幸せには2つあり、1つしか追いかけてない - 龍光ブログ
幸せには2つあり、1つしか追いかけてない - 龍光ブログ
なにやら、エラそうな触れ込みのタイトルですが、
なんてことはありません。
2300年ほどの、とっくの昔から、
ギリシャのアリストテレスさんが
僕らに教えてくれていたコトの
受け売りでしかありません。
下記、昨日の「心と身体を満たす生き方」
の講演で利用したスライドより
先日のブログ
でも書かせて頂いたのですが、
彼の説く「幸せ」には2つある。と。
1つは富、権力、強さ、美しさなど
「一時的な幸せ感」をもたらすもの。
これらを手にしたからといって、
「人生をとおした幸せ感」(しあわせな人生)が得られるとは限らない。
なぜなら、その後の人生で、これらを失うことだってあるから。
富、権力、強さ、美しさといった
「一時的な幸せ感」は、
あくまで「可能性」でしかなく、
それらをどのように活用するかで
その後も続く人生の「幸せ感」が決まっていく。
つまり、もう一つの
「人生をとおしての幸せ感」を目指すことが大切では。
これが、アリストテレスが教えてくれていたコト。
と、自分のハゲアタマでは薄っぺらに理解しております。
ですが、僕らがイメージし追いかける「幸せ」は
えてして人生の1シーンでしかないのでは。
学校や試験に合格したい。
資産、地位、名声、健康を獲得したい。
彼氏、彼女がほしい。
結婚したい、子供が欲しい。
…
これらを追いかけるのは
もちろん悪いコトではないのですが、
それらを手にした後も人生は続く。
その後の人生をどうしていけるかは、
その「1シーン」で手に入れたモノ(地位や資産や結婚生活など)を
どのように活用するかしだいでは。
1シーンの幸せの姿を追いかけるのは悪いコトでは全くないのですが、
それだけではなく
「人生をとおしての幸せ」も意識して
追い続けるコトが大切なのでは。
じゃあ、「人生をとおしての幸せ」は
どうしたら手に入る?
アリストテレスいわく
「善い行為の継続」
だそうです。
※「さまざまな徳に基づいた行動の継続」とも表現されてます。
どゆこと?
ちと抽象すぎてわかりにくいのですが
自分の前世(得度前)と現世での
「身体と心の満たされ」をまとめる中で
「こういうコトかも」という
小さき気づきが下記です
前世での自分は
身体の満たされは主にランニングにて
心の満たされは主に仕事にて
(毎晩頂いていたお酒は両方において)
「達成感、爽快感、愉悦感」
といったモノを得ようとしていました。
都度「幸せ」は感じられていたのですが
それらは「一時的」にしか続かない感情。
しかも、徐々に「慣れ」が生じると
同じレベルの体験では「幸せ感」が感じにくく
「もっと(強度の高い体験)」を求めていく。
それ自体は健全な向上心とも呼べますが
自分の場合は
「危険なレベルのマラソンレース」や
「飲み過ぎ」
「自分の心を壊すまでの数字への追求」
というように
「もっと」がキリなく膨らんでしまった。
それでも「満たされが続かない」苦しみに
さらに「もっと」となり、
結果ツブれた(そこから逃げるように、捨てた)。
で、ハゲアタマになってから、
どう変わったのだろうかを
イメージしたのが下記。
前世とは正しい比較にはならないのかもしれず
あくまでイメージとしてご覧くださいませ。
靴も全て捨てて雪駄だけなので
今はランニングはしていません。
が、散歩、歩きはたくさんするようになりました。
そして、日常で「呼吸への意識」を行うようになりました。
これは、身体に善い影響をもたらすと、実感してます。
前世での僕は、
ほぼずっと「無意識に呼吸」していた。
呼吸は心臓や腸のように、無意識に働いてくれるものなので、
それは当たり前のコトかもしれません。
が、"意識的に"、呼吸に意識を向けるコトで
ときに身体が緊張して(不安な時など)、
実はあまり息が吐けてなかったり、呼吸が浅くなっていたり
身体や脳にフレッシュな酸素が行き渡っていない状態に
自覚できるようになりました。
※詳しくは 瞑想について - 龍光ブログ をご笑覧くださいませ
今は、朝目覚めて、息がある、紛争や災害に巻き込まれてない、
太陽が暖かい、雨で野菜が育つ、ウンチが快適に出る、
ネ申(妻)に(マダ)捨てられずにすんでいる。
こんな自分に相談をしてくださる方が(たまに)いらっしゃる…。
日常の実に様々なシーンで
「有難いなぁ、これって当たり前じゃなくって
いつだって失われうるモノだよなぁ」
と感謝を実感する日々です。(有難い!)
気がついてみたら、
呼吸、そして、日々のささやかな感謝という行為は、
日々継続して起きている状態のコトなのでは。
前世で「満たされ」を得るためにしていた
ランニングや仕事は、1日中していることではない。
仕事は確かに一日の多くの時間していたとは言っても
仕事中で得られる「達成感、爽快感、愉悦感」は
あくまで一時的な感情でしかなかった。
もちろん、お酒も、ずっと飲み続けられるモノではない。
つまり「一時的な幸せ感」しか産まないモノで
身体や心を満たそうとしていた。
それらが「ずっとの幸せ」を与えてくれると勘違いし、
求め続けようとした。
なので「もっと」が止まらず、膨らみ続け、苦しんだ。
でも、いま、ラッキーなコトにハゲアタマになり
呼吸(空気って美味しいなぁの実感)や、
ささやかな感謝(歩ける脚があるなぁ、まだ息をできているなぁ)といった、
起きていて意識がある限りは
ほぼずっと継続して感じられている「幸せ感」が
実感できるようになった。
前世に比べ、現世では
身体と心を満たす対象が
「一時の行為」から「継続した状態」のモノに変わった。
だから、前世のように「もっと」の炎に焼かれて苦しまなくなり
おだやかな幸せ感をキープできているのかも。(有難い!)
アリストテレスが言っていたような
「善き行為の継続」は
その時の状況に応じた適度さを思慮深く見つけながら
そのときに出来る行為を
分別と節度をもって努力し
外に善を向ける。
その行為を継続する。
といった内容と理解しています。
僕が行っている行為が
はたして「善き行為」なのかはワカリマセン。
が、すくなくとも「一時的」ではなく「継続」できる対象に
意識を向けられるようにはなったから、
一時的な幸せ感ばかりを追い求めてた前世での苦しみから
救われたのかもしれません。
まだ人生全体をとおして生きてないので
人生終わる時には
「全然、幸せ感えられずおわっちゃうじゃん!」
という人生になるのカモしれませんが😅。
未来は未だ来てないので、
それは最終回まで楽しみに取っておきましょう。
ということで、今日もとりとめもなく
長くなってしまいました。
今日もお付き合いくださり
大変有難うございました。



