我々は一体何者なのか〜「ヒューマンエイジ」を拝聴して - 龍光ブログ
我々は一体何者なのか〜「ヒューマンエイジ」を拝聴して - 龍光ブログ
およそ6600万年前、巨大隕石により地球上の75%もの生命が死滅した
「大量絶滅」が起こされた。
そして今、その時を超える勢いでの「新たな絶滅」が起こされつつある。
我々「ヒト」という、たった一種の生き物によって。
そんな我々は、一体何者なのか。
その未来は、跳躍か破滅か。
上記は、NHKスペシャルにて放送中のシリーズ「ヒューマンエイジ」
とても大きなテーマを、
考古学、歴史、地質学、医学など
様々な視点とデータから紐解こうとする
非常に野心的、かつ学びの多い番組です。
"2025年の放送100周年に向けて年数本で製作"というだけあって
力の入れようを感じさせる、内容です。
企画を通し、製作をしてくださっていらっしゃる方々に、
ただただ頭が下がります。有難うございます。
過去2回放送されており、まだ続きがまってます。
過去の番組の内容は、NHKオンデマンドで視聴することもできますが、
下記のweb記事でも、内容をほぼ把握する事ができます。
ヒューマンエイジ 人間の時代 第2集 戦争 なぜ殺し合うのか
有り難いですね。
と、このブログでは、その内容と、自分なりの考えや感想を勝手ながら加えつつ
綴っていきます。
ここでは、まず1本目の「地球を飲み込む欲望」について。
我々は、ただ純粋に、よりよき未来を望んで
文明を発展させて来ているが
その願いの強さが、結果的に環境破壊を引き起こし、
我々の住処である地球を急速に荒廃させている。
その力となっているのは、ヒト以外の動物たちも持っている
"食べ物や、子孫を残すためのパートナーを求める"駆動力となる
「ドーパミン」という神経伝達物質。
お腹が空いた時に食べ物を探していて、見つけるとドッと脳内に放出され
強烈な喜びをもたらす。
この「喜び」は、もっと味わいたくなる力を持つ「報酬系」と呼ばれる仕組み。
これは、ヒトも動物も一緒。
しかし、ヒトが他の動物と異なるのは、
「課題を解決する」という行為においても、
この「ドーパミン」が大量に放出され、強い喜びをもたらすことが
明らかになってきた。
さらに、このドーパミンは他の動物では主に中脳で作られるのだが、
ヒトにおいては"高度な知性"を生み出す「大脳新皮質」においても
ドーパミンを放出する仕組みを持つことが最新の研究で明らかになってきた。
動物であれば、食べ物を見つけ、腹を満たすことで、
欲が一時的に満たされ、「もっと」が際限なく起きにくいのだが、
ヒトにおいては、課題を見つけ、それを解決するプロセスで
物理的に腹を満たすワケでもないため、結果として
「もっと」喜びをもたらす「報酬系」を手にしたくなり
常にあらたな課題を発見し、それを解決しようとする行為を
際限なく求めていく。
そして、際限なく「もっと」便利で快適な暮らし、
「もっと」健康で、長生きに。
そんな「もっと」を望んだ結果として、
地球の地質にもハッキリと痕跡が残るほどまで
我々人類の活動が、地球の環境を大きく変えている。
そして、我々を支える土台である様々な生き物たちを
次々と絶滅においやっている。
いったい、我々はどこへ向かっているのか。
我々自身が純粋に願う「よい暮らし」を求める努力の先は
我々を破滅へと向かわせる道に繋がってしまうのだろうか。
振り返ってみると、人類の歴史は、
純粋に「よりよい暮らし」を求めてきたがゆえの
課題発見と解決への努力、
そして、その結果生まれた新たな課題の発見と解決への努力…
そんな連続であったとも言えるのかもしれない。
かつて100年ほど前、増え続ける人口に食糧難が起き
飢えに苦しんでいた時代
その課題を解決しようとして生まれた「ハーバー・ボッシュ法」という
空気中の窒素と水素から化学肥料を生み出す発明がされた。
その発明は、ノーベル化学賞にも輝き、その後の爆発的な人口増加を可能にした。
その恩恵で人口も80億人まで膨れ上がれるほど、食にありつけるようになった。
でも、一方で、いま、人口の爆発的増加により
新たな環境破壊を起こしているのも事実だろう。
当時のハーバー・ボッシュ法の発明によって
今ご飯を頂けている現代の我々に、
「当時の発見が原因で環境破壊が起きた」など
単純に非難できる立場にはない。
細菌という、
人の目視では存在が見られなかった生き物がいることが発見され、
