Mamikoさんより「夫について」のご相談へのお戻し - 龍光ブログ

 Mamikoさんより「夫について」のご相談へのお戻し - 龍光ブログ


ただのハゲアタマの自分でしかありませんが、

縁あって頂戴したご相談は、全て、お戻しさせて頂いております。


通常は、龍光ポストからのご相談が多いのですが

今回、X(twitter)上で下記のように

Mamikoさんよりご相談を頂きました。



1つめのご相談に対するX上での自分からのお戻しが

いい加減だったこともあり(大変反省しております)、

2つめのご相談もふくめ、こちらにて改めてお戻しさせて頂きます。


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Mamikoさんへ

ご相談頂き、有難うございます。

「法話」など、立派なお話しを出来る身ではない

ただのハゲアタマでしかありませんが、

下記、自分なりの戯言をつづらせて頂きます。


さて、旦那さまの件へのご相談…。


僕が「ネ申」と呼ばせて頂いている、僕の妻より
※ネ申 = "神"の2倍角表現

ネ申「オマエ、マジで何もわかっちゃいねぇな。ハゲチャビン」

ネ申「オマエには、なーんも期待してないんだよ」

と、日々、たくさんの有り難きお褒めの御言葉を頂戴しているような自分が

果たして、Mamikoさんの旦那様とのご相談について

マトモなお戻しができるのだろうか…。

今朝も瞑想を続けながら考えておりました。


が、これも、有り難く頂いたご縁として

自分なりの考えが下記となります。


まず、Mamikoさんは、

大変に向上心が高く、細やかな物事にも配慮ができる

まっすぐな心をお持ちの方なのでは。

そう、勝手ながら感じております。

それがゆえに、時に違和感を感じられる出来事に対して

「どうしたらよいのか」というお気持ちが強く感じられるのかもしれません。


でも、それは、とっても自然なお気持ちなのでは、とも思うのです。

ですので、まずは、勝手ながら「大丈夫ですよ」とお伝えさせてくださいませ。

ネ申であられる妻より「オマエ、なーんにも役に立たない」との御言葉を頂く自分が

「ダイジョウブ」とほざいても、なーんにも意味はないかもしれませんが、

ただ、そう念じているハゲアタマがここにいることをお伝えさせてくださいませ。


さて、少々、一般的なお話しになってしまうのですが、下記。

考えてみると、生きているって、

「どうしたらよいのか」と悩ましく、時に苦しい出来事に

溢れているものなのでは、と考えております。


「やらなきゃなぁ」「こうすべきだよなぁ」と頭では考えていても

なんだか心や身体がソチラに向いていってくれない。

できれば避けたいという出来事や、人も

時に避けがたく向き合わなければいけない。


そもそも、自分の身体も頭だって、

歳を重ねるごとに弱っていき

自分の思う通りには、動いてくれなく老いていくもの。

できれば、避けたいコトだけれども、

いつまでも避けられるワケではないもの。


自分自身のことだって、思う通りにいかない事だらけなのに

自分の周りでの出来事だって、思う通りにいかず

「どうしたらよいのか」と感じてしまうコトだらけなのでは。


お子さんが、自分が思う通りには、大人しくしてくれない

ちゃんとゴハンを食べずに遊んでしまったり、など。


いい年齢となっているハズのオトナに対しても

「なんで、ちゃんとしないのよ!」と感じることも、

たくさん起きるかもしれません。


※なんだか、自分がネ申に謝る気持ちですが、

 勝手ながらゴメンナサイ。


そして、大切なご家族も、突然、事故や病気に出会ってしまうような

思う通りにならない悲しい出来事だって

いつ起こらないともわからないもの。


紛争や、自然災害や、大きな政治や経済での出来事なども

時に、「どうして」と感じるような事も

いつ起こらないとも分からないもの。


なんだか、暗い気持ちにさせてしまったら申し訳ありません。

ただ、お伝えしたかったのは、

生きている限りは、

思う通りにならない「どうしたらよいのか」という出来事は

起こってしまうものなのでは。

ということなのです。


それは、時に憂鬱に感じる雨も、

晴れの日があるから、地中の水が温まって空に上り雲となり

雲があつまるから雨となって降ってくるもの。

雨が降るから、雲の水も薄くなり、いずれ晴れに戻るもの。

そのような、「そういうものでしかない」

当たり前でもあることなのでは。

そう、考えております。


生きてるんだから、

まぁ、そういうコトもあるもんだよね。

生きてる証拠かもね。

と。


それは決して、何かを「諦める」コトではないのだと思います。

何かを望む気持ちや、大切に思う気持ちがあるからこそ

時に、それが思う通りにならない出来事が生まれる。

太陽が上るから、沈むように、

晴れがあるから、雨も降るように。

いわば「明らかな」コトなのでは、と思うのです。

諦めではなく、明らめる。

そういうものでは。と。


さて、少し話しは変わって、

ブッダが言ったとされるオモシロイお話しがあります。

といっても、僕も直接本人から聞いたコトは無いのですが、

ご紹介までに下記。

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ある日、王様がブッダの元に来て、こんな話しをしに来たそうです。

