投稿

そもそも不安とは - 龍光ブログ

 そもそも不安とは - 龍光ブログ 不安とは何なのか どこから生まれ どこへゆくのか どう向き合えばよいのか そんな親友からの問いかけにより 今年2月に福岡にて行わせて頂いた 「そもそも不安とは」のお話し会。 その時のスライドを下記、シェアさせて頂きます。 ハゲアタマになって1年4ヶ月の間に体験した 四国お遍路や、ミャンマーの訪問の経験からの学びもふまえ 自分なりの「不安」というものをお話しさせて頂きました。 不安は、腹から湧き起こる なんだかキモチのわるいモヤモヤの感情。 ソレをアタマで捉えようとするから、かえってモヤモヤが増す。 だって、アタマは考えて判断するだけの器官。 モヤモヤが起きてるのは腹なのです。 なので、アタマでどうこうしようとせずに ただ腹で、五感で、身体で感じるままに受け、流していけばよい。 そんなくだらない内容です。 参考にさせて頂いた本として 三木成夫さんの「内臓とこころ」 僕のスライドより、よっぽど価値ある事が書かれております。 何かのお役にたてば幸いです。 そして、そんなモヤモヤに対する より具体的な「不安」への対処方法としては下記 「 苦しみから離れるために、誰でもできる日々のオススメ by 龍光 」 もご参考くださいませ。 世に数多ある苦しみや不安やその対処法のなかで ささやかな一助になれば このうえなき有難きことです。 今日もお付き合い頂き、有難うございました。

アリストテレスが説く「幸せな人生をおくるには」

アリストテレスが説く「幸せな人生をおくるには」 - 龍光ブログ 人生全体を通して「幸せだった」といえる生き方をするには どう生きたらよいのか。 「一時的な幸せ感」ではなく 「人生全体をとおしての幸せ感」を得るにはどうすればよいか。 "アリストテレス"が、約2300年ほど前に答えてくれています。 アリストテレスは、紀元前300年代のギリシャにて 宇宙論、物理学、生物学、政治学、哲学などを説いた "万学の祖"ともよばれるスゴい方。 そのアリストテレスが 「幸せ」 について語った講義は 現代においても、とても役に立つのでは。 そう思い、自分なりに、なるべくやさしくまとめてみました。 あくまで、シロウトのブログですので、間違いなどご容赦くださいませ。 ----- まず大切なことは アリストテレスの語る「幸せ」は 「一時的な幸せ感」ではなく 「人生全体をとおしての幸せ感」。 大きな富を手にしたり 恋人や結婚相手と巡り会えたり ビジネスや人生での目標を達成したり 何かの発見をしたり 名誉を獲得したり…。 そういった時の「幸せ感」は その時だけの実感でしかなく、 一生続くわけではありません。 死ぬまでの人生の全体を通して、 実感として 「充実していた」「幸せだった」 と感じられる生涯を得るためには どうしたらよいか。 アリストテレスの結論は 「善い行為の継続」 である、と解釈しております。 ※"さまざまな徳に基づいた行動の継続"とも言えると思います。 そもそも 「人生全体をとおして幸せ」になるといっても、 今は、まだ人生の途中です。 「全体をとおした人生」となるのは、 ずいぶん先のお話しです。 まず、いま、ここで、どうするか。 人生は、今の積み重ねでしかありません。 では、人生を通した幸せを得ていくために、 どうしたらよいのか。 まずは、富を得れば… などと考えがちですが、 富を得る行為は、 その時においては幸せ感をもたらしてくれるかもしれませんが それはあくまで一時的な感情。 そもそも富は、あくまで「他の何かを為すため」のものでしかない。 権力、富、強さ、美しさは 単なる「可能性」でしかなく 善き方向に活用されないかぎり 善いものとは言えない。 しかも、それらを得ても、その後失うこともある。 仮に富や名声や地位などを手...