その細菌による病気から生命を守ろうとして生まれた抗生物質。
それにより、大幅に致死率が下がり、
平均寿命が大きく伸びることに繋がった。
一方で、現在、その抗生物質の摂取増加により
現代病とも言われるうつ病やアレルギーなど、
あらたな課題を引き起こしている可能性も出始めている。
仮に現代で、アレルギーやうつで苦しんでおり、
その原因として抗生物質があったとして、
一体、誰が抗生物質の発明を非難できるだろうか。
エネルギー不足が叫ばれ、たくさんの森林が破壊されている課題が
将来の子どもたちの生命を脅かすかもしれないとしても、
我々は、過去の電気の発明を責められるだろうか。
過去の人々が、
当時存在していた何かしらの課題に対してなんとか解決したいという願いから
新たな技術や行動が生まれ、
そこからまた新たな課題が生まれ、それを解決しようと努力が生まれ…。
歴史は繰り返すと言うけれど、
いま我々の目の前にある課題も、そのようにして生まれているのかもしれない。
そして、今我々が努力している課題解決の努力は、
また新たな技術や行動を起こしていくのかもしれない。
では一体、我々はどうすべきなのだろう。
番組の中で、古生物学者の方が、とても(個人的には)面白く
頷けるコメントをされておりました。
「生命の進化を研究している立場からみれば、ひとつ間違いなく言えるのは
『人間はいつか絶滅する』こと」
「恐竜は隕石という、どうしようもない理由によって絶滅したが、
我々ヒトは、自分たちが起こしている事でもあり、恐竜と違い
考える、伝えることができるので、もしかしたらまだ100万年後も
ヒトの社会がつづくかもしれないという期待とともに、
延命にむけ今できることをしていく」
そんな主旨でした。
"絶滅"まで、どこまで延命できるのか。
もしくは地球外にも開発を広げ、進化を遂げつつ
絶滅せずに生き残るのか。
イヌやネコが、そんなことこれっぽっちも考えず、悩まず
ただ、その日を楽しみ、老いて朽ちるまで生きるように、
宇宙も、そんなことこれっぽっちも考えず(そもそも思考などなく)
「ただ、ある姿として有り続ける」
だけかもしれません。
自然として、宇宙の理(物理法則)としてあるがままに
ヒトという存在もふくめて、あるがままに、進んでいくのでしょう。
にもかかわらず、ヒトという生き物は、
"知性"をもち"課題を解決する喜び"を求める生き物であるがゆえに
こういったテーマを考え、答えを求めようとしたり、
未来へよりよき解決策を模索し、努力したがる。
宇宙も地球もイヌもネコも求めてもいないかもしれないのに、
勝手に課題意識を感じ、勝手に努力をしようとしているのかもしれない。
そして、さらに新たな課題を作り出しているのかもしれない。
じゃあ、何もしないのが良いのか。
考えたり、課題を感じているのに解決しよとするのも
「これも、次なる新たな課題を生み出す、欲なのだ」と止めるべきなのか。
我々が、自身や次世代の「よりよき未来」を望む努力など、ムダなのか。
そんなことはない。
というのが、僕自身の勝手な考え(解釈)です。
解釈は、ヒトの数ほど起こり得るものですし、
様々な解釈は、独自にその人達がもつもの。
「解釈をすべきでない」という解釈もふくめて。
そして、他人の解釈に対し、あーだこーだ"解釈"することも、
その当人の勝手な解釈であり、他の人にも預かり知らぬもの。
地球も宇宙も求めてすらないのに
かってにヒトが「我々の活動で汚れている地球を元にもどさねば!」
というのも、いわば地球さんには知ったこっちゃない
"勝手な(独り善がりな)解釈"かもしれないように。
そして、僕という独り善がりな解釈は下記です。
せっかく、"知恵"を与えられた以上は、少しでも
"延命"に繋がる貢献を、なにかしたして朽ちたい。
それこそが、「課題解決」という
ただ報酬の喜びを得たいがゆえだったとしても。
番組の中で語られてたアイデアとしては
際限なく膨らみうる我々の「課題解決」の欲に対して、
何を"解決すべき課題"かの設定を設けるのが大切では。
というものです。
場合によっては、ある「課題」は、
解決しようとせずに受け入れる、という選択肢を持つ、
ということだと思います。
いわば、「課題に向き合い解決する」本能は大切にしつつも
何かしらの「ガイドライン」を持つのが、
"延命"に繋がるヒントになるのでは。と。
どういうガイドラインが良いのか?
