ミャンマーで皆様からの「やさしさ」を巡らせて頂けました - 龍光ブログ

 ミャンマーで皆様からの「やさしさ」を巡らせて頂けました - 龍光ブログ


ミャンマーの4月は暑いです。

40℃ちかくまで気温があがります。湿度も高いです。

蝿も蚊もたくさんいます。

そして、今年の1月に続き2度目の訪問となった、

ヤンゴンの国内難民の方々が暮らす集落は

川沿いでもあり、より蒸し暑く、

電気もなく(あっても毎日数時間停電するのですが)

水道水もなく、貯水池の水も枯れつつある環境でした。


その中でも、笑顔でたくましくくらすたくさんの家族や子どもたちに

みなさまから善意でお預かりした寄付によって、数百人(600-700名)の方々へ

食料や文房具を届けることができました。

今回は、そのご報告とお礼のブログとなります。

皆様のご厚意のお陰で、たくさんの笑顔が生まれ

自分として、とても有難い体験となりました。

有難うございます。



ミャンマーという国、かつてビルマと呼ばれていた国には

個人的に様々な思いがありました。


第二次大戦で多大なる迷惑をかけてしまいながらも

日本に恩を働いてくれた国。20万人ちかい日本人が、無謀な作戦で悲しい最期を遂げた地。

そして、世界有数の仏教国である地。最後のフロンティアと呼ばれる

まだ近代化や西洋資本家が進んでない、自然に囲まれた農業国。

それがここ最近の開発で、アジアでも有数の経済格差に苦しむ地。

そして、直近の政変と内線により、まだ様々な変化による苦しみの最中の地。。


そんなミャンマーに初めて参り、縁が生まれて初めて訪れ

そこで、国内難民として暮らす方々とのご縁が生まれたのが、3か月前、

今年の一月のことでした。

その時の様子は、「川の向こうへ」のブログでもご紹介させて頂いております。

そこでは、かつての自然災害や政局の変化の中で家を失ったり、

慣れ親しんだ地を離れざるを得ない方々が

"不法滞在"として住み着くにいたった集落の方々がいらっしゃいました。


電気も水道もなく、吹けば飛ぶような簡素な家で

食料自給率100%以上の国ながら、1日1食で暮らす

様々な方々との交流の機会を経て、

「ささやかでもよいので、何か自分に具体的にできることをしたい」

そういった思いで、その後の生活をしておりました。


成長ありきの世界に疑問を感じ

そこから離れ、無職の身で、お金もほぼ手放した身分の自分です。

できるだけ"我"などくらだぬ身を押し出さぬよう、

リクエストがあればお話会に参ったり、オンラインでご相談にお応えしたりする。

それくらいしかしておらぬ自分が、ミャンマーの方々に何をできるのか。

仮に何かできても、それはミャンマーの他の地で苦しむ、

そして世界中で他にも様々な苦しみを抱える人たちの、

ごくごく一部の方々にたいして

ごくわずかな時間を、ごまかしのように癒やすだけでしかないのでは。

根本の解決にならないのでは。自己満足の偽善なのでは。


いろいろ考えましたが

「考えていても仕方がない。

自分の師匠の佐々井上人も、まずは目の前の一人ひとりに力になれることをしているではないか」

そう思い、またこの4月に、「川の向こうへ行こう」と決意し今回の再訪となりました。


初めてミャンマーを訪れた1月から

2回目となる今回の4月までの間に、

日本、オーストラリア、アメリカでお話会で

ミャンマーの事をお話し、それに対し「ミャンマーの方々へ使ってください」

「龍光さんの使いたいように使ってください」とお預かりした大切なお金を

まるっとそのまま全て、ミャンマーにお持ちし、寄付を実現するのが

今回のミャンマー訪問の最大の目的でした。


まずは、現地でサポートを頂いている皆様の支援を得て、問屋街に買い出しです。

子どもたちがたくさんいるので、ノート、鉛筆、できれば色鉛筆かクレヨンをと探しました。

予算は限られています。子供だけでも200名くらいには配布したい。

みんなで安く、小分けにできて、もらえるものに差が生まれてケンカになりにくそうなものを探します


問屋街でなければ、200名分の在庫は用意はできません。


そして、200世帯を目指して、食料の調達。

できるだけ、長持ちはするけれど、換金リスクが低いもの。

換金できるものだと、家族の誰か(たいていお父さん😅)がお酒に変えてしまうかもしれない。

腹をすかしている子供を放ってお酒を買うなんてけしからん!

