日本の教育では教えられてないインド〜"アンベードカル博士"について - 龍光ブログ

日本の教育では教えられてないインド〜"アンベードカル博士"について - 龍光ブログ



この写真は、インド・ハイデラバードの「アンベードカル博士」像です。

像のデカさ、伝わりますかね。

像の足元に小さく人がたくさん映っております。

インドには、たくさん「アンベードカル博士」の像があります。

空港の名前や大学の名前にも使われているほど、

インドにて尊敬を集めております。


ですが、かく言う僕も、1年半程前にインドに訪れて

結果、たまたまハゲボウズになるタイミングまで、

全く聞いたこともない名前でした。

今の日本の高校の世界史の教科書でも、

"ガンジー"は出てくるけれど

"アンベードカル"は、触れられておりません。



でも、この"アンベードカル"は

インドにおいては、地域によっては、

ガンジーよりも圧倒的に慕われている。

おそらく、"像"の数でいうと、

ガンジーよりアンベードカル博士の像の方が多いし、

空港や大学の名前にもなっている「偉人」です。



「で、そのアンベードカルって、どんな人?」



シンプルに言えば

「ガンジーに並ぶか、超えるとも言われる、インド独立の貢献者。

インドの憲法を、ほぼ一人で書き上げた、"今のインド"の初代法務大臣です」



もう少し、日本との歴史的な関係も加えると


「インドは大航海時代(15世紀)から植民地時代がつづき

イギリスの植民地とされていました。

独立のキッカケは、日本が第二次大戦でイギリスをふくむ連合国に負けたこと。

当時の日本はビルマ(現ミャンマー)からインドに攻め入って、

当時の日本の"敵"であるイギリスからインドを解放しようという考えでした。

ですが、日本が敗戦し、その流れで、

当時イギリスの支配下にあったインドは、

奇しくも日本敗戦のちょうど2年後の1947年8月15日に

イギリスから独立し、今あるインド共和国になりました。

そのイギリスからの独立の際に、

ガンジーと並ぶ功績を果たした方のがアンベードカル博士です。」


そして、それ以上に重要なのは

アンベードカル博士は、それまで

"見られるのも穢(けが)らわしい"という

人間未満として扱われる壮絶な差別をうける立場を乗り越えて、

「差別の撤廃」をうたった現憲法を一人で書き上げるまでの功績を残した

という事実です。



そもそもインドについて我々が教科書で学んだ

「4つの階級(バラモン、クシャトリア、バイシャ、シュードラ)で区分けされる

"カースト"という、差別の温床にもなる身分制度」

では、語られてない事実がある。

実は、"カースト"制度のさらなる最下層として、

"カースト"にも加えてもらえてない、

"アウトカースト"とも呼ばれる階級がある。

という事実。


そして、そのアウトカーストは

「見られるのも、見るのも、穢(けが)ららわしい」

「(その人たちが)飲んだ水も穢れる」と盲信されるなか、

人間未満とも言える壮絶な差別を受け続けている。

という事実。



実は"カースト"という呼び名は、インド国外の人目線での呼び名でしかなく、

もともとは、3000年ほど前より続く"技術職の世代をこえた伝達"の目的で

"職業の専門化と、世襲化(職業を親から子に引き継ぐ)"として生まれた

"ヴァルナ"という仕組みのようです。

(たとえばガラス細工だとか特殊な技術を後世に伝える専門職を残すため)


何千年の歴史とともに、職業も様々に数千にも別れていき、

いつのまにか、それが"職業選択の不自由"

(生まれた時から親と同じ仕事をする運命を背負わされる)