アレコレ言い出すと、それこそ際限なく「解決すべき」課題がうまれるので、
できるだけ、シンプルな考えがよいのでは。
僕なりの(今時点での浅はかな)解釈は、
「想像力をたくましくし、他を害さない」
です。
"他"は、ヒトだけでなく、菌や地球全体や、宇宙も含めた全てです。
時に現代の「課題」とその解決は、
”自分ばかり”に向きがちかもしれません。
富を得たい、名声を得たい、美を得たい、権力を得たい。
いい家に住みたい、モノを持ちたい。
良い学校に子供を通わせたい、良い仕事につかせたい。
これらは、決して「悪い欲」とは言いませんが、
時に「手にしようとすることで、他を害する可能性がある」ものかもしれません。
生きる土地にも、食べられる食物や飲める水にも、本来「枠」があります。
(先進国と呼ばれる国にすむ現代の人には感じにくいですが)
学校も会社も「枠」があります。
何かを手にする幸運を、けっして自ら捨てなくてもよいのだけれど
それは誰かの何かから奪った可能性はゼロではなく、
ならば、積極的に、他に還元を目指していく。
その「他」の想像力をふくらましていく。
仮に地球の資源が足りなくなってきたから
月に原発を作ったり、月の資源を利用してこうとして、
長い目で、結果地球に悪影響が出ないとも限らない。
限界はあるものの、想像力をたくましくして
いまの「自分」にとってはうれしいかもだけど、
どこかで「他」には害を及ぼしうるかも。
そんな少しの「思いやり」が育てば、
見境なく「自分が〜」と課題解決に貪り続けて
結果自分や将来の世代に大きな課題を残しにくくなるのでは。
新たな課題を生み出すことは不可能だったとしても、
「我がまま」だけによる課題は減らせるのでは。
「他を害さない」など、何千年も前から、
宗教でも哲学でも心理学でも科学でも道徳でも、
あたりまえに「知恵」として残されてきた考えだと思います。
「思いやり」や「慈悲」や「他者への愛」などなど。
何千年も前から残っているのは、
それが過去の人類が悩みながら求めてきた
より確からしい答えの方向性だからなのでは。
あとは、現代や次世代のヒトが、
「どれだけ上手に、その知恵を実践をしていけるか」
「自分ばかりにならず、他を思いやる生き方を、
より上手に進めていけるか」
それ次第なのかもしれません。
いまは、そう感じにくいかもしれなくても、
我々は、何千年もかけて、ゆるやかに少しずつ
「上手になってきている」途上にあるのでは。
そう信じて、自分も実践をしていこう。
と、そんな風にいろいろな考えをもたらしてくれる番組でした。
ここまでが、第一回目の番組での主旨と、
自分なりの考えでありますが
二回目の番組は
このヒトという動物は、
一方で、なぜ「戦争」をやめられないのか。
殺し合ってしまうのか。
なんなら、"より効率的に多数を殺す"という課題を
新たな武器の開発により解決しつづけながら、
生きているのか。
そんなテーマの内容になります。
そちらについては、また別なブログでまとめさせてくださいませ。
今日もお付き合いくださり、有難うございます。