というのは、身体も心も満たされている人だから言えることかもしれません。

自分も腹をすかし、家族も食べるものが少なく見ていて苦しく、暑く、

時に差別的な見られ方を同じ国民からもうけるなど

様々な「思う通りがいかない」現状に心が弱った人たちが

刹那のお酒に逃げてしまうのを、一体だれが非難できるものでしょうか。

同じ境遇にならなければ、それらの方々の苦しみなど分かるはずがない。

ならば、なるべく、そのリスクを避けられればよい。

一方で、電気もなく調理器具も限られた中で簡単に調理ができて食べやすいものがいい。

おかずなしでお米一食で一日を暮らす方もおおいとのことで、

おかずがわりにもなり、日持ちする乾燥麺、そして、タンパク源として

人気の魚の缶詰を選択しました。

あとは、暑い中、衛生のよくない川の水だけの生活の人が

脱水や内臓を壊さぬよう、ポカリの粉のような粉末を。

こういった選択はすべて、現地でこれらの調達を手伝ってくれた方々の知恵で行わせて頂きました。

今回も現地にすむミャンマー人で、寄付の経験もあるAさんが、

川向こうの集落の村長さんと事前にやり取りをして、

「200世帯じゃすまないくらい人が集まるだろう」とのことで、

予定よりも一家庭分の配布量は少なめに。でも、せっかく集まってくださるならば

広くお届けしたい。そうして、1家庭、乾燥麺2パック、魚の缶詰1つ、

ポカリの粉的なパック1つ。

あとは、食料油。

みなさんが使っている調理量油は大変質が悪い。

身体にもよくない。かつある程度使い続けられるとのことで、油もお持ちしました。

一世帯あたり、わずかでしかありません。

でも、お話会などで自分にお金を預けてくださった方々の

想いが少しでも幅広くお届けできればとのことで、この1パックを1家庭分にすることに。

「乾燥麺を1000パック」という注文は、人生で"最大のお買い物"にもなりました。

そして、これらの物資をボートで川向こうへと運んでいきます。



お届けする物資を集めるとそこそこの量です(これも一部)。

これを、村長さんの的確な指示で、集落のボランティアの方々が手分けして

小分けにしてくださいます。

子どもたちも手伝ってくれます。

その中でも一際手際のよい、ミャンマー国旗の帽子を被った青年たちが。

村長さんに聞くと、彼らは50名ほどの「自警団」だそうです。

集落は6000人ほどらしいのですが

(そういった集落がほかにもたくさん存在していますが、

あくまで村長さんの管轄の集落です)

