今日を"かけがえのない"日にしたいなら - 龍光ブログ

 今日を"かけがえのない"日にしたいなら - 龍光ブログ


今日は特別な事は、なーんにもありません。


でも、まだ日の出前の暗い空をみたら、星が少しみえました。

今朝は、雨はなさそうだから、散歩にでかけられそう。

すこ思って、ワクワクしながら日の出の時間が近づくのを待ってました。

そして、散歩。今日はいつもと違う山の上の方にいってみよう。

そしたら、とてもキレイな日の出が見えました。




そして、いつもと違う道を歩いたので、いつもと違う人たちとすれ違い

「Good morning!」と手をあげて挨拶したら

みなさん挨拶を返してくださった。

なんて有り難いんだ。

嬉しくなって、気持ち良くなったついでに、

今日も小さくても、何かゴミ拾いをして帰ろう。

あらら、困った。今日は道がとてもキレイ。

でも、それはとても有り難い事でもある。

なんて、有り難い一日のスタートなんだろう。


そして、今日も、昨日と同じような一日が始まります。

特別な何かがある日ではありません。


でも、朝の気持ちよい空気を吸いながら、

つくづく「今日も"かげがえのない日"が始まるんだなぁ」

そんな気分でスタートできました。



前世では、毎日が「何か特別なもの」をもとめて

特にイベントがないと、何かイベントを作りたくなったり

ひとまず今日も飲もう!とか、

何かの刺激に飢えていた自分がおりました。


それが悪いことだったとは思いませんが、

いまこうした生活をしてみると

「今日、特別な何かがなくたって、

普段の様々なものに、一歩踏み込んで心を傾けてみるだけで、

それらが、今日にしか出会えない

かけがえのないものたちとして、心に映るのだなぁ」

そう改めて気づきがあるのです。


ただ、歳をとって、刺激に飢えるばかりではない価値観が芽生えた

それだけなのかもしれません。


でも、本来、毎日が「一生で今日しかない日」の連続のはずです。

"かげがえのない日"は、なにか特別なイベントが無いといけないわけではない。


ただ、日常の様々な自然、たまたま出会う人たち、

ゴミ拾いのような小さな出来事

これから食べる、ささやかな食事

そんな事でも

「それが、当たり前ではないことかも」という気持ちで眺めるだけで

"今日しかないイベントばかりだなぁ。まさに有ることが難き、有り難きことだなぁ"

そう感じられるのでは。

そう感じた次第です。

という、何も特別な事もなく

息を吸うくらいしか役立たず無為にすごす年寄の戯言でした。

今日もお付き合いくださり、有難うございました。





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