「囚われを離れ幸せに生きる」 - 龍光ブログ
「囚われを離れ幸せに生きる」 - 龍光ブログ
アメリカに参っております。
僕をアメリカへお呼びくださったのは、
ロサンゼルス在住の日本人、鶴亀さん。
※その鶴亀さんが始められた「チョッピリ思いやり」の会については先日のブログをご覧ください
鶴亀さんが幼少の時、お父様を第二次大戦で亡くされております。
当時、若い妻や生まれたての自分を残して
潜水艦と共に海に沈んだ"父の想い"。
鶴亀さんは、還暦を迎えられた後、
当時のお父様の想いを馳せるようになり、
戦時においては"敵"だった方々の親族に会いに行かれ
奇跡のような感動的な出来事を体験されていらっしゃいます。
そのストーリーについては、本も出版されており、
またブログにてご紹介させてくださいませ。
そして、今日、鶴亀さんが主催くださる
ロサンゼルスにて行わせて頂く講演会のテーマは
「囚われを離れ幸せに生きる」
そこで使うスライドのご紹介です。
ヒトは他の霊長類の中でもとくに"想像力"が進化したことにより
か弱い肉体にも関わらず、他の類人猿を駆逐し、
"共通の概念"としての"集団"や"国家"を作ることで勢力を拡大し
はたまた"貨幣"という、仮想の共通価値を作り出し
文明を育ててきた。
そう、考えております。
※名著「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」の受け売りです
"想いを馳せる"
当たり前すぎて忘れてしまいがちだけど
日々、刺激を与えないと、筋肉も神経もそだたず、
むしろ、衰えていくもの。
なので、毎日、ちいさくとも、
「ふと」思った時にでも、誰かの気持ちを「想像」するほど
「思いやる」神経回路も育ち、
人を想いやれる能力も育っていくものでは。
逆に、そういう機会が無いほど、「思いやる」力が衰えていくのでは。
苦しみは囚われより生じる。
そして、「囚われ」とは、「こうでなければ」という状態。
それらは、自分の脳内で生み出した、蜃気楼のようなものかも。
運がない。権利がない。お金がない。能力がない。
相手の理解がない
…
「ない」ものをあげれば、キリなく浮かんでくる。
でも、そう思っているのは自分だけかもしれない。
自分の脳がみせている「まぼろし」なのかもしれない。
でも、ふと落ち着いて深呼吸をしてみると
(特に、身体をリラックスさせて、
息を吐ききって、新鮮な空気を脳や身体に取り入れてみると)
いま、息をできている。
ということは、今死んでない。生きていられている。
そして、これを読めるだけの健康と安全はある。
戦前のさなかでは、おそらくない。
でも、いつだって、事故や事件や災害などで、
自分の命は消えたっておかしくないのが現実。
今、「ある」ことは「あたりまえ」じゃなく
「有ることが難しい」有り難きものかもしれない。
いま、経済や健康の問題
家庭の問題、将来の不安などなど
心はモヤモヤしているかもしれない。
周りの人ばかりが幸せそうで、
自分ばかりが苦しく感じるように思うかもしれない。
でも、それは自分だけの思い込み(想像)かもしれず、
まわりの人だって、それぞれ苦しみはあるのかもしれない。
そんななか幸せになりたい自分はどうすれば?
答えは「想像」にあると思うのです。
他人のことを想像してみる。想ってみる。
つまり、思いやる。リスペクトしてみる。
そうして、何でも小さきことでもよいので
他人にできる、何かをしてみる。
チャットGPT(AIチャット)は「スマイル」は誰でも
いつでもできる「他人への支え」と答えてくれてます。
そうすると、
周りの人の嬉しそうなかおを見ることで、
もしくは、周りの人の幸せを想像してあげるだけで
自分にも、幸せな心がやってくる。
それは、人の本能として持っている能力では。
友達のプレゼントを買ってあげるとき
なんだか幸せな気分を味わっている。
多くの人が、そんな体験があるのでは。
「自分は恵まれてない」
「ゼッタイこうでなければ」
これらは、
自分のアタマが勝手に生み出した、
脳内の蜃気楼なのかもしれない。
いわば、囚われ。
それは、苦しみをもたらしうる。
でも、それは「ただの妄想かも」という想像をしてみて
「そうじゃない考えも有りかも」と離れられると、
心は楽になる。
同じ想像力で、他人を思いやる機会を持つと、
心は幸せになれる。
と、まぁ、そんな内容をお話しさせて頂く予定です。
そろそろ、出発なので、尻切れトンボですが。
今日もお付き合い頂き、有難うございます。