「死にたいのに死ねないです」- ご相談へのお戻し

 「死にたいのに死ねないです」- ご相談へのお戻し



※このご質問とお戻しの内容は、4月27日に開催させて頂いた
ピアニスト・永田ジョージ、作家・大木亜希子、無職ハゲ小野龍光による
「ご相談コーナー」に頂いたご相談へのお戻しです。

イベント中でお戻しができなかった「よろしければブログ上にてお戻しします」とお約束したものとなります。

ご質問----

ご質問者:限界主婦さん

タイトル:死にたいのに死ねない

本文:
急にこんな重いタイトルでのご質問すみません。
嘘にまみれてると感じる毎日。
誰かの前の自分はその人の前での自分。
ニコニコする自分、ワッと盛り上がる自分、真剣な顔をする自分、時に優しい顔をする自分。
その全てが嘘にしか感じないです。
だからこそ、独りの時はなんの為に生きてるのかも分からないです。
毎月生きるためにお金に縛られてばかり、人間らしい生活と感じる部分もなく、死にたいと感じる毎日。
死ぬために色んな方法を調べる毎日。
でも結局死ねない。
目を閉じて、また目を開けてしまう毎日。

こんな情けない自分はどうしたら良いのでしょうか?

お返事-----

限界主婦さん、こんにちは、龍光です。
4/22の会に足を運んでくださり有難うございました。

ご質問、自分ごときが限界主婦さんの苦しさを分かることなどできないものの
拝読し、その苦しいさまを想像し、自分も心が塞がれていくような思いを勝手ながら感じた次第です。

でも、まずは「大丈夫ですよ」と、大変無責任ながらお戻しさせてくださいませ。

「大丈夫」と無責任に感じるのは、

「だって、みーんな一緒なんですから」という理由です。

「一緒」というのは、限界主婦さんの深い苦しみのレベルを

自分や周りのヒトが同じように感じている、というわけではありません。

我々は、一人で生きているのではなく、みんなが支え合って一緒になって

生きているという意味です。

そして、誰だって、大小差はあれ、一人の時にはふっと、生きている意味に虚しさを感じ、
全てを閉じてラクになってしまいたい苦しみを抱えながら生きているものではと思うのです。

