ヒトはなぜ戦争をするのか〜NHKヒューマンエイジ第二回目を観て - 龍光ブログ

ヒトはなぜ戦争をするのか〜NHKヒューマンエイジ第二回目を観て - 龍光ブログ


地球史上、最大級の「生物の大量絶滅」を引き起こしている

我々ヒトという存在は、一体何者なのか。

その未来は、跳躍か、破滅か。


そんな野心的なテーマを様々な現代の知見から迫ろうとする

NHKスペシャル「ヒューマンエイジ」

その第二回「戦争〜なぜ殺し合うのか」を拝聴して

その概要と感想のブログです。

番組の概要は下記からもご覧頂けます。


第1集では、"ドーパミン"を軸に

際限なく地球すら飲み込もうとするヒトの欲望について

語られていました。

※詳しくは第1集についてまとめた 我々は一体何者なのか〜 - 龍光ブログ を御覧くださいませ


第2集となる今回は、"愛情ホルモン"としても認知が広がる

"オキシトシン"を軸に語られています。


過去3500年の歴史で把握できているだけでも

世界中で"戦争"は行われており

この100年だけでも、実に1億人ものヒトが戦争で亡くなっている。

そして、現代では、科学の粋を集めて

最先端の"殺人兵器"が開発され続け

巨大な"産業"に発展している。


一体、なぜ我々は殺し合い続けるのだろうか。

今から370万年前頃、ヒトの祖先である

アウストラロピテクスにおいては、虫や植物を主食にし

時に大型の肉食獣に"食べられる"か弱い存在であった。

そんな我々が助け合い、生き延びるため

重要な役割として機能を強めてきたのが

"共感や協力性"を強める、オキシトシン。


その後、ヒトは"飛び道具"を発明し

オキシトシンの効果もあり、"飛び道具"の知恵の共有も進み

共存する集団の規模も大きくなることで、

"新たな飛び道具"の発明も進んでいった。


そんな"飛び道具"は、本来は自分たちを"狩る動物"から身を守るためのもの。

でも、遠くからでも対象を攻撃が可能であるがゆえに、

時に、人間同士であっても、

相手の苦しむ顔を見て"罪悪感"を感じることなく

相手を攻撃することも可能にしてしまった。


とはいえ、ヒトが集団で殺りくをするのは、

普通に起こることではない。

そんななか戦争が広がり、無くならないのは、なぜか。


そのカギを握っているのは、

皮肉にも、"共感・協力性"を強める"オキシトシン"自身なのでは。


実は、オキシトシンには、"強い攻撃性"にも関わっていることが

様々な実験で明らかになってきた。


たとえば、子供を産んだばかりのネズミでは

オキシトシンが大量に発生している状態だが、

そこに初対面のネズミが現れると、激しく攻撃をしかける。


さらには、オキシトシンについての人間での思考実験。

どちらかの生命を犠牲にすることで、

もう一方の生命を救わなくてはいけない状態になった時、

「外国人を思わせる名前」と「自国民によくある名前」では

どちらを犠牲にするのか。

オキシトシンを吸わない状態では、どちらの名前でも

一人を犠牲にする傾向は変わらないものの、

オキシトシンを吸引した状態では、より

「自国民によくある名前」の人を救い、

「外国jんを思わせる名前」を犠牲にする傾向が高まった。


オキシトシンは、"仲間意識"を高めるが故に

一方で"線引き"をして、

「仲間を助けるためならば、仲間以外を犠牲にしてもやむを得ない」

とヒトを攻撃的にする傾向があるのかもしれない。


確かに、我々の社会では、よく「仮想敵国」なる考えを持つことで

自国民の結束を図る行為は今でも行われている。

これは、我々ヒトの"心の弱点"ともいえるものかもしれない。

そして、それが時に、ヒト同士の大量殺戮という

"良心の暴走"ともいえる大戦争を引き起こしてしまうのかもしれない。

その"暴走"を引き起こすものとして、

"あるもの"が大きく影響をしているかもしれないことが

過去に"大量殺戮"を起こした戦争の歴史から見えてきた。


過去500年ほどの戦争の歴史で

最も"死亡率(世界の人口に対する、戦争での死亡数)"が高かったのは

第二次世界大戦。

それに次いで死亡率が高かったのは

17世紀のヨーロッパで起きた「三十年戦争」。

宗教改革の中で、キリスト教の中で、

伝統的なカソリック勢と、改革を唱えるプロテスタント勢が対立した戦争。

そこでは、実に800万人という死者を生む激しい殺し合いが行われた。


なぜ、それほどまでの大量殺戮になってしまったのか。

実はこの三十年戦争では、新たな"革命的な技術"が関与していた。


それは、「活版印刷」という、それまで手書きだった文章を

大量に印刷を可能にした、現代でいう「マスメディア」の技術。


この三十年戦争で大量にばらまかれたチラシでは

自分たちの勢力を"天使に守られた神聖な集団"として描き

敵対する勢力は"炎を吐く魔物"の姿で描かれている。

これにより「仲間を守るために、敵を攻撃する」という

ヒトの"線引き"の特性が大きく広がり、あおられ、

大量殺戮に繋がったと考えられる。


その当時に生まれたとされるのが

現代での「政治的な宣伝戦」を表す「プロパガンダ」という言葉。


これは、過去最高の"死亡率"を引き起こした第二次世界大戦にて

ナチスドイツが得意とし、

日本が戦時中の国内においても積極的に行っていた手法でもある。


特定の対象を"敵国"として悪いイメージを喚起し

自分たちがいかに優れているか、

その自分たちや、大切な家族が

いかに"敵"により"殺されそうとしている"のか。

