植物にはヒト以上に世界を見通せているという科学のお話し - 龍光ブログ

植物にはヒト以上に世界を見通せているという科学のお話し - 龍光ブログ


長いタイトルでスミマセン。

スピリチュアルなお話しではなく、とっても科学的なお話しです。


そして、とーっても長いブログです。


さて、下記のようなハナシを聴いたら、

アタマがおかしいヒトの発言と思うでしょうか。


「植物には、視覚があり実は世界を見ている」

「植物は、植物同士や、他の生き物(昆虫や動物)とさえも

"コミュニケーションしている"」


繰り返しですが、これらは、

あくまで科学的な知見(しかも最近の知見)に基づくお話しです。

主なソースは下記2冊です。


植物は〈知性〉をもっている 20の感覚で思考する生命システム - ステファノ・マンクーゾ著

植物は〈未来〉を知っている―9つの能力から芽生えるテクノロジー革命 - ステファノ・マンクーゾ著


衝撃的な内容の数々でありました。


今後100億人へと人口が増え続けていくなかで

我々が苦しむかもしれない、食料自給や水確保の問題。

そして、宇宙への進出における諸課題。

それらに対し、植物がこれまでの進化で獲得してきた能力や性質が

いかに我々に突破口となる智慧をもたらしうるか。


それだけではなく、我々も"感覚"で感じているであろう

植物のもたらす、ヒトの"こころ"への

得も言えぬポジティブな効果。

それらについて、科学的な知見で、

とても分かりやすく書かれた本です。


なぜハゲボウズの自分がこんな話しをするかは、

長くなってしまうのですが、下記。

宗教にまつわる本から、

科学的な視点での"しあわせ"や"こころ"についての本に移り、

それらを学ぶうちに、それらの根っこには"科学"など語られる前の

2300年ほど前のギリシャ哲学にヒントがたくさんあることを識り、

その延長線をたどっていたら、また最新の科学に戻ってきていた…。


世界を識るのに"科学"こそが最適なメガネだと信じている現代人(自分)にとっては

下記の事実はなかなか受け入れにくいのですが、

"科学で解明されていると我々が識ることの多くは

実は2000年以上前のギリシャなどの偉人らによって

すでに「分かっており、語られていた事」"

そう何度も実感しております。


たしかに、"科学的"に冷静になると、

たった2000年程度では、我々の遺伝子(DNA)など

ほぼなんら進化を遂げてないのだから、

現代において我々が"発見した"と思っていることが

別なアプローチで("科学"と呼ばれるモノを利用せずとも)

古代のヒトが"気がついていた"としても、なんら不思議はないハズ。

非科学的に「分かっていた」とされる事を、科学というメガネを通して

再確認している、という感じかもしれません。


と、予想通り、脱線ばかりで前置きがとっても長くなりました。

本による興奮が収まらず、呼吸を忘れておりました(笑。


詳しくはこれらの書に委ねますが、

箇条書きにまとめると…。


- 地球上の全ての生物のほとんどは植物である

(総重量ベースで少なくとも80%以上もしくは99%ほどが植物)


- ヒトはせいぜい20万年前に生まれたが、植物はこの星に30億年前ほどから生きており、その分はるかに"進化"を進めてきている。

ヒトは地球の支配者などではなく"新参者"にすぎない。


- ヒトは植物なしにはすぐに死滅する。

なにより酸素は植物のおかげだし、接種カロリーの大部分も植物(しかも主に6種類しかない!サトウキビ、トウモロコシ、米、麦、大豆、ジャガイモ)に委ねられており、また古代より利用していきたほとんどのエネルギーも植物由来である(石炭、石油、天然ガスは植物の化石からなる)

それだけ植物に依存しているのに、ヒトは植物を風景のように見過ごしており、分からないことだらけであり、かつ"ヒトや動物から見てシンプルな構造"がゆえに、その能力の凄さを見落として、思い上がってしまっている。


- 動き回る"動物"と同じように、実は植物も大いに"動いている"