という慣習となり、

職業や地域事での"差別"の温床にもつながったそうです。

そして、トイレなど汚物の掃除や、死体の処理といった

多くの人にとっては「避けたい」と忌み嫌われる仕事を担う立場として

"アウトカースト"と呼ばれる役割の人たちが定められていった。

それらの仕事も「親から引き継がなくてはならない」という概念が

固定化していった。

さらに、それらの仕事を担ってくれている人々そのものに対して、

周りの人たちが「穢らわしい」と避けるようになっていった。


これが、アウトカーストの存在と、差別が起きている大まかな背景です。


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※ここで気をつけたいのは、

それが、日本ではない他国であり、

(よく知識がないがうえに)勝手な色眼鏡で眺めてしまうインドだから起きている

特別な事、という"偏見"を持たないようにせねば、と言うことです。

この(なんとなくのイメージから生まれる)色眼鏡による"偏見 "こそが、

差別の土台になると考えているからです。

なぜなら、同じような"人がいやがる役割の人を忌み嫌う"という文化と

その職業の固定化ならびに差別は、日本にも存在してきているからです。

そして、これは、歴史上、世界の到るところであったことだと考えております。

ですので、こういったお話しをして「インドだから」とか

「日本(の我々)とは違う(から我々は安心、特別 )」という

概念(イメージ)が少しでも脳内において沸き起こったら、

「それこそが、差別の温床となるものだ!」と注意することが大切、

と考えております。
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さて、少し脱線してしまいましたが、

話はもどって、アンベードカル博士について。

アンベードカル博士も、"アウトカースト"と呼ばれている立場として生まれ

学校でも他の階級の人々と同じ教室では学ばさせてもらえなかったり

酷暑でも、みんなが飲んでいる水道は使わせてもらえなかったり

小さい頃から強烈なハンデのなか、生き抜かれてきたそうです。

そんな中でも、お父さんの努力と教育方針もあり、

苦学をして、法務大臣に選ばれるまでの知識と経験を得ました。

そして、そのような差別を無くそうという憲法を一人で草案した。

とてもシンプルには書ききれないのですが、そういった方です。


でも、アンベードカルの動きは、そこでは終わりません。

憲法で禁止をしても、3000年にわたり続いた"差別"は、

すぐに無くなるわけではなく

引続き、アンベードカル博士やアウトカーストと呼ばれる方々に対する差別は続く。

その現実に苦しんだアンベードカル博士は、

差別撤廃の運動を様々な形で起こしていきます。


「アウトカーストの人間が飲んだ公共の水飲み場の水は穢らわしい水に変わり

飲めない」という差別が続くために、

誰もが使えるはずの公共の水飲み場に近づくことすら、

石を投げつけられたりするなど、許されない。

そんな状況を変えようと、アンベードカル博士は、

差別をうける民衆を率いて

自らが先頭にたって、水飲み場で水を呑むなど、

差別からの解放を身を以て行動を続けられました。




そうして、差別に苦しむ民衆を導き、

普通に生きる権利を取り戻そうと努力をするも

長い歴史で染み付いた人々の"概念 "はすぐには変わらない。


そんな苦悩の末に、アンベードカル博士が選んだ道が

「宗教の改宗」です。


宗教が身近ではない日本ではイメージがつきにくいのですが

インドは"ヒンズー教"がとっても、根強い。

"宗教"というより、生活の一部。


それは日本でいうと、

いたるところに神社あり、

宗教という存在以前に、鳥居をみればアタマを下げたり

お正月など、お参りしてお賽銭を投げ込んでお祈りしたり。

何の疑問もなく、生活の一部にある。

そんなイメージでしょうか。


そのヒンズー教は、日本でいう「八百万の神々」のように

たくさんの神様が、それぞれの伝説を持ちながら存在し、

なんならヒーロー・ヒロインの集まるアベンジャーズのような世界観。

シヴァとか、ガネーシャ(アタマが像で身体は人間)など、みなさんも

どこかで見かけたことがあるのでは。

それらも、あまたあるヒンズー教の神様の一部。


いまもインドの街中にはいろいろな神様が祀られており、

車や家にも神様の絵やグッズが溢れている。

それほどまでにインドで生活に浸透する"ヒンズー教"は

一方で、長い歴史のなかで、

カースト制度の差別とも絡み合ってしまっている。


みんなが大好きな神様がいるヒンズー教だけれど、

それを信じる限りは差別という"概念"から離れにくい。


そう考えたアンベードカル博士は、

"ならば、そのヒンズー教から離れなければ

「差別を受ける立場なのはしかたがない」「うまれつき職業は変えられない」

という概念(イメージ)からの囚われから離れられないのでは。

勇気をもってヒンズー教を捨ててねば"

という決意をします。


そして、ヒンズー教の変わりとなる宗教として

様々な宗教を学んだ末に選んだのが、

インドで訳2500年前に生まれた"仏教"でした。

仏教は

あらゆる人間の平等だけではなく、

あらゆる生き物がつながり支え合っているという概念をもち

科学的な考え方が重視される現代においても

論理的であり受け入れやすい。

そのような考えから、彼は仏教を選んだのです。




そして彼は、ナグプールというインドの"へそ"とも言われる真ん中の都市にて、

彼と同じく、差別にあえぐ数十万人もの人々とともに

"ヒンズー教から仏教への改宗"を行う儀式を

おこなったのです。

上の写真がその当時、1956年10月14日の模様です。


ブッダが約2500年前に

インドで説き初めたとされる教えでは、

当時にも存在していた階級制度を否定し

”生まれながらの階級意識"や、それによる"差別"などは

実体などなく、

身分も性別も関係なく人はみな平等であると教えてました。

どんなに"偉い"と信じられる階級の生まれの人であっても、

その立場で生まれたら"エラ"いのではなく、

人の"エラさ"は、

どのように生きるかによって決まるのだ

なので、生まれは関係なく、個人の努力によって

よき生き方を目指せるのだ。とブッダは説いてまわった。


そのような教えが、2500年前において差別にあえぐ人々の心を救い

"仏教"としてインドから広まっていったとされています。


ですが、インドで生まれた"仏教"はその後ヒンズー教の勢いにおされ、

その後イスラム教の進出により12-13世紀で、インドではほぼ滅びてしまう。


そのインドにて、700年ほど後に、アンベードカル博士が

差別からの解放をめざすために、仏教を掘り起こし

"リブート(再起動)"した。

それが、アンベードカル博士が行った事です。


なのですが…。


そのアンベードカル博士は、もともと患っていた糖尿病が悪化し

仏教へと改宗した2ヶ月後に、この世を去ってしまうのです。


彼とともに改宗した何十万人もの人々はどう感じたのでしょうか。


差別に苦しまなくても善い

そして、新たな職業を選んでも善い

そんな生き方を手に入れたいと希望を胸に

それまで信じてきたヒンズーの神々を勇気をもって捨てた。

でも、指導者であるアンベードカル博士を失った人々は

一体、そこからどのように生きていけばいいのか?