新聞など当時のメディアを用いて、大いに恐怖心をあおり

自分らと"敵"らの"線引き"を促し、自らの攻撃性を高める。


さて、下記は番組では語られてない、自分の考えではありますが、少々。


この"線引き”は、

現代においても、我々は極めて日常的に起こしていることでは

と思うのです。


たとえば、国名。

日本、インド、中国、ロシア、アメリカ、韓国、フランス…。

ひとつの"国名"をあげることで、その"国の人"のイメージが

我々のアタマで引き起こされるのではないでしょうか。


そして、時にその国にて、自分として「よからぬ」と感じる出来事が会った時

その国の人は"自分たちと違う人達"という"線引き"が生まれ

その国の人全体が、さもよからぬ人たちのような印象をもってしまう。

でも、個人個人で実際にみてみると、その"国"の人たちは

とっても魅力的だったり、仲良くなれたりする。

個人は人それぞれなのにもかかわらず、

"国"という概念は、簡単に"線引き"を引き起こす概念ではと思います。


もしくは、ひとつの"グループ名"をあげることで、

そのグループと自分とは違うと"線引き"をして、

そのグループの人達は「こういう人たち」と偏った見立てでみてしまう。

そんなこともあるのではないでしょうか。

「あの地区出身のヒト」「その世代出身のヒト」

「どこの学校をでているヒト」

はたまた

「近頃の若いやつら」「ネトウヨ層(ネット右翼)」

「SNS民」「マスゴミ」「上級国民」

などなど。

実に現代においても、日常で"線引き"をしてしまってはいないでしょうか。

それは、実は「自分勢の立場を守るため」に、仮想敵国のように「相手勢」を

脳内で生み出してしてしまっているのでは、ないでしょうか。


しかも、SNSという、自身は安全なところから、

相手の苦しむ顔が見ずに口撃できる"飛び道具"により

相手への批判や口撃を「公衆の面前」で行ってしまう。

相手の前に立って、他の人も見ている前でならば、決して言わないような

"相手を傷つけるであろう言葉"を投げつけたり、

それに「イイね」や拡散で、手伝ったりもしてしまう。


それを受け取る人も、一人の人間で、

見えない所から、顔もしらない人からの"飛び道具"でグサグサと刺され

その受取る人の心に様々な傷を負わしているかもしれないというのに…。


番組では語られていない、

そんな事も考えながら、番組を拝聴しておりました。


さて、協力し、助け合いたいからこそ生まれた

"オキシトシン"という素晴らしい本能が、時に

"線引き"を生んで、攻撃性を高めてしまう傾向があったとして

我々はどのように、"さらなる進化"をめざしていけばよいのか。


番組の中で、紛争解決の専門家の瀬谷さんという方のコメントが

とても印象的でした。

食料や安全な水や教育などが不足し、

いろいろな民族の人が混在し、

あらゆるレベルの争いが起きている南スーダンにおいても

「共存できる仕組み」を作ることが可能だという内容です。

例えば、食料が足りないということが「民族共通の課題」であれば

対立している集団が一緒に協力することで生産率があがるような仕組みを作ったり

協力しあうことでニーズが満たされ、自分たちが抱えている問題が解決するような

仕組みを作ったりなど。


自分の家族を殺した人たちが、時に職業訓練まで受けて刑務所から出てくることには

殺された家族をもつ人たちにはジレンマがあるものの、

そこであらがっていても、残った数少ない子供や家族までころされてしまう。

なので、平和のために、みんな泣く泣くそれを受け入れる。


憎しみに憎しみで返しても益はないとは昔より残された知恵ではあるものの

実際にその"赦し(ゆるし)"を行うのは、赦す側の心が大きくないと簡単ではない。


その瀬谷さんが語られていた

「『平和』という言葉は、私たちからみるとすごくきれい事に思えますけれど、

実際の紛争や戦争を経験した人々が積み上げている平和というのは、

"血と汗と涙の積み重ね"なんです」

という言葉は、とても重く感じ入るものがありました。

そんな内容の番組でありました。


そんな我々は、どのように生きればよいのでしょうか。

あくまで、ハゲアタマのささやかな考えですが、下記。


我々ができうることは、時に"相手の顔が見えない"からこそ行いがちな

インターネットや陰口といった"飛び道具による攻撃"を人にしてしまわぬこと。

そして、簡単に「あの人は〜」「こういう人って〜」など"線引き"という

偏見を控えること。

なにより、「この言葉を本人が聞いたら、その人はどういう気持ちになるだろう」

という、想像力をたくましくし、

他人への攻撃となる言葉が生まれそうになるのは

自分のプライドという実体が無いものが

自分を優位に立たせたがっているだけにすぎないと

自身を客観視し、

自分が自分を大切にするように、相手も自分が大切なのだろうから、

相手にとって、嬉しいと感じてもらえるような言葉を発する努力をしていく。

そんな小さな積み重ねが、

より戦争を減らしていく未来へと

ささやかながら繋がっていくのでは。


そう、小さきハゲボウズながら祈っております。


NHKスペシャル、ヒューマンエイジ

次作がとても楽しみです。

あらためて、番組に関わる全てのみなさま、

大変有難うございます。


そして、長いブログにお付き合いくださった皆様も

大変有難うございます。



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