103歳のLINE友達より頂いたもの

イメージ
 103歳のLINE友達より頂いたもの - 龍光ブログ 僕の最年長の"LINE友達"は 福岡に住む"ますこおばあちゃん"です。 103歳。耳はすっかり遠くなりましたが、お元気です。 福岡に講演を頂いた脚で、今年もご挨拶に伺ってきました。 「今か今かと待っている"お迎え"が、マダ来ないのよ。 "お迎え"のかた、どこかで道に迷っているんじゃないかしら」 と、チャーミングな笑顔を見せつつ いまでも毎晩ウィスキーを欠かさない。 会うだけで、幸せな気持ちとエネルギーを頂ける方です。 「これが最後になるかもしれないけど、また日本に来る度に ここに寄って、挨拶にいらしてくださいね」 「お身体大事にしてくださいね」 別れ際にそう御言葉を頂き、 胸にこみ上げるものがありました。 そんな、ますこおばあちゃんの生まれは 1920年(大正9年)。 "1920年"を調べてみると、 第一次世界大戦の反省から、 史上初の国家連合となる"国際連盟"が誕生した年であり、 世界恐慌がはじまった年。 が、その世界恐慌により、 また世界は混乱を迎え、 結果、第二次世界大戦へと突入していくことになるのでした。 そして、その第二次世界大戦によって、 ますこおばあちゃんの旦那さまは、 左脚を失ったのでした。 まだ、ますこおばあちゃんと出会う前の旦那さまは、 第二次世界大戦により軍に徴兵され、 "史上最悪の作戦"と呼ばれるインパール作戦が行われ 19万人もの戦没者をうんだ 戦地ビルマ(現ミャンマー)に送られ、 そこで戦闘により左脚を失い、 命からがら日本へと帰ってきた。 そして、片脚の運命を背負ったからこそ、 その後、ますこおばあちゃんとの出逢いが生まれ 結婚に至ることになったそうです。 すでに、ますこおばあちゃんの旦那様は亡くなって久しく、 僕は直接お会いしたことはありません。 でも、ますこおばあちゃんとのご縁があったからこそ これから、ここで紹介させて頂く ますこおばあちゃんの旦那様の肉筆による "戦争体験の手記"を読ませて頂くこととなり、 その強烈な印象があったからこそ、 僕は今年1月、"不要不急の渡航中止"とされる 内戦下のミャ...

苦しい時はチャンスタイム

 苦しい時はチャンスタイム - 龍光ブログ 「苦しい時をポジティブに捉えろ」などという 精神論ではありません。 苦しいときは頑張らなくたっていいんです。 泣いたり、わめいたり。 これはとても効果的だと思います。 なぜなら、"息を吐き出す"行為につながるから。 苦しいときは、実はカラダがこわばって、 うまく息を吸えてない。 その前に、息をうまく 吐けて ない。 身体の筋肉(横隔膜など)が、 こわばってしまいがちだから。 息を吐き出せなければ、 肺の二酸化炭素はうまく逃げてくれないので どれだけ息を吸おうと頑張っても、 フレッシュな酸素ちゃんは入ってきてくれない。 だから、苦しい。焦る。 溺れているような状態。 焦るから、さらに身体がこわばる。 さらに吐けない。だから吸えない…。 これが、「苦しみが増す」生物学的な現象なのでは。 だから、泣く、喚く、愚痴を吐く (これらは、すべて息を吐き出す行為ですが) もしくは、単に深呼吸して"吐き出す"。 できるだけ、ながーく、吐き出す。 それが、苦しい時の処方箋では、 と考えております。 と、さっそくタイトルから逸脱した内容をながーく吐き出してしまいました。 さて、本題のタイトル。 苦しい時は「チャンスタイム」 について。 これは、 みなさまから頂く苦しみのご相談にお答えする際、 よくお伝えするコトバです。 筋肉は、傷が付くから育っていく。 その過程では「筋肉痛」という痛みが生じる。 ココロだって、同じだと想うのです。 苦しみ、悲しみ、怒り…。 さまざまな感情が沸き起こり、ココロは苦しむ。 でも、ココロが傷つくからこそ、 ココロは、より深く、大きく、強くなっていける。 そして、誰かほかの人の苦しみにも共鳴してあげられるココロが育っていく。 そう、勝手ながら考えております。 繰り返しですが、苦しいときは、 まずは吐き出せばいいのです。 オェーっと、トイレに流してしまえばいいのです。 溜め込まないほうがいい。 肺の二酸化炭素と同様、 苦しい感情も、吐き出してこそ、リフレッシュできる。 でも、苦しみだって、役に立つ。 苦しい、傷が、自分を強くしてくれているのだ。 いま、ココロが育っている最中なんだ。 そう想うと、すこしココロが軽くなるのでは。 そんな風に考えております。 単に"脳内お花畑...

ご利用はお気軽に

ご利用はお気軽に - 龍光ブログ 「龍光のご利用は、みなさまお気軽にどうぞ。」 以上。 です😂。 ときどきX(twitter)上で 「〜の場所に数時間ポカーンとおりますので ご興味あればご活用くださいませ」 と投稿し、ポカーンとしている事があります。 そこにお越し頂いた方の中には、 「龍光さんって、実在するんですね」 と、存在確認にお越し頂く方もいらっしゃいます。 大変に有難うございます🙏。 その中でも多い声として 「自分が龍光ポストにお問合せしたり、 このように実際に会いに来て 何かを相談するのが申し訳ない」 というものです。 自分としては 「どなたかのお役にたてるかもしれない機会を頂く」 のが大変に有難い、とそう思っております。 誰からも相談もなく、誰も会いに来なかったら なーんにも役に立つことなく 文字通り、ただポカーンとしているだけで朽ちる存在です。 それでも、特に困ることなど無いのですが、 何か少しでもお役に立てるかもしれない機会があるだけで 自分としては、心の底から有難いと感じております。 龍光ポストへのお問合せや、実際に会いに来て頂く中でのご相談は、 内容も実に様々です。 一部の方は 「こんな内容ごときで、相談してしまってよいのだろうか」 とおっしゃいますが、 その方にとって悩ましくモヤモヤするものであれば、 その方にとっての大切な事柄なのです。 遠慮などまったく必要ありません。 僕の友人の中には 「四十肩が治らないんですが」 「引っ越し手伝ってほしいんですが」 そういった、冷やかしのお便りを送ることもありますが それすら有り難く、長文でお返事をお戻ししております😂。 ですので、みなさま ご遠慮なさらず、 龍光のご利用はお気軽に。 以上。でした。 今日もお付き合い頂き、有難うございました。

