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「今まで1番心が動いた体験は?」 - 龍光ブログ

 先月の都留文科大学「キャリア形成」授業での 学生さんからの質問と、そのお返事のご紹介です。 今日ご紹介するご質問は 「今まで1番心が動いた体験は?」 というものです。 自分なりにとても心動かされた体験をシェアさせて頂きました。 もし何かのお役にたてれば、有難きことです。 ■Cさんからのご質問 (授業にて)様々な体験をすることが大切だというお話がありましたが、 小野龍光さんが今まで体験した中で1番心が動いたことはなんですか ■自分からのお答え Cさん、ご質問有難うございます。 うーん、と考え込んでしまいました。 「1番」って難しくないですかね。Cさんはいかがでしょうか。 例えば、嬉しい時、悲しい時、 それぞれの心の動きを思い返すのです。 そして「体験」というものは、 時間とともに「思い出」として褪(あ)せていくものです。 悲しいですがそれが現実ですし、 だからこそ、時に死にたくなるくらい絶望したり傷つくときがあっても、 時間とともに立ち直れるものだと思います。 なので、過去の出来事は、すでに「忘れかかっている」。 なので、最近というか、昨日のお話をさせてくださいませ。 つい昨日の朝、池袋の駅でポカーンと立っていたら、 自分の事など知らぬミャンマー人の若い男性が、 突然僕にお弁当とバナナとお茶の差し入れをくださいました。 ミャンマーはとても信心深い人が多い仏教国です。 ミャンマーでは街なかで、お坊さんにご飯をお布施している市民の姿がどこでも見かけます。 でも、日本で、たまたま自分を見かけた若い男性が、 眼をキラキラさせながら見知らぬ僕ごときにご飯をもってきてくださった。 とても、心が動かされました。 そして、その後、ウイグル出身の女性がX(twitter)で僕が池袋でポカーンと辻立ちしているのを知って、 様々な差し入れを持ってきてくださいました。 何より心動かされたのは、彼女は、 かつてウイグルで大変ないじめや迫害にあったそうです (中国のウイグル地区における様々なニュースをご覧になっているかもしれません)