"ゴミ拾い"は"いのち拾い"
昨日、まとまった自由な時間が生まれたので、
ご希望があればどなたでも面会にお越し頂けるよう
渋谷にて自分の居場所をX(twitter)上にお伝えし、
数時間ポカーンと座っておりました。
大変有難いことに、Xでの投稿をご覧頂いて
以前「龍光ポスト」でご相談にお応えさせて頂いた方々や
宇都宮からわざわざ来てくれた学生達や
通りかかりで何となく立ち寄って声をかけて頂いた方や、
駆けつけてわざわざ僕のソフトクリームをご馳走くださる方や
様々な方々がわざわざお越し頂き、
いろいろとお話しさせて頂き、
自分も大変勉強になるお話し合いをさせて頂きました。
お越し頂いた方々、改めて大変有難うございます。
そして、面会をご希望のご連絡を頂きながらタイミングが合わなかった方々
またの機会を楽しみにしております。
さて、そんな中とくに印象深いご縁があったのでご紹介です。
宇都宮から来て頂いた学生お二人とお話ししている中で
ちょうど道の向こうから
ゴミ袋とトングを持ってゴミ拾いをされていらっしゃる女性が歩いてきたので
「(ゴミ拾い)有難うございます」とお声がけをしたところ、なんとその方も
わざわざ自分に会いに起こし頂いた方でした。
そして、その方からは大変に含蓄のある深いコトバをたくさん頂くこととなり
自分も大いに勉強させて頂いたのですが、
中でも
「ゴミ拾いは"いのち拾い"」
というコトバがとても印象に残るものでした。
宇都宮からの学生たちがその方に
「なぜゴミ拾いをされるのですか?」
という問いに対する答えが、そのコトバでした。
「本来、役に立つかもしれないのに、
路上に捨てられているモノたちを
役立つ場所に戻してあげる」
ペットボトルや紙ゴミなども、リサイクルすれば、
また新たなモノとして活躍ができる。
ですが、路上にポイ捨てされている。
そんな子たちを、彼ら彼女らがまた役に立てる場所へと
生命を拾い、元に戻してあげている。
そんな意味での
「ゴミ拾いは"いのち拾い"」という表現をされていらっしゃいました。
(自分なりの解釈なので、その方の本意とズレてしまっていたらごめんなさい)
それは、単なる「道をきれいに」という概念を超えた
ゴミ、と呼ばれるモノに対しても、
ある種の人格を感じてあげる感性と心の豊かさに
大変感動しました。
モノを大切にする、とか
丁寧に扱う、といったお話しはよくあるのですが、
「生命」という表現をして
「役立つ場に戻してあげる」
という思いやり。
ブッダのお弟子さんで、物覚えは非常に悪いながら
ひたすらお掃除をする中で悟りを得たという方のエピソードがありますが、
何を行うにしても、どのような心持ちで望むかで
大きく人の考え方も世界の捉え方も変わりうるのだ、
そう、大きな学びを頂きました。
前世(得度前)の自分なら、
路上でゴミ拾いをしてくださっている方を見ても
有難いな、素晴らしいなと想いつつも、
ほぼ背景の一部として、声をかけることなど全くなく
ただやり過ごしておりました。
自分もたまに路上のゴミ拾いをする生活に変わって、
そういった方と会話をさせて頂く機会を得たからこその
あらたな視点、学びでした。
大変に、有難うございました。