祈りについて

 祈りについて - 龍光ポスト おはようございます。 まだ暗い福岡の朝よりお届けです。 日々、「 龍光ポスト 」に様々なご相談を頂く中で ときに、大変切なく、心の向かわせようが難しい苦しみに出会うこともあります。 自分ごときができることなど、何もないのですが それでも、少しでもご相談者の方の心を和らげられないか。 そんな思いで、自分なりのコトバをお戻しさせて頂く日々です。 そんな中で、自分の心の中で生まれてきた "念じる"、"想う"、"祈る" という感情について 久々にポッドキャストとして、収録してみました。 祈りについて - 龍光ポスト on Podcast テキスト(記号)としての、ここに並んでいる"コトバ"で伝えられることなど とても限られているため、肉声としてのコトバの方が、 この頼りない"コトバ"では表現が困難な"感情"を伝えられるかなと想って、 声に出してみました。 得度する1年4ヶ月前までは、無宗教で "祈り"など非科学的な意味の無い行為と思っていた人間が 誰かのことを"想い"、"願い"、"祈る"という行為を 毎日のようにするようになるとは。 人生とは不思議なものです。 それは意味があるとか無いとか、アタマで分析するものではなく カラダで、内蔵で、感じるモノ。 そんな風に捉えるようになってきております。 そんな戯言、ご興味あれば、お聞きくださいませ。 今日も、皆様の日々に、おだやかでおもしろき時間が溢れますようよう。 勝手ながら、ささやかなハゲボウズながら お祈りさせてくださいませ。

"ゴミ拾い"は"いのち拾い"

昨日、まとまった自由な時間が生まれたので、 ご希望があればどなたでも面会にお越し頂けるよう 渋谷にて自分の居場所をX(twitter)上にお伝えし、 数時間ポカーンと座っておりました。 大変有難いことに、Xでの投稿をご覧頂いて 以前「龍光ポスト」でご相談にお応えさせて頂いた方々や 宇都宮からわざわざ来てくれた学生達や 通りかかりで何となく立ち寄って声をかけて頂いた方や、 駆けつけてわざわざ僕のソフトクリームをご馳走くださる方や 様々な方々がわざわざお越し頂き、 いろいろとお話しさせて頂き、 自分も大変勉強になるお話し合いをさせて頂きました。 お越し頂いた方々、改めて大変有難うございます。 そして、面会をご希望のご連絡を頂きながらタイミングが合わなかった方々 またの機会を楽しみにしております。 さて、そんな中とくに印象深いご縁があったのでご紹介です。 宇都宮から来て頂いた学生お二人とお話ししている中で ちょうど道の向こうから ゴミ袋とトングを持ってゴミ拾いをされていらっしゃる女性が歩いてきたので 「(ゴミ拾い)有難うございます」とお声がけをしたところ、なんとその方も わざわざ自分に会いに起こし頂いた方でした。 そして、その方からは大変に含蓄のある深いコトバをたくさん頂くこととなり 自分も大いに勉強させて頂いたのですが、 中でも 「ゴミ拾いは"いのち拾い"」 というコトバがとても印象に残るものでした。 宇都宮からの学生たちがその方に 「なぜゴミ拾いをされるのですか?」 という問いに対する答えが、そのコトバでした。 「本来、役に立つかもしれないのに、 路上に捨てられているモノたちを 役立つ場所に戻してあげる」 ペットボトルや紙ゴミなども、リサイクルすれば、 また新たなモノとして活躍ができる。 ですが、路上にポイ捨てされている。 そんな子たちを、彼ら彼女らがまた役に立てる場所へと 生命を拾い、元に戻してあげている。 そんな意味での 「ゴミ拾いは"いのち拾い"」という表現をされていらっしゃいました。 (自分なりの解釈なので、その方の本意とズレてしまっていたらごめんなさい) それは、単なる「道をきれいに」という概念を超えた ゴミ、と呼ばれるモノに対しても、 ある種の人格を感じてあげる感性と心の豊かさに 大変感動しました。 モノを大切にする...