生きた宗教

 

インドの佐々井上人は

「ここナーグプルでは生きた仏教がある」

「インド仏教に触れ、生きた仏教徒になるという希望を持つんだ」

など

「生きた仏教」という言葉をおっしゃいます。


「日本ではお坊さんになる人も減り、

寺も空き始め仏教が滅びつつある。

一方で、インドでは仏教が息づき、盛り上がっている。

この原因は何なのかということを、日本の方はよく考えてなきゃいけない。」

そういった問いかけもありました。


「生きた仏教がある」という言葉は、何度もナーグプルを訪れている自分には

とても実感として感じるものがありますし、

これまで一緒にナーグプルを訪れた多くの方も、感じられていることではないかと思います。

改めて「生きた仏教」、「生きた宗教」と言い換えて

「生きた宗教がある」というのは一体どういう状態なのか、考えてみました。


とはいえ、

前世の自分は、そもそも宗教は必ずしも必要ではなく、

特に科学が発展した現代においては、時代遅れですらあるような考えを持っていたような人間です。

得度して2年しかたっていない人間にすぎません。

また、このブログをご覧頂いている方にも、宗教に対する抵抗感や嫌悪感

疑問を持つ方がいるかもしれません。

なので、ここではさらに言葉を変えて

「生きた宗教がある」という言葉を

「心おだやかな生き方が息づいている」と置き換えて見たいと思います。

なぜなら、あくまで自分なりの考えでしかありませんが、

仏教はじめ、キリスト教やイスラム教など主要な宗教は

個人の心の平穏と、集団の安寧を求めていると理解しているからです。


それら宗教が「生きている」というのは、つまるところ

個人や集団の心の安寧が実現されている、ということではと思うのです。

なので、「心おだやかな生き方が息づいている」のが「生きた宗教がある」ことと言えるのでは、と。

宗教の定義は議論が様々にあると思いますが、

人が心おだやかに生きるための道しるべである、といえると思います。

それが無くても困らないかもしれないが、

あると「道しるべ」として頼りにもなる。

それが「道しるべ」の役割として息づいているのが、「宗教が生きている」状態といえるのかもしれません。


経済成長ばかりを追い求めて、周囲との比較や競争ばかりを意識し

認めあい支えあう心を失っていったり、

自身の拡大のために周囲を蹴落としたり、暴力を振るったり。

これは、個人も集団も心おだやかになりにくい状態では。

これは、宗教が生きた状態とは呼べないかもしれない。

その地に「宗教」と呼ばれるものが存在はしていても、

人々の「道しるべ」となるべき宗教集団自体が、

自身の拡大を求めたり、他との比較や競争を意識してしまっては

当然に、周囲の人たちに対して心おだやかな道へと導くのは困難どころか

かえって「自身の拡大」のために人々を犠牲にしてしまうことも起こり得る。

これは昨今の宗教団体にまつわる事例でも起きていることだと感じております。

それらは「生きた宗教」とは言えないかもしれない。


では、どうするのか。

まずは個人として、心おだやかで満たされた生き方の実践をしていくことが大切なのでは。

そのうえで、苦しむ人や困っている人に、できる範囲で手をさしのべ支えて行けばいいのでは。

なぜなら、それが本来宗教として期待されている役割であろうから。

そして、そういった心と実践が広がれば、

結果的に集団としての安寧にはつながりやすいのでは。

その実現においては、

必ずしも「宗教」と名付けられたものは必要ではないかもしれないけれど

少なくとも、物質や経済的な成長や、テクノロジーや科学の発展だけでは、

それは成り立ちにくいかもしれない。

人が生きていくにおいての、何かしらの「道しるべ」が大切なのではないか。

それは、智慧と呼んだり、道徳と呼んだりもできるものかもしれません。

今一度、そういった「内なる」成長の重要性を見つめ直していく。

そこから、結果的に「宗教が生きている」状態、

「心おだやかな生き方が息づいた」状態となるのかもしれません。

浅はかながら、そのように考えております。



上記の動画は、先日のインド・ナーグプルで行われた大改宗祭での佐々井上人の演説の様子です。

90歳となり、肺活量も落ちて、普段はかすれるような細い声しか出せないのですが

このような民衆に呼びかける時は、誰よりも大きな声を絞り出して、人々に訴えかけていきます。

「日本は亡国の相が出ている」

「インドのような生きた仏教を日本でも実践し希望をを持っていかねばならないのでは」

時にそのように仰る佐々井上人は、ただただ我々の未来を案じて

全身全霊を絞り出すように訴えかけます。

その姿は、見ていて心打つものがあります。そして背筋が伸びる思いもします。


小さなハゲアタマとして、まずは自身がただ実践を重ねていくべく

精進していきたいと考えております。


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