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ミャンマー僧院滞在記 - 龍光ブログ

ミャンマー僧院体験記 - 龍光ブログ ミャンマー・ヤンゴンのSunlungu僧院に6日間、滞在させて頂きました。 現地の方曰く「ミャンマーの仏教会のハーバード大学」とのことで もっともタフな僧院とのことでした。 尼さんの方が多い印象でしたが、800名ほどのお坊さん/尼さんが滞在しているとのことです。 10歳ほどの小さい子も、男女それぞれおります。 季節的にも雨季前の最も暑い(昼は40℃ほど)季節という、 自分的にはチャンスタイムでの滞在となりました😂。 1日の流れは 4am 瞑想60min 5:30am 朝食 7:30-9:00 托鉢 13:00 瞑想90imn 15:00 瞑想90min 17:30 誦経 18:30 瞑想90min という流れです。 合間に手洗い洗濯をしたり独学をしたり、瞑想したり。 ミャンマーは最も厳格に戒律が守られている仏教国とのことで、 最近までスマホの所持も禁止だったようですが、 ここ最近、所持が認められたようで、僧院でもスマホを利用している方も多くいらっしゃいました。 が、せっかくなので自分は一切ネットに触れずに過ごさせて頂きました。 幸いに、クーラーがついた部屋を充てがって頂き、大変救われましたが、 ミャンマーは毎日何時間も停電しますし、クーラーもさほど効かないほどの体感温度です。 停電の時は真っ暗ですので、唯一のスマホの利用法としてライトを灯りとして トイレにいったり、移動をしたりします。 非常に多くの学びと気づきがあったのですが、さて何から書きましょうか。。。 まず、瞑想について。 起きてる時間の大半は座って瞑想しているイメージです。 最初の3日間はへこたれました。いや、最終日までへこたれそうになる時間がたくさんありました。 まず、なにせ、暑いのです。 蒸し風呂の中にいるようです。 クーラーなんてありません。風通しも悪く空気が籠もってます。 そして、蚊・蚊・蚊。 特に朝は、涼しく蚊も大量に出てきて、一方で瞑想に出てくるお坊さんの数は少ない。 特に、男性のお坊さんが座る場所が窓に近い。 しかも、意外にみなさん、朝はルーズ(尼さんの方がちゃんと起きてました😅)。 4amからキッチリに座っているお坊さんは僕一人ということも。 そうすると、まぁ、蚊の皆さんからは一人でモテモテになれるわけです。 よき瞑想に入れて、意識を流したり、集中が

ブッダとそのダンマ(教え) - 龍光ブログ

ブッダとそのダンマ(教え) - 龍光ブログ 「 ブッダとそのダンマ 」という本 は、現インド仏教のバイブルともいわれた本です。 "ダンマ"とは、聞き慣れないかもしれませんが、 ブッダの説いた"真理"や "法則/法"などとも訳されます。 その名のごとく「ブッダとそのダンマ」という本は、 ブッダの生涯と、彼の説いた"教え"をまとめた本です。 この本の著者のアンベードカル博士は、 一部でガンジーを超える尊敬を集めているインド独立の礎を築いた偉人であり、 亡くなる直前にヒンズー教から仏教徒へと改宗し、この本を遺しました。 その結果、インドにおいて2500年前に生まれながら、 12世紀にほぼ滅んだ仏教を、 この70年のインドにおいて劇的に復活する流れを生んでいます。 ※アンベードカル博士についてはは、こちらのブログをご参照ください。 日本の教育では教えられてないインド〜"アンベードカル博士"について 下記、その「ブッダとそのダンマ」で語られる内容のシェアを 自分メモも含め ランダムに書き連ねていきます。 なお、"仏教"には、様々な解釈が存在しており その表現も様々です。 下記に紹介するアンベードカル博士の"解釈"もその1つ、 としてご覧くださいませ。 ※3000年にも渡りつづくカースト制度による差別や、その中でのヒンズー教(過去のバラモン教)の位置づけ、差別の最下層で苦しみながら、差別の撤廃に人生を捧げたアンベードカル博士の生きた背景などを理解すると、よりこの"解釈"にも理解が進むと、勝手ながら考えております。 ----- 「我々は生き物について考える時、区別と差別を始める。 友を敵と分け、家畜を人間と分け、友と家畜を愛し、敵と野獣を憎む。 我々はこの区別の境を克服しなければならない」 「(これら"区別"によって起こる)戦争は、 別の戦いの種を撒くだけ。殺人者は殺人者を生む。 悪意は愛情によってのみ消すことができる。」 ----- この本では冒頭にブッダの生涯が簡単に触れられていますが ブッダが29歳で出家した背景として、彼が戦争への反対を貫いたからだと描かれています。 ブッダはシャカ族の国の王子と

