(補足)仏教って、ややこしいモノなのじゃないの? - 日常で役立つ、やさしいブッダの教え11

このパートは、直接的な「ブッダの教え」についてではなく、その教えがどのように現代につたわってきたかを解説する補足の内容です。


知識メインで実践的な内容ではありませんので、メンドクサイと思ったらスキップしてくださって問題ありません。


が、


「仏教って、シンプルなの?なんやらもっと複雑な意味深い教えなのでは?」


と疑問を持つ方には、その補足としてご覧頂ければと思います。



そもそも、現代で我々が触れている「仏教」は、様々な「仏教経典(お経)」が元になっています。


ブッダが実際に教えを説いたのは約2500年も前ですので、当然ながら現代人は誰も本人の口からは直接教えを聞いていません。


かつて、ブッダから直接教えを聞いた弟子たちが「ブッダがこう語るのを聞いた」内容を、ブッダの死後も口伝で伝え続け、彼の死後数百年たってからようやく、文章としてまとめられた内容を元に書かれたのが「仏教経典(お経)」です。


初期に生まれた「経典(お経)」は、「ブッダが語った言葉」が、短い句からなるシンプルなものです。


その後、時代が流れるとともに初期に生まれた「経典(お経)」に対する考察も深まり、それぞれの時代の思想や文化の影響も吸収しながら、より学問として体系化された「ブッダの教え」や、新たな解釈を元にした「ブッダの教え」が生まれ、それらが、新たな「仏教経典(お経)」が書かれていきました。


中にはブッダの死後500年以上たってから生まれたであろう「経典(お経)」もあります。


それらは、初期の「経典(お経)」と同様に「ブッダがこう語るのを聞いた」という文章で書かれてはいるものの、初期のお経に比べて専門的な用語も増えていき、ブッダへの崇拝が深まるなかで、神格化されたブッダが登場する壮大な神話的な物語調の「経典(お経)」も増えていきました。


「それって、ブッダが言ったことじゃなくって、後世の人が考えた事が「仏教経典」になっているんじゃないの?ブッダの教えじゃないのでは?」


僕も仏教を学び始めて感じた最初の疑問が、コレでした。


そのうえでたどり着いた、僕なりの理解はこうです。


そもそも初期にまとめられた「経典」ですら、ブッダの時代から100年以上、口伝で伝えられてきている以上、「どれが本当にブッダが言った事か」は、誰にも突き止めようがありません。


でも、ブッダの教えの特徴は、一つの視点にとらわれない考え方をする立場であり、幅広い解釈を生みうるもの。


その包容力の深さこそが、様々な解釈の新たな「経典」を生み出したのでは。


そして、様々な経典を読んでみても、描かれている「ブッダが語った内容」は様々であっても、そこでは、ブッダの語ったとされるコアの教えは共有されている。


そのコアの教えを保ちながら、さまざまな時代背景の中での、より受け入れられやすい工夫としての、新たなストーリーを加えられながら、「迷いや苦悩に囚われず、心の平安を手に入れる考え方、生き方 」を目指したが故に生まれたのが、様々な「経典(お経)」ではないか。


そう、考えています。


ここでは、様々な「経典(お経)」が生まれた土台になった、初期にまとめられた「経典(お経)」にフォーカスして、説明をさせて頂きます。


理由は、初期のお経は、 1)よりシンプルで日常的な内容が多く、日常での実践でより参考になるから

2)様々な経典のオリジナルだからこそ、教えのエッセンスが詰まっていると期待できるから思うから


です。


なお、日本に伝わった仏教は、ブッダの死後1000年近くたってから、インド→中国→(朝鮮半島)→日本と渡った「仏教経典」が元になっているとされています。


※「大乗仏教」と呼ばれる経典らです(維摩経、勝鬘経、般若経、法華経、華厳経、浄土三部経 etc…)。これらは主に、中国、朝鮮半島、日本、チベットと、北方で広がりました。これらに対し、初期の経典を元に南方(インド、スリランカ、ブータン、ミャンマー、タイ、etc)に広まった仏教は「上座部(長老派)仏教」と呼ばれています。初期の経典の中でも、より最初期に書かれた、つまりブッダ本人がいた時代に近い時代に書かれた経典を元にした仏教を「原始仏教」「初期仏教」と呼んでます。ここの内容は、基本「原始仏教」にフォーカスしております。


その当時の中国では、インドを中心に生まれた様々な「仏教経典」のなかから、シンプルな初期の経典よりも、学問的に体系化された中期以降の経典を重視していた背景から、日本に渡された経典(お経)も、中期以降のものがメインだったようです。


ですので、お経も、初期のものに比べると、学問用語も多く、内容も難易度が高い。


しかも、日本で今も読まれている「経典(お経)」は、元々古代インド語で書かれた経典を、中国で漢語に翻訳したものを漢語のまま読まれ続けているものなので、「お経」を聞いても現代人には理解できない。


さらには、日本に仏教が伝わって現代まで1500年ほど経つ中で、当初から存在していた神道や修験道からの影響もあり日本独自に発展した仏教の要素も加わった。


そんな訳で、現代の日本人からは、すこし「仏教」が複雑なものとして感じられるのですが、それらの土台となっている、初期の経典で残された「ブッダの教え」は実はとてもシンプルだと思います。


仏教 = ブッダの教えでも、「自己の見解は、偏よりに縛られていると知りなさい」とあります。
※スッタニパータ781、784-787句


「仏教は難しいモノ」というのも、自分の偏見なだけかもしれませんね。


ご参考になれば、幸いです。





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