ただ、時間軸がゆっくりすぎて、ヒトの目には"止まっている"ように見えているだけ


- 植物もコミュニケーションを大いにしている。

ヒトは声(音)やジェスチャー(光)によってコミュニケーションしているが、

植物は、様々な"におい"(揮発性有機物)により"会話"している。

たとえばトマトは草食の昆虫に襲われると、数百メートル先の植物に届くまで

"警報"を送っている。

また、時に外の昆虫にSOSのサインを出して、自身を食べる虫の駆除を依頼するなどしている。

また、マツの林を見上げると、他のマツとは決して触れ合わない距離をお互いに保っている。

これは、何らかの方法でお互いにコミュニケーションし、距離を測っていると思われる。


- 植物にも、学習、記憶、といった能力がある。

たとえば、触れられると葉を閉じるオジギソウは、

同じ刺激を繰り返し与えていくと、慣れて葉を閉じなくなる。

でも違う刺激に変えると、また閉じる。つまり、記憶し、変化に対応できている。

実験の結果、オジギソウがもつ、その"刺激の記憶"は40日間も保持された。


- 植物には、ヒトでいう5感(視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚)に加えて、計20種類ほどの"感覚"を把握できる能力がある。

たとえば、様々な化学物質、地場、重力、湿気なども感じ取り、量を測り、それにより反応を変えている。


- 植物には動物における神経組織は無いが、電気信号を伝達したり、水や化学物質により、

"体内"にて信号を送りあっている。


- 植物が、周りの植物の姿・形をまねて、自身も似たような形へと"擬態"をしているとしたらどう感じるだろうか。実際にそういった行為をする植物は存在する。

複数の形の違う葉と同じような葉へと"擬態"をするものがある(ボキラ属のつる性植物)。

ボキラは、自身がいる近くの葉に似せて、自分の葉の色や形を修正できる。

それも、何度でも修正できる。

これは、持っている遺伝子情報(DNAの塩基配列)自体は変化していないが、

これはエピジェネティック(遺伝子上に一定のタンパク質が張り付くことで、その遺伝子の発現を止めたり活性化したりする、後天的な遺伝子のコントロール)な変化によって行われているのかもしれない。

この驚異的な能力は、虫や動物(カメレオンなど)のもつ"擬態"能力よりも、はるかに優れたものである。

しかも、ボキラには、他の植物の姿・形が「見えて」いることになる。

実際、植物にはレンズ上の構造をもった細胞が多く発見されており、光の受信や認知ができていることは明らかになっている。

それは、昆虫における複眼(たくさんのレンズ状の細胞の集まり)と酷似した構造でもある。


- 自身の危機に対し"逃走"が可能な動物と違い、植物は"走って逃げる"コトはできない。

が故に、植物はどこを壊されても生き延びやすい、"分散型"の構造をしている。

まるで現代の我々が発明した、インターネットの構造のように。


あらゆる危機においては、動物は"逃走"により"避ける"こそが最適の解である。

住環境が暑さや水不足で問題が生じてくれば、より適した環境を求めて移動すればよい。

生存における競争相手が周りに増えてきたら、新たな場所へ移動すればよい。

そのために、動物は、瞬時に判断できる脳や、瞬時に問題から身を遠ざける筋肉を育ててきた。

一方で、物理的な逃走ができない植物は、危機となる問題に対して"解決する"能力を育ててきた。

暑さや水不足が生じても、動けないゆえに、効果的な解決策を得るべく進化を続けてきた。

(30億年もの時間分の進化チャンスを経て!)