「妃に『そなたは、自分自身よりも愛おしい人は誰かいるかい?』と聞いたら、

妃は『王様、わたしには、自分自身よりも愛おしい人などおりません。

あなたも、ご自身より愛おしい人がいらっしゃいますか?』と返されたのです。

それも確かに、と思い

『妃よ、わたしにも、自分自身よりも愛おしい人はいないよ』と答えました」

それを聞いたブッダは

「自分自身の他に、もっと愛おしいと思う者は見つからなかった。

そのように、周りの人にとっても、それぞれ、自分自身が愛おしいもの。

ならば、自分のために、誰かを害してはならない」

と説いたそうです。

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いかがでしょうか。

「自分のために、誰かを害してはならない」

というコトが面白く有り難い視点だなぁ、

と感じてます。


誰だって、自分がカワイイもの。

だから、つい自分がどう感じるか、ばかりを考えてしまうもの。

でも、アタリマエながら、周りのみんなも、それぞれ自分がカワイイもの。

その人にとって「イヤだな」と思うものは、

自分からみると「ちゃんとしなさいよ」と感じるものであっても、

その人が「イヤだな」と感じている事実は変わらない。


でも、何かに「イヤだな」とという顔をしている人が近くにいると

自分まで「イヤだな」という気持ちがうつってしまうもの。


だからといって、その人に「イヤだなって、ならないでよ!」とか

「イヤそうな顔しないでよ!コッチもイヤになるから!」と言っても、

当のその本人が「イヤ」と感じるココロは、急にはリセットされたりしないもの。

かえって「なんだよ!」と、その人の「イヤ」を増やしてしまうことにも。


自分の「イヤ」を膨らませては、なんにも解決にならない。

相手の「イヤ」は、自分のコトでもないし、すぐに消しされないもの。

こんな時、どうするか。


ここで役に立つなぁと感じるのが

「自分のために、誰かを害してはならない」

というブッダの考え方では、と思うのです。


赤の他人であれば、「イヤ」そうにしている人から

そっと離れることで、自分も「イヤ」になりにくいかもしれません。


でも、自分の家族や友達のように、

自分にとっても大切な人には、できればなんとかしてあげたいもの。

それは、その人が「大切」だからゆえ。


そこで、「自分の『イヤ』をなんとかしたい」から考え始めてしまうと

自分の「イヤ」の原因でもある、相手の「何かにイヤそうにしている状態」に

「なんでなのよ!」「どうしたらよいの!」と対立するココロが芽生えてしまう。


かといって、それを相手にぶつけては

「自分のために、誰かを害すること」でもある。

さらに相手の「イヤだなぁ」が膨らみ、それを見なくてはいけない自分にも

「イヤだなぁ」が膨らみ…。

誰もハッピーになりにくい。


相手だって、その人の中でザワザワさせている「イヤだな」という感情は

できれば離れたいのであろう。

だれしも自分が一番カワイイように。

ならば、どうしたら、その人にとっての「イヤだな」を

少しでも除いてあげられそうか。

なにか、自分が助けてあげられることはないだろうか。

そういう見方をしてみはどうだろう。


「(私がイヤな気持ちになりたくないから)事前にちゃんとやるコトやってね」

では、相手も素直に頼りたくなりにくいかもしれない。

そもそも「イヤ」だから、「やらなきゃなぁ」でも、やれてないのだから。

そこで

「(あなたのイヤを取り除く支えになりたいから)何か手伝えたりするかな?」

だったら、少しココロひらいて頼ってくれるかもしれない。


もしかしたら

「なんで、私がそこまでへりくだってあげなくちゃ?」と

感じることもあるかもしれません。


でも、アナタがアナタを大切で「イヤ」から離れたいのと同様に、

アナタが「大切」と思う相手だって、アナタと同じように

「イヤなコトから離れたい」ハズ。


それは、自分が相手に何かをへりくだる、とか、譲歩するとかじゃなく、

家族、大切なナカマ、チームとして

一緒になって取り組んであげるものでは。

あなたにとって、大切な相手なのであれば、なおさら。


そんな教えが詰まっているのでは、と勝手ながら考えております。


ずいぶんと、くだらぬ戯言を長々と連ねてしまいました。


旦那様に「イライラ」してほしくない。

「イライラ」するくらいなら、事前にちゃんとしてほしい。


自分が自分を大切なように、旦那様も自分が大切なハズ。

ご自身が「イヤだな」と思うコトは避けたがり、

「イイな」と感じるコトに向かいたがるもの。


見た目は大きかったり、歌を作るのはお上手かもしれませんが、

いわば、小さなコドモみたいなものかもしれません。

※天のネ申に、自分も謝ります!申し訳ございません!!


自分の感情すら、時にうまく「思う通りにならない」コトがあるように

だれだって「思う通りにならない」出来事にぶつかり

時に「イライラ」してしまうことだって、あるもの。

少しだけオトナな気持ちになってあげて、

「まぁ、そういうこともあるかもね」と流してみてしまう。

できそうなら、「イヤ」と思っている対象を

一緒に支えてあげてみる。

だって、相手の「イヤ」を「見たくない!」とぶっつけても、

「自分のために、誰かを害する」コトなのかもしれないから。


思う通りにならないコトはおきてしまうもの。

でも、いま、ひとまずは、生きてくれている。

息をして、たのしい歌を作ってくれている。


それは、もしかしたら、かけがえのない、刹那かもしれない。

明日には、何かのちょっとしたはずみで、

無くなってしまうものかもしれない。

ひとまず、いま、ここに、生きている。

自分も、いま、ここで、生きている。


それだけでも、実はとっても、有り難きことかもしれません。


ということで、長くダラダラとつまらぬコトを書いてしまいましたが、

Mamikoさんと、楽しい歌を作ってくださる旦那様と

そのご家族ご両親みなみなさまの今日も

おだやかでおもしろき時間に溢れますよう。

龍光

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以上、Xでのご相談に対する自分なりのお戻しでした。

通常、龍光ポストに頂くご相談は、このように表ではお戻ししておりませんので

ご安心くださいませ。

今日もお付き合いくださり、有難うございました。






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