give & takeじゃなく実はgiven & give - 龍光ブログ

 

give & takeじゃなく実はgiven & give  - 龍光ブログ


オーストラリアでは、畑の草花と語る毎日です。


なんだか、それっぽく聞こえていたら

それは、完全なる誤解です。



ネ申「オマエ、ずっと大葉だと思って

毎日かわいがって水やって育てていたの、

ぜーんぶ雑草だったじゃんか」

実態は、そんなレベルです😂。

めちゃくちゃ、シロウトです。


収穫まで至ったものはレタスやパセリ、

なんかの菜っ葉、パパイヤやローズマリー(たまたま自生していた)ですが、

そこから楽しくなってしまって、

ダイコン、ブロッコリー、トマト、トウモロコシ、コリアンダー etc…

など、チャレンジを広げております。





トマトも、だいぶ育ってきてくれています。

鳥さんなどいろんなお客さんもいらっしゃるので

これらのお生命が、ヒトの命に繋がっていくのか、

その他の生き物へとバトンされていくのか。

もしくは、途中で自ら力尽きてしまうのか。

とても楽しみで、毎日なんども眺めに行きます。


さて、自分が食べるものを自分で育てる行為を始めてから

より実感が増していくのが

我々は、どんだけ自然からgiven されているのか(与えられているのか)、

ということです。


give & takeというコトバはありますが、

お金も、誰かからの「有難う」も

本来、自分が"take"するものなどではなく、

なにか人に役にたつ事をした結果として、

givenされるもの(与えられるもの)だと思っております。


そもそも、自分が日々生きているにおいて、

どれだけの人にお世話になっているのか、と。


このブログを書いて読んで頂くだけでも、

電力を誰かが作ってくれていて、

サーバーやプロバイダーを維持してくれている人がいて…。


日々のご飯だって

誰かが育ててくれた生命を

誰かが食品にして、配送してくれていて。。。


知らぬ間に大勢の人の支えをもとに生きていられているのが実態なのだがら

自分もなにか人の支えになることをするのは、当たり前の行為では。


お金をtakeする目的で、

なにかの奉仕や労働をgiveするのではなく

すでにgivenされて生きていられているのだから、

giveし返すのが当たり前なのでは。


畑で育った生命(野菜たちなど)に至っては、

僕など、ほぼ何もしておらず

(ただ眺めてるくらい。水だって、雨が降れば自分は何も役に立ってない)

太陽や風や雨や土やミミズや細菌やらが、

頑張ってくれているだけ。

めちゃくちゃ、givenされている。

でも、僕らは、彼ら彼女ら(ミミズら)に

もちろん、一円も払っておらず、

彼らにgiveできているものといっても、

息をして二酸化炭素を提供するくらい。


太陽や雨にいたっては、なーんにもgive backできてない。

どんだけ、お世話になっているのですか、と。

givenされまくっているのか、と。


あらためて、give & takeなんて、

人間界のキレイゴトでしかなく、

実態はgivenされまくっているのだから、giveしかえす

given & giveが本来の姿なのでは、と感じております。


そう考えると、日々頂くご飯という

かつて生き物だったものたちにも感謝が芽生えたり

時に雨がふっても有り難いと感じたり

何気ない草木や小さな虫たちにも有り難いなぁと

感じる毎日です。


そんな風にニヤニヤしながら畑でしゃがんで

さまざまな生き物たちを眺めていると、


ネ申「ハゲアタマが太陽でピッカーって光って眩しいからなんとかしろ!」


そう、有り難き御神託を頂く次第です。

有り難きことです。


ということで、今日もお付き合いくださり、

有難うございました。







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