ブッダはなかなかクールで厳しいコトを仰るのですが
「生きてるってのは、苦しいことだ」とピシャリと語っております。

でも、その通りかもしれません。
誰だって、必ず老いて、大切な人と別れていき、自らの生命を閉じなくてはならない。
それは、苦しいプロセスとも言えるでしょうか。

人それぞれの苦しみの深さは違うものですが、
我々は「それぞれの苦しみ」に勇気をもって生きている「同じ仲間」とも言えるかもしれません。

それが「みーんな一緒だから、大丈夫ですよ」という意味です。


人に限らず、全ての生物は「支えあう」存在だと思っています。

単細胞生物ですら、群れて支え合って生きます。

ヒトも、支え合わなければ、生き延びるのが難しい生き物だと思うのです。

寒さを凌ぐ服を作り、安全を確保できる住処を建て、生き延びるための食を得ていく、

その全てを、一人だけで行うのは困難です。

このブログも、誰かが電力を作り、インターネットのインフラを守られて初めて

お読み頂けている。

実にたくさんの方の支えで成り立っているものだと思うのです。

限界主婦さん一人のためだけに「支え」があるわけではないかもしれませんが、

限界主婦さんも、実は常に様々な人からの「限界主婦さんだけへの想いと支え」に囲まれて
生きていらっしゃるのではないでしょうか。

ご両親がいらっしゃるのか、どういう関係でいらっしゃったのか、分かりませんが、

どんな親だって、子供が最終的には可愛く大切なものだと思うのです。

すでに旅立っていらっしゃっているとしても、限界主婦さんの心の中では

「自分もくるしかったけど、頑張ったよ。あなたもがんばってね」と優しく笑って見守っていてくれるかもしれません。

会ったことがない祖先も「まだ見ぬかわいい子孫も、辛い時もあるだろうけど、自分だって頑張れたんだ。頑張れよ」とニコニコみているかもしれません。

そして、今日すれ違い、ささやかでも挨拶を交わす人たちも、

それはささやかであっても、限界主婦さんへの想いとともに送られたエネルギーと言えるかもしれません。

ただのハゲアタマでしかありませんが、少なくとも、自分は今、

限界主婦さんの事を想い、応援し、エネルギーを送るべく念じ祈りながら

これを書かせて頂いております。

ハゲアタマで頭はテカってるかもしれませんが、ささやかなエネルギーをお送りしているつもりです。

そのように、限界主婦さんはたくさんのエネルギーを受け取りながら、今も生きていらっしゃるのだと思います。

なので、「大丈夫ですよ」そう思うのです。

誰だって、必ず、いずれ最後は来るわけです。

まだ、自分の人生という"ドラマ"の続きを見てないのに、

いきなり最終回まで見に行ってネタバレしなくたっていいのではないでしょうか。

これから、もっと楽しいオモシロイ展開があるかもしれません。


「生きるためにお金に縛られ」の苦しみ。

どういったものかは、存じ上げません。

でも、お金は、限界主婦さんが誰かを「支え」結果への

「有難う」が形になっただけにすぎません。

お金が大切なのではなく、その元になった「支え」と「有難う」が大切なのではと思います。

お金そのものは食べられませんし、食べてもお腹を壊しちゃうだけだけでしょう。

本来、お金に価値はなく、人間同士の約束の上になりたった「妄想の価値」でしかありません。

本来、価値があるのは、実際に誰かを支えたり、支えてもらった時に「有難う」という想いだと思っております。

ですので、お金にまつわることで苦しく、生きるのがイヤになってしまうようでしたら、

お金に縛られ、振り回されて生きるのではなく、誰かのために「支え」になってあげたり、

それによって「有難う」をもらったり、

支えてもらった時に「有難う」というために、

生きようとしてみるのはいかがでしょうか。


お金は、生きるのにないと困ることも多い時代ですが、

多少しかなくても、

誰かの支えになることで、時に支えを返してもらえることで、

ある程度生きていけるものではと考えております。


「支え」や「有難う」は、そんなに大げさなものでなくても

だれだって交換しあえるものだと思います。

一番ささやかなものは、日々の自然とのふれあいや、誰かとの挨拶かもしれません。

それを実感するには、早起き、散歩、挨拶、掃除をお勧めさせて頂いております。
(詳しくはこちらのブログをご参考くださいませ)

我々が毎日おいしい空気をすって、ほどよい暖かさにくるまれ

美味しい食べ物を頂けるのは、すべて自然の支えがあるからです。

朝、外を歩くと、様々な自然にふれあいます。

この季節は新芽もでて、つつじが綺麗に花を咲かせたり

鳥たちも恋の季節になり、虫たちも飛び回りはじめ

風もさわやかです。

すでに散歩はされていらっしゃるかもしれませんが、

少し早起きして、毎朝ちがう朝焼けを楽しんでもよいかもしれません。

そして、そこですれ違う方々と、ちいさくても「おはようございます」と挨拶するだけで

互いに、支えとなるエネルギーを送りあえるものではと思います。

行き違う方に挨拶するのが慣れなければ、

コンビニなどお店で商品を店員さんから受取る時や、

工事現場で誘導してくださる方に誘導を頂く時に

「有難うございます」と挨拶されてもいいかもしれません。

たった、これだけのことでしか有りませんが、

時に自分の中に勇気が湧いたり、ほっこりした気持ちが生まれたりするものだと思っております。

そして、誰かからニッコリ挨拶を返してもらうと、大きな勇気が自分に届くものです。

外のゴミ拾いのような掃除は、誰も見ていなくても、

「誰かが喜ぶかもしれないことができている自分」に

大きなエネルギーが沸き起ころることを感じられるかもしれません。


そんな風に、自然のなかでも、日常でも、たくさんの人からの

支え、や有難う、にあふれて生きることは可能ではと思っております。


ささやかですが、そういった支えや有難うの交換が、

時に苦しみにあふれる人生において、生きる勇気を与えてくれるものではと感じております。


限界主婦さんの深い苦しみをなんら分かっちゃいない

能天気なハゲアタマの戯言かもしれませんが、

すこしでも限界主婦さんの心にエネルギーをと想い

くだらない内容をダラダラと書いてしまいました。


こんなハゲアタマでも想いをおくっているくらいです。

心の中の先祖も、まわりの人たちも、限界主婦さんの事に想いをよせてるかもしれません。

そして、日々の挨拶でも、周りの支えとなれる自分になり

まわりからの「有難う」を感じる自分になっていけるかもしれません。

ご興味があれば、ぜひトライしてみてくださいませ。

それでは、限界主婦さんの今日に

少しでも、おだやかで、「生きるってのもおもしろいものじゃないか」と感じる時間が重なりますよう。

勝手ながらお祈りさせてくださいませ。

龍光


















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