とあるタクシー運転手の方からのご相談 - 龍光ブログ

とあるタクシー運転手の方からのご相談 - 龍光ブログ とあるタクシー運転手の方から頂いた、龍光ポストへのご相談をキッカケに 大変感銘を受ける学びを頂戴いたしました。 その内容をご紹介させてくださいませ。 御本人の快諾を頂いて、頂いたご相談と、 そのやりとりをシェアさせて頂きます。 ------ 初めまして 私は都内在住の男性(30代)で タクシー運転手をしているMと申します。 私は中卒で学も無く仕事も長続きした事は無く無職期間もあった様なダメ人間です (仕事は二年以内に辞めてしまう程です) ただ  今やってるタクシー運転手は 自分の性に合っていて 現在四年目です 基本的に仕事は楽しく お客様から言われる 『貴方の運転は、いつもの運転手より早くて安くて助かりました、ありがとう』と 感謝の言葉を頂ける時はタクシー運転手冥利に尽きます ただ 1%ぐらいの確率で 怖いお客様もいます 私に対して『アホ・バカ・マヌケ•殺すぞ・ そんなんだからお前はタクシー運転手なんだな』と 言った罵詈雑言が投げかけられる時があります 私に非(ルートミス)がある時は その様な罵詈雑言は甘んじて受けるのですが 私に非が無い時にも 罵詈雑言を投げかけられる時もあり 少し心が痛む時があります きっと一般的な社会人ならば 仕事をしていれば 心労なんて大なり小なり付いてくるものだ その仕事は自分で選択した事だろ 愚痴ってるなら辞めてしまえ と言ってしまえば その通りで この悩み事は全て私の心の弱さが招いてるのです ここで龍光さんにお聞きしたいのですが その様な罵詈雑言を投げかけるられた時に 心の痛みを緩和する又 心を波立たせない様にするには どの様な考え方や対処をすれば良いのか ご教授頂けたら幸いです お忙しい中 長文を読んで頂いてありがとうございます。 ------ 以上がMさんから龍光ポストに頂いたご相談です。 これに対する自分のお戻しが下記です。 ----- Mさん こんにちは、龍光です。 お便りくださり、有難うございます。 安全運転、いつも大変お疲れ様です。 多くの方々の進みたい次の地点へと、時間の制約がありながらも無事に運ぶ 大変尊いお仕事と感じております。 そして、なかなか長く続く仕事に出会えなかったなかで 性に合うお仕事が見つけられたとのことは、大変に有り難きことですね。 勝手ながら、自分も

日本の教育では教えられてないインド〜"アンベードカル博士"について - 龍光ブログ

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日本の教育では教えられてないインド〜"アンベードカル博士"について - 龍光ブログ この写真は、インド・ハイデラバードの「アンベードカル博士」像です。 像のデカさ、伝わりますかね。 像の足元に小さく人がたくさん映っております。 インドには、たくさん「アンベードカル博士」の像があります。 空港の名前や大学の名前にも使われているほど、 インドにて尊敬を集めております。 ですが、かく言う僕も、1年半程前にインドに訪れて 結果、たまたまハゲボウズになるタイミングまで、 全く聞いたこともない名前でした。 今の日本の高校の世界史の教科書でも、 "ガンジー"は出てくるけれど "アンベードカル"は、触れられておりません。 でも、この"アンベードカル"は インドにおいては、地域によっては、 ガンジーよりも圧倒的に慕われている。 おそらく、"像"の数でいうと、 ガンジーよりアンベードカル博士の像の方が多いし、 空港や大学の名前にもなっている「偉人」です。 「で、そのアンベードカルって、どんな人?」 シンプルに言えば 「ガンジーに並ぶか、超えるとも言われる、インド独立の貢献者。 インドの憲法を、ほぼ一人で書き上げた、"今のインド"の初代法務大臣です」 もう少し、日本との歴史的な関係も加えると 「インドは大航海時代(15世紀)から植民地時代がつづき イギリスの植民地とされていました。 独立のキッカケは、日本が第二次大戦でイギリスをふくむ連合国に負けたこと。 当時の日本はビルマ(現ミャンマー)からインドに攻め入って、 当時の日本の"敵"であるイギリスからインドを解放しようという考えでした。 ですが、日本が敗戦し、その流れで、 当時イギリスの支配下にあったインドは、 奇しくも日本敗戦のちょうど2年後の1947年8月15日に イギリスから独立し、今あるインド共和国になりました。 そのイギリスからの独立の際に、 ガンジーと並ぶ功績を果たした方のがアンベードカル博士です。」 そして、それ以上に重要なのは アンベードカル博士は、それまで "見られるのも穢(けが)らわしい"という 人間未満として扱われる壮絶な差別をうける立場を乗り越えて、 「差別