その集落で、窃盗やケンカなどを見守る有志です。

1日数百円のでボランティアをしてくださっています。

さすが、自警団の彼らは役割分担も的確で作業も早い。頼もしいです。


配布する食料を並べる間も人が集まってきます。

自警団が列を作るよう誘導したり、フェンスを用意したり。

最初は混乱がありましたが、自警団の青年たちが村長さんの指示でみごとにしきって

平和裏に行列が出来ていきました。


そしてボランティア慣れしているAさんのアイデアで、

「一度受け取った人の印づけ」としてインキの用意も。

別途、村長さんは整理券を即席で用意してくれたり、さすがみなさん慣れていらっしゃいます。

頼もしいです。

これらの準備を自警団のみなさんがしてくださる間に、僕は村長さんに連れられて

集落の様子を見に行きます。

今回も様々な家庭にご挨拶させて頂きました。


この小さな1部屋に5名家族です。

もちろん、電気も水道もありません。

家賃は1ヶ月数百円だそうです。お母さんひとりでパートタイムで切り盛りしているそうです。

家のつくりは、トタン板で、これでも集落ではかなり立派な作りです。


とはいえ、悲壮感なんてありません。

みんなとても明るい笑顔で、今の生活の事を語ってくれます。

水道も電気もインターネットも、蚊や蝿に囲まれてない、ゴミも少ない、

40℃に苛まれることもない、日本での生活の視点では

「大変そう」かもしれませんが、彼女らにとってみると

「この環境の中で生き抜く」前提なのでしょう。

「足りない」ものはありつつ、ある中でみんなで支え合い暮らしていく。

それができること。そう、悟っているように感じます。

ちなみにミャンマーの方々が顔に塗っている黄色いものは

「タカナ」というものだそうです。「田中」ではありません😅。

木の汁だそうで、太陽光のつよいミャンマーにおいて重要な日焼け止め

になるそうです。オーガニックですし、コストもかからない。

ミャンマーの方は様々な方がこうして、黄色い色を身に着けています。


そして、どのご家庭にいっても、小さい子でも、すぐに合掌をしてくれます。

どんな経済レベルの暮らしの子でも、実に仏教が染み込んでいる。

それをひしひしと感じます。

ここの集落に寄付へ来るまでの6日間は、

ミャンマーでの僧院で滞在させて頂いていたのですが、

そこで「タフ」さを感じていた自分が恥ずかしくなる思いでした。

※その体験については、よろしければ「ミャンマー僧院滞在記」のブログを御覧ください。


一番印象的だったのが、こちらのお家です。

家といっても、見ての通り、壁は有りません。

おじさんが、一人横たわっていました。

村長さんが声を掛けたらゆっくりとなんとか起き上がる感じ。

村長さん曰く「脳梗塞になってしまい、身体があまり自由でない」とのことだそうです。

この東屋で一人暮らしなのです。

でも、村長さんがやさしく「このあとで、みんなにご飯を配るからね」と声をかけてくださってました。

一人ぼっちで、身寄りもなく、病気で働くことがままならなくても、

この集落では、みんなが支え合っています。

集落で一番大きな貯水池も見せて頂きました。

戦時中、イギリス軍が燃料をためるために作ったものだそうです。

雨季の前ということもあり、水がほぼ枯れてます。

このあと200名ほどがあつまり、底のゴミ掃除をしていました。

川の水だけでは時に海水も交じるため、雨季に雨水を貯めるそうです。

後にゴミ掃除の方々にも、あとから食料を配布頂きました。

でも、バケツでしか汲ませないようして、一家庭でたくさんもっていくのを避けるよう

自警団が見守っているそうです。

村長さんのもと、実に集落の"自治"が回っているようすを感じます。

そうして、村長さんと集落を回りながら、

村長さんが「これから食料と文房具の配布があるよ」とみんなに伝えていきます。

すると、僕らの後ろにはぞろぞろと子どもたちが着いてきて、どんどん増えていきます。


最初は数名だったのが、集落を移動していくと数十名の隊列が生まれていきました。

集まった子どもたちは、最初こそ混乱してましたが、

村長さんからの「ダム掃除に先に連れて行くぞ!」という脅しで、

ちゃんと大人しくなってくれました😂。


そして、集まった大人たちと一緒に、子どもたちも、ちゃんと隊列をくんで、

合掌をして待ってくれてます。




先ほど通った、脳梗塞で身体が不自由で一人で暮らしているおじさんも

ゆっくり歩いて配布を受取にきてくれました。

ちょうど昼ころの一番暑い時期の配布となったので

村長さんの計らいで、行列で並ばなくてもよいよう、先にお渡しさせて頂きました。

あまり、表情をみせなかったおじさんでしたが、

うれしそうな顔をみせてくださり、こちらも胸が一杯になりました。

このあと、ゆっくりゆっくりと歩きながら、一足先に戻られていました。

病気だけではなく、様々な課題をもった方々がいるわけです。

村長さんも、過分なえこひいきにならぬよう、こまやかな差配をされている様子を感じます。


そして、いよいよ配布の時です。

自警団の誘導で、行列から少しずつ、誘導され、

僕も一人ひとりに食料や文房具をお渡しさせて頂きました。





額の青い印は「受け取ったよ」の合図です。

手につけると自分で消してしまうので、顔に印。

それでも消してもう一度来ようとする子もいたでしょうが、自警団の方々に

叱られてました。気持ちは分かるよ。ごめんよ😂。



インドでもミャンマーでも(おそらく南方の仏教、上座部仏教はみんなと思いますが)

