川の向こうへ


 ミャンマー最大都市、ヤンゴンを流れるヤンゴン川

ブッダの髪が祀られているピカピカな黄金のパゴダ(仏塔)がある拓けた街の対岸には、ヤンゴンでも最下層と言われる暮らしをする人々の集落があります。

川の手前と向こうでは、風景は大きく変わります。

たくさんの近代的な都市に対して、「川の向こう」は一見何もないジャングル。


ミャンマー現地の方々は、「川の向こう」に対し「あそこは不法占拠して住んでいる奴らがいる」「危ない、行かないほうがいい」と口にする場所です。

今回自分がミャンマーに訪れた目的の1つは、クーデターで軍政権になり、まだ内戦も行われている中、どのような困難をされている方がいらっしゃるのかを学びに行くというものでした。

幸いに、ここ数日様々なお寺を案内してくれている日本語もペラペラなAさんが「行ってみましょう。私もああいった所で暮らした体験ありますので」と連れて行ってくださいました。

彼女は若くして活躍する女性経営者なのですが、かつて尼様に出家した経験もあり、見た目からは想像できないようなタフな体験をしている素晴らしい方です。

小さなボートで川の向こうに近づくと、木々の間に、川の上に竹の土台だけで建つ、頼りない家がいくつも見えてきます。





僕らとAさんが乗ったボートが近づくと、川岸の方が少し怒ったような顔で、アッチ行けという仕草をしているように見えました。

「Aさん、やはり僕らのような人間には来てほしくないのではないでしょうか」というも、
Aさんは諦めず、もう少し先に行ってみましょうとのこと。
そして、その先で川の上でボートで作業する女性にAさんがミャンマー語で何やら話しをし始める。

色々と話してみて、Aさんは船頭の方に何か話すと、僕らのボートはおもむろに徐々に川の向こうの川べりへと近づいていく。

すると川岸に人々があつまり、僕らのボートを川岸につけるよう、他のボートを移動したり、僕らのボートを引き込んでくれたり。

「みんな、やさしいですよね」とAさん。
どうやら、「川の向こう」へと上陸をさせて頂けるようだ。
Aさんが説明をしてくださったことで、受け入れてもらえるようだ。

川べりでは、沢山のゴミが川に浮いており、川岸もゴミだらけ。
そこに、川に突き立てた細い竹の骨組みを土台に、同じく竹で組まれた、いかにも頼りない家が沢山ならんでいる。

無事にAさんと川岸に到着すると、僕らを囲んで集まって来た方々の中から一人の女性とAさんがお話しをし、集落の奥の方へと案内をはじめてくれました。

ゴミだらけの川岸の上に、2-4本の竹で作られた細い「渡り廊下」が作られて、そこでどんどん奥へと案内されていく。

これが慣れないとなかなか歩くのが難しい。バランス感覚が要求される。
「川が増水すると、地面が水没するので、このような渡り廊下になっているんです。この渡り廊下も水没します」とのこと。


竹の渡り廊下の両側には、少しの嵐で簡単に崩れそうな簡素な家が実に沢山が並んでおり、家の中に沢山の人たちが暮らしている。
小さな子どもも多い。

外国人で黄色い衣をまとったボウズ頭の人間である僕が珍しい事もあり、怪訝な顔で見つめる人や、好奇心で覗きにくる子供たちも増えてくる。

そのうち、Aさんが、僕らを先導してくれている女性と話し、「こちらのお家に上がってくださいとのことです」

そこのお家にあがらせてもらう事になりました。

細い竹で組まれた床は、隙間から川面が見え、ところどころ、体重をかけると足が沈むように、頼りなない床を歩き、奥へ入らせて頂く。

そこでは、7-8名の方々が料理をし談笑をされていました。



僕が入ると、わざわざスペースを空けて、座る場所に敷物を用意くださり、お家に住む皆さんに囲まれ、色々とお話しをさせて頂くことに。

そして、みなさん、自分ごときに合掌して手を合わせてくださる。
仏教というものが生活に浸透しているのを、あらためて実感をする。



彼女ら、彼らは、元々、ヤンゴンから遠く離れたミャンマーの地方で農業で雇われで働き暮らしていたが、2008年の大規模な台風の災害で家も失い生活ができなくなり、流れ流れ、難民としてヤンゴンへとたどり着いたそうです。
地元の自治体に相談しても、支援はなく、生き延びるためになんとかせねば、と大都市ヤンゴンに来れば、何かしら生活ができるのではと期待を持ち、遠く移動したどり着くも、ヤンゴンでも政府からは支援がなく、むしろ「ここで生活したいならお金を払え」とのことで、やむなく、「不法占拠」と呼ばれる形ですみ始めたのだそうです。

家も自分たちで作れる人もいれば、建てるだけでもお金がそこそこかかるので、賃貸している人も。
川に近い家ほど賃貸は安く、川が増水すると、床上まで水があがり、夜中寝ている時に増水して溺れて無くなる方もいたり、みんなで家の中で立ちながら、腰まで水に浸かり眠りつつ起きつつ夜をすごすこともあるそうです。

集落には畑を持てている人もいるものの、家族が食べるには足りなく、お金を稼がなくてはならない。
拓けた街のある川の対岸へと船賃を払ってわたり、一日数百円の日雇いの荷物運びなどの仕事をしてお金を稼ぎ、わずかな米を毎日、その日食べる分だけ買って、家族でシェアして食べる毎日。お米も、長いこと水に浸けて、ふやかしてかさを増してから食べる。