様々な環境の変化に的確に対応すべく、様々な化学的・物理的データを的確に把握する能力が必要となった。

光、様々なミネラル、湿度や温度、力学的な刺激、土壌の物理的構造、空気の成分などなど。

さらには、他の植物との距離や、自身の存在や周囲の捕食者や共生者や病原体の存在を知らせあうための様々な刺激(多種の揮発性有機物の組み合わせ)による情報をも

つどインプットし続け、それらの情報を元に、つど対応をしている。

これは、もしかしたらヒトが行っている認知力や問題解決力よりも、

はるかに優れた能力を有しているかもしれない(決して、スピーディーではないが)。

つまり、動物が周囲の環境の変化に"運動"により、

変化を避けて対応しているのに対して、

植物は、絶え間なく変化する環境に対して"適応"により対応している。


- 植物は、菌や他の虫や動物とも見事にコミュニケーションをし共生関係を作っており

かつ自身の危機にも生き延びる術に長けており(水がほとんどない環境や山火事などの後でも生き延びられる)、実際、数千年の寿命を持つ個体も存在する。

ヒトは植物の生存戦略から学べることが大いにある。

それは薬品、建築(エネルギーを利用せずに自然の力で動かす構造体など)、幅広く学びを得うる。


- ヒトは"脳"こそが知性の唯一の"生産"の場と錯覚しがちだが、脳単体ではなんら生産をしてくれない。何かの情報が届かなければ脳は単体では何も作りだすことをしてくれない。

だが、植物は環境の認知(感覚器)と身体機能は切り離されておらず、一つ一つの細胞ににおいて、それらが繋がっている。

例えば、根の先(根端)の細胞は、根が地中にある他の根の先とぶつからぬよう、かつ水や養分を接種するため正しい方向に伸びるよう、たくさんの情報を認知しながら、個々の細胞が多くの仕事を成している。

それらの仕事をこなす根端は、非常に小さな植物ひとつでも1500万以上持っており、その認知している情報は、光、重力、圧、温度、湿度、地場、化学物質、重金属(有害物質)などなど。分かっているだけでもそれだけの情報を認知している植物だが、まだ他にも認知している情報があるかもしれない。

そして、それは動物のニューロンのように、活発な電気信号を発している。

古代ギリシャのデモクリトス(アリストテレスより100年ほど前の人物)は、

植物も動いており、地中に頭を突っ込んで逆立ちした人間のようだと植物を例えていた。

植物の根の能力や活動を見るに、それは正しい見立てにも感じられる。


かのダーウィンも、動物と共通する植物の動きのほとんどは根で見られることを指摘していた。

が、"ヒトが進化の頂点"と信じたい人間達にとっては、"進化論"のような理解しやすい(かつ自分たちが進化の先端にいられる優越感を感じられる)研究ばかりを注目し、彼が植物の根にもつ驚異的な能力や、その「知性」の研究については注目を浴びぬままにいた。