お布施をする側も、受ける側も、履物を脱いで素足で地面に立ちます。

お祈りをする時もそうです。

10歳前後の小さなお子さんでも、僕から文房具を受け取る時に

ちゃんとサンダルを脱いで、合掌してから受け取る子もたくさんいました。

こちらの心が洗われる気持ちになります。









それにしても、嬉しそうな顔の数々・・・。












約200名の子どもたちには、全員に僕から直接、文房具をお渡しでき

他400-500名の方々に食料をお渡しすることができました。



あらためて、各国にて、自分のミャンマーの体験の話しを聞いて

自分を信じてお金を預けてくださったみなさま。

そして、そういったお話会を企画頂いたみなさま。

大変有難うございました。

そして、現地にて自分の寄付のために、問屋めぐりや配布の手伝いに

ご協力くださった皆様、誠に有難うございます。


一方で、学びも多くありました。

村長さんの言葉では

「寄付の時は、全てお米ならお米のみ、という方が配布がしやすい」

という言葉でした。

乾燥麺や、食料油や、脱水にならないように飲料粉末を

そして、なるべく換金リスクが少ないもの、

と、いろいろと考えてお持ちしたのですが、

それはこちらの期待と都合です。

「寄付を貰えるだけ有難いじゃないか。こちらが用意したものを喜んで受け取るべき」

そういった声もあるかもしれません。

でも、これが現実なのだと思いました。

たった数百人でも、配布するのに混乱があるわけです。

たまたま優れた村長さんと自警団がいてくれて、

顔も見知った集落の人たちだから、混乱もすぐに収まったのかもしれません。

これが、数千人の規模で見知らぬ人同士でしたら

暴力沙汰が起きてもおかしくなかったかもしれません。

その状況で、一度で配布する物資の種類が多いほど、均等に分けていく難しさもあります。

家庭によって事情が異なる中で、これは嬉しいけど、これはあまりいらない。

そっちのをよこせなど、起こり得る。

全ての物資が全員に均一だと、そいうったことは起こりにくい。


実際、文房具は、最後の方はノートが無くなり

でも、鉛筆やクレヨンが残り、

ノート無しの代りに、他のより多めに鉛筆やクレヨンを渡すことをしました。

それがえこひいきとしてケンカになるだけの事はないだろうと勝手な判断ではありますが、

配布するものの量や経済的な価値によっては、あらたな争いの種にもなりかねないでしょう。

そういった意味では、村長さんの「次回は一種類のみだと有難い」

という声も率直かつ大切なフィードバックに感じました。


そして、今回は寄付の配布慣れをした現地の方々に救われましたが、

実際に混乱が起きる配布の現場はなかなか大変です。

炎天下の中で作業も、時に女性の方や体力がよくない方には大変です。

「お金を出すのも大切だけれども、こうして実際に寄付の現場に来ると

全く違う世界が見えてくる」

という声も、その通りなのだ、とリアルに実感しました。


お金があり、寄付をできるのは素晴らしく有り難き事です。

でも、一方で、多額の寄付をしたとしても、その分、

たくさんの労力と混乱の末に、ようやく「寄付」が実現するのが現実です。

「より多くの人に救いを」「世界の平和を」

などと言うのは簡単で、実践はいかに簡単ではないものか。

とてもとても小さなレベルの体験でしかありませんが、学びとなりました。


でも、時に自分が身体を動かして寄付の現場に行けないのも事実。

お金という形で想いを届けようとするだけでも、それがないよりも素晴らしく

大変有難いことだと思います。

でも、お金だけで規模を求めるのではなく、

とても小さきレベルでも実際に誰かの「支え」となることを実践する大切さも

感じた次第です。

それをするには、別にミャンマーや、ウクライナやイスラエルといった

困難な地に行かずとも可能だと思います。

自分の目が届き、耳が聞こえ、心が届く範囲で、できる「誰かへの支え」は

日本にいても、今日でも、できることではと思います。

たとえば、道のゴミ拾い、通りかかった方への挨拶

すこしの笑顔だけでも、それは時に誰かの支えになるのだと思います。

その相手が求めてないかもしれませんが、

その姿で心に勇気を貰える人もいるのだと信じております。


今回、自分の講演などでみなさまからお預かりしたお金を

インドにいらっしゃる師匠、佐々井上人にお届けし活動の支援をさせて頂く以外で

自らの寄付活動に繋げさせて頂いた2度目の体験です。

2度ども、ミャンマーの地です。


今後、どのようなご縁で、金銭も通した支援を自らさせて頂きたいというご縁が生まれるか

まだ、わかりません。

ミャンマーの他の地かもしれませんし、同じ方々かもしれませんし、

他の国、あるいは日本国内かもしれません。

いずれにせよ、その時々にて、できる範囲でできることを心がけていく。

そして、なにより、こちらが「どうしたいか」以上に

先方が、何を望み、何を懸念しているか(えこひいきがないように、など)。

この理解をしようとする姿勢が大切なのだと実感しました。

そして、より大きな規模で支援活動を現場でしていらっしゃる

世界中のあまたの方々へ、大変頭がさがる想いとともに

感謝をしつつ、自分も学びと体験を重ねていければと思っております。


長い内容にお付き合いくださり、

有難うございました。


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