきながらフラフラしている方でも、

ハゲアタマで黄色い衣姿の自分を見て

両手をあわせてお辞儀してくださる方が多くいらっしゃいました。


そして、お呼び頂ければ、その方の元へ参らせて頂きました。

正直、お酒がドラッグでハイなのか、何を仰っているのか

うまく聞き取れない事もありましたが、

どんな方でもお呼び頂ければ参ってお話しを伺わせて頂きました。


その中の一人、遠くから僕を大声で手招きして

僕を呼び寄せた女性の元に行ってみたら、

いろいろな事をお話しくださりました。


お子さんを奪われ、神を信じてきたけど裏切られ

いまこのような苦しい状況にいるのだが、

ここにアナタが来てくれてとても救われたと仰って頂きました。

正直、酔っていらっしゃるのか、

だいぶハイになっていらっしゃるようにも感じましたが

それでも、何か少し気持ちが前向きになって頂けたのなら

僕としても有難いですし、

その女性も、僕ではなくとも、新たな神であったり、

もしくは、他の何かかもしれませんが、何かに救いを求めているだけ

希望をもてていらっしゃる。

それは、とても有り難き事だと感じました。


また、お話しを伺ったあとに、

僕にハグを求めてくださった方もいらっしゃいました。


そして、上にあげた教会の前では、

イスラム教の男性から声を掛けて頂き

瞑想について質問頂き

「自分は瞑想が何かを分かってはいない人間ですが…」とお断りしつつ

お話しさせて頂いたら、とても喜んで、

赤ちゃんとともに手を振ってくださいました。


見た目や行動では、一見「危ない」と感じる方もいらっしゃいましたが

すべて、同じ人間です。

何かの不運や、時代の流れのハザマや、

誰でも経験するような少しの心のつまづきが重なってしまったことなどで

たまたま、"ホームレス"と呼ばれる生活にいらっしゃる。

でも、そこには、"ホームレス"と一言ではくくれない

それぞれの事情や生き様や苦しみがある。


極めて薄っぺらでしかありませんが、

実際に現地を訪れ、数名でしかありませんが、

直接お話しも聴かせて頂け、とても学ばせて頂くものがありました。


そして、これは、インドでもミャンマーでも感じたことですが

苦しまれている方にとっては、

ただ、その方に心を傾けて、顔をむける人がいるだけで

その方にとって、ときに大きな自信になるのでは、という事です。


誰からも見られていない。興味ももたれていない。

なんなら、避けられている。蔑まれている。

どうせ自分はこんな生活をしている身だから。

どうせ自分は汚い格好だし、酒やドラッグに手を出してしまって

だらしがない人間だし。

でも、そんな自分に、興味をもって見てくれている人がいる。


ただお金やパンを渡すのではなく、

なにより、その方々の事に興味をもって、耳を傾けてあげる。


ホームレスの方々の支援をされていらっしゃる

リトル・トーキョー・サービス・センターの方のお話しでも

「聴く」という文字には「耳と目と心」という文字が入っており、

文字通り目で見て、耳を傾けて、心を向けてあげることが大切だと

仰っておりました。

その通りなのだと学ばせて頂きました。


道端で困ってそうな方、

時に見た目はよろしくないかもしれませんし、

お風呂に入れてなくて匂いも良くないかもしれません。

でも、時にそんな方にやさしく笑顔で向いて

お話しされたがりそうなら、耳を傾けてみる。

そういった事が、その方々にとってとても大切なのでは。


何者でもない、何もわかっておらぬ、

あまっちょろいハゲアタマでしかありませんが

そう、感じました。


おまけですが、最後にハグしてくれた男性が

何度も僕の名前を聞いてくれて

「リューコー」とお伝えするも

「デューコー?!オッケー!」と

大きな笑顔で去っていきました。


ということで、

デューコーのながーい戯言にお付き合い頂き

大変有難うございました。










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