- 植物は、ヒトよりも遥かに長い時間の進化を通じて、動物のように個々の器官に機能を集中することをせずに、体全体に機能を分散させる構造を選択してきた。

それにより、体の一部を失っても生き延びられる構造を手にした。

植物には、肺も胃も肝臓も腎臓もないが、

それらの各器官が動物においてこなしている機能すべてを

きちんと果たすことができている。

脳という集中した器官がないからといって、なぜ植物に知性がないと言えるのか。


我々ヒトは「脳の偏見」(脳がなければ知的ではないという錯覚)によって

植物に知性が無いと思いこんでしまっている。

だが、その態度には科学的な根拠はなく、ただの先入観や思い込みかもしれない。


SFのお話しで、超高速の時間軸で動き回る宇宙人が地球にやってきたが

地球には知的生命体がいることに認識できずに帰っていくというストーリーがある。

その宇宙人の動きや時間軸が早すぎたため、

地球上にいるヒトの動きが彼らにはあまりにスローすぎて、

「動いている」とも「知的である」とも

認識できなかったのだ。

これは、今の地球上における、我々ヒトが植物に対して見ている立場と同じかもしれない。


- 今日、ヒトのカロリーの60%は、たった3種類の植物(トウモロコシ、コムギ、コメ)に委ねられている。

アメリカに住むヒト一人の身体の炭素の69%が、たった1つの植物種、

トウモロコシだけに由来している(家畜用の飼料も含め)。

それらの植物は、大規模に栽培されている。


農業の発明以前には、ヒトは数百種類もの多様な植物を食べて生きていたそうだ。

現代は、生存に不可欠なエネルギーの、その頼るべき供給元の選択肢が

少なすぎるのでは。

ここ1千年で、人類の生活を支える植物の種類は次第に減り、

その流れはここ100年ほどで劇的に加速したことになる。


万が一、トウモロコシやコムギやコメが、なんらかの"流行り病"にかかったら

我々ヒトは大惨事を被ることになるだろう。

分散化により様々な環境を超えて生存を果たしてきた植物と違い、

我々ヒトがとっている戦略はなんと集中に依存し、危うさをもつものか。

我々はもっと植物から学ぶべきではないのか。


- 地球上の水の97%は海水で、飲料や農業や工業では利用できない。

つまり残りの3%の水で人間は活動している。

しかもそのうち1%は極地(北極や南極)にあり、使えない。

つまり、地球上の水の2%で、我々は生き延びている。

そして、我々の欲する水の量は、

我々の生活の質向上への意向とともに

増え続けている。

もちろん、年間ベースならば、

地球上には十分な淡水の量がある。


だが、大切な事は、水の需要と供給には

時間と空間に大きなズレがあることだ。


そして、想像してみてほしい。

今から30年後の2050年には、

60年前の1960年の地球上の総人口と同じ30億人が

あらたに地球で生活をするようになる。

惑星1つまるっと分の飢えや水をまかなわなければならない。


飢えぬよう、食料を増やすには、農業の生産性をあげるか

耕作面積を増やすか。

だが、農業の"生産性"も、

データを見る限り、ここ最近はあまり伸びていないようだ。

現代の技術では、"生産性 "も生物物理学的な限界に近づきつつあるのかもしれない。


そして、耕作可能な土地も、さほど余裕があるわけではないようだ。

これ以上森林を破壊して耕作地を広げては

結果、気候の変化を大きくし農作収量にダメージを与えうる。

土壌もさまざまな理由で悪化しており、地球上で残された耕作可能地は

限られており、これ以上気候変動に悪影響を及ぼさずに

増え続ける人口の食料を確保するには、

何かしらの技術的な革命や発明が必要になるのでは。


その解になるかもしれないアイデアが、

高塩分にも適応した植物"塩性植物"を海面上に育てていくものだ。

著者のチームは、"ジェリーフィッシュ・バージ"と呼ばれるプロジェクトを行い

土地も淡水もまったく必要とせず、

風や波のようなエネルギーだけで食料を育てるべく、

海水上に浮かぶミニ温室を作り、

そこで1ヶ月に500株のレタスを育てることに成功している。

その実現には、植物がもつ多くの能力からのヒントが詰まっている。

皮肉なことに、この素晴らしいアイデアには"投資"は集まってないそうだ。

ジェリーフィッシュ・バージによる野菜の栽培は

通常の温室より、栽培コストは多少は高いものの(遥かに高いわけではないそうだ)

資源を消費せずに(実際には太陽光や空気や海水を消費しているが)

何かを生産するというモノは、

"投資対象"にはなりにくいのかもしれない。

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といった内容です。


これはボクの勝手な考えですが、

ヒトは"経済を回す"(つまり、さまざまな資源の消費も大いに行う。仮にほぼ捨てる前提での生産も含めて)事には

投資マネーは集まりやすく(マネーを投下することで、マネーの循環量を増やせるから)、

資源の消費を抑えるモノは、

仮に人類に価値があるかもしれなくても、

投資マネーを投下する魅力が薄いのかもしれない。


これは、ボクなりの今後のテーマの1つとして

学びを深めて生きたいものになるかもしれません。


あまりに感動をし、著者であるマンクーゾ氏の連絡先を探し

メールをお送りしてしまいました。

さーて、これからどうなることやら。楽しみです。


ながーいブログにお付き合いくださり、

大変有難うございました。





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