実はアンベードカルは、死ぬ間際まで

彼が研究し尽くした仏教の教えを書き残してました。


それが、いまのインド仏教におけるバイブルともいえる


※"ダンマ"というのは"ブッダの教え"とか"真理"といった意味です。

日本でも"ダルマさんがころんだ"でも有名な

インド人で中国にわたり禅の開祖ともいわれる達磨(だるま)さんという

お坊さんの名前の由来にもなっています。


それが、アンベードカル博士の生き様です。

ご興味ある方は


を、ぜひご覧くださいませ。


さらに物語は続いていくのです…。



今述べたような歴史の背景を知らずに、

たまたま日本から来たインドに来た一人の身寄りのない日本人仏教僧が、

アンベードカル博士が亡くなってから11年後に

啓示を受けてナグプールにやってきた。


それが、自分の師匠である、佐々井秀嶺上人(89歳)です。

インドにおける、差別と貧困で苦しむ人々を見て、

それらの方々を救うべく、その地で仏教を説き始めた佐々井上人は

かつて11年前に、アンベードカル博士という方が

仏教を掘り起こした経緯を知る。

そして、その意思を引き継ぐ格好で

いまだ差別と貧困に苦しむ人たちに、ひたすら仏教の教えを通して

誰もが差別などなく平等で、生きる権利をもっており

「学んで協力しあい、選びたい人生を選んでいく」という

生きるうえでの根源を教え、導いてきた。


そして55年もの時がすぎ、当時数十万人であった

インドにおける仏教徒は、いまでは1.5億人とまで言われるほどに

多くの人の生きる選択肢を与えている。

それが、今も続く"歴史"の一コマです。


アンベードカル博士が、亡くなる2か月前に

差別にあえぐ数十万人とともにヒンズー教から仏教徒へと

"改宗"した日は、今でも「大改修式」という大きなイベントとして

ナグプールにて行われております。

その式を今も率いていらっしゃるのが

佐々井上人で、そこに、たまたま僕が

1年半前(2022年10月)にふらりと訪れて

「オマエもボウズになれ!」と仰って頂き

生き様を変えられた訳です。




アンベードカル博士が人生を通して灯した"灯火(ともしび)"は、

佐々井上人の手に渡り、

いまやインド全土に広がりつつある。

これが、僕が理解しているレベルでの

アンベードカル博士のストーリです。


アンベードカル博士は、

いまやブッダと同格に並ぶ存在としてインドで祀られております。




ブッダと、一人の仏教徒が同格で並べられる。

こんな姿は日本の仏教では、考えられないかもしれません。


でも、それだけ、現インドの仏教徒の方においては、

ブッダも大切であり、

その教えを再発掘してくださり、新たな生きる希望や

生きる自由を気が付かせてくれたアンベードカル博士は

偉大な方として、全国に像も作られているのだと理解しております。



その、アンベードカル博士の誕生日が、4月14日です。

インドのいくつかの都市で、そのお祝いの大きなパレードが行われます。



僕も、もうすぐナグプールに訪れて、式典に参加させて頂きます。

ナグプールは、

アンベードカル博士がインドで仏教をリブートした土地でもあり、

佐々井上人が啓示を受けて降り立った地でもあります。


このアンベードカル博士誕生祭への参加は昨年に続いて二度目になりますが

今年は10名ほどの日本人も参加くださる予定です。

どのような体験となるか、大変に楽しみです。



アンベードカル博士という、日本の教育では触れられてない

けれども、

人の生きる尊厳を守ろうと勇気を振り絞った一人の偉大なる生き様への感謝と

それを紡いでいらっしゃる佐々井秀嶺上人への感謝と、

そのお二人の教えにより、今も様々な差別に苦しみながらも

前を向いて進もうとされている多くのインドの方々に感謝を込めて、

今年も現地に訪れるなかで

自分なりのささやかな体験と学びを、

みなさまへシェアさせていただければ

大変に有り難く感じております。



今日もお付き合いくださり、有難うございました。



※アンベードカル博士について、佐々井秀嶺上人についてご興味がある方には

下記の本をお勧めさせてくださいませ。


山際素男 著 「アンベードカルの生涯」 - 光文社新書

B.R.アンベードカル著/山際素男 訳 「ブッダとそのダンマ」- 光文社新書

山際素男 著 「破天」- 光文社新書









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