お米以外は、お魚が川で取れればそれを食べる。一日1食が普段の生活。
ちいさな子供たちも、一緒です。

当然、電気もありません。生活のための水は、茶色く濁った川の水。小さなガスコンロで調理をして、油も「喉がいたくなる」という粗末なものを安価で手に入れて使っています。

時期によっては川の水が海水があがって塩辛くて使いにくくなることもあり、魚もとれなくなるとますます食事は細くなるとのこと。

子供たちの教育は、近くに学校はできたものの、機能はしておらず、たまに先生が来てくれて教えてくれるとのこと。

「大変苦労しながらも明るく生きていらっしゃる姿は、素晴らしく、大変頭が下がります。とても多くの困難があると思いますが、その中でもどのような事が特におこまりでしょうか」

そう質問すると、みんな顔を見合わせて笑いながら
「何から話そうかねぇ…」

やはり最初に出てきたのは、食事が1日1食だけという現実でした。
僅かな日雇いで稼ぐも、対岸へ出稼ぎに出る船賃、食費、調理用の油代、人によっては、住む家も「賃貸」、家も増水で流される時もあると、修繕費。
まさにその日暮らしだそうです。

でも、みなさん、明るく、過ごしていらっしゃる。
大変感銘を受けながら聞いてみると、ここですでに10年ちかくこうして暮らしているとのこと。

僕が最初タイのお坊さんと思っていたみなさんは、日本人だと分かると
「ここに来て頂いた日本人は初めてです」とのことで、ボウズ姿ということも有り、「来てくださって大変有難うございます」と言葉を頂き、とても恐縮してしまいました。

「今日は、みなさんが日々どのような苦しみの中で頑張っていらっしゃるかを学ばせて頂きに参りました。まずは、自分を暖かく受け入れてくださり、大変有難うございます。僕は今は何もできる身ではありませんが、この学びをどのように恩返しできるか考えさせて下さいませ」

そう伝えて、家をあとにさせて頂きました。

「もう少し先に行ってみましょう」とのAさんの言葉で、更に竹の渡り廊下を進んでいく。

すると、家の前に出て、ずっと僕に手を合わせて見つめてくる男性がいらっしゃる。

Aさん「龍光さんの姿をみて、自分の家に来てくださるようにと、ずっと手を合わせて待ってくださっていたそうです」

とのことで、ココライさんという名前のその方のお家に「ぜひあがってください」とのことでお邪魔させて頂くことに。

家の中にキレイに飾られている小さな仏壇が、ココライさんの信心深さを教えてくれる。

僕がここに来た目的をお話しするとココライさんは

「自分にとって、日本は一生、行くこともない遠い国です。でもそこからわざわざ、ここに我々の生活を見に来てくださって頂いた事が嬉しく、大変有難うございます」と
まっすぐな目で僕に語りかけてくださいました。

聞く所によると、ここに足を踏み入れる方は、国の方も現地の方も、もちろんお坊さんもほとんどいないようで、外国人で衣すがたの自分はたしかに異色な存在に写ったのだと思います。

「今回の訪問では難しいですが、次回来る時は、何かみなさんのお手伝いをさせてください」と僕がお伝えすると

「次回こちらに来る時には、泊まる場所や食事や、ここでの案内など全て申し付けてください。なんでも致します」と逆に僕に対して心遣いを頂いてしまう。

ココライさんも決して食事が恵まれている訳ではないのに関わらず、このような有難いお申し出に大変胸が熱くなり、
この地にはまた何かしらの形で恩返しに来なければと強く感じ入る。




このような、川上の集落は、ヤンゴンには他にもあるようで、一部は撤去をされまた散り散りになっているそうです。

もちろん、国家としては「違法占拠」として、対策もしないと行けないものと思います。
他の住民からも「あそこは危ない」という、好ましくない目でみられている方も少なくないかもしれません。

でも、そこで、何かしらの理由があって、苦しみながらも必死に生きようとしている方がいるのは事実。

そして、その根っこは、決してその方々が怠けているのではなく、災害のキッカケによって貧困になり、貧困がゆえに、経済的に不利な状況が続き(日雇いしか仕事がなく、自分の家を建てるだけのお金もなく賃貸を払い続けざるを得ず、移動にもお金がかかりなど)、食も細く、教育も限定的で、生活を向上するキッカケがつかみにくい。

決して、贅沢を望んでいるわけではなく、川の増水や、雨季など、自然条件がタフな時でも、より安心して食べていける環境を望んでいるだけ。

新ためて、これだけで技術が発展しているとされる現代でも、結局は人は自然に翻弄されて、自然の少しの変化で、簡単に困窮に陥るものだという事実を突きつけられます。

世界で、困っている方々は、彼女ら彼らだけではない。
ヤンゴンやミャンマーにも、他にも困難な生活で苦しむ方々は恐らく沢山いらっしゃる。

それでも、ココライさんのように、僕にとっての何かの縁が生まれた。

何ができるかは全く分かりませんが、まずできることから行動を起こしてみたいと考えております。

中村哲先生も仰っていた「一隅を照らす」。

自分が出会った縁の中で、何かできそうな範囲で行動を起こしてみたいと思います。

ダラーの集落からボートで、「川のコチラ側」の拓けた街に戻る時、ココライさんと奥さんはボート乗り場まで見送りに来てくれて、見えなくなるまで、手をお互い振ってお別れをしました。


次にミャンマーを訪れる機会を頂いた。そのご縁を頂いたのだと、勝手ながら感じております。

大変に有難い体験を頂いた恩を、お返しできるように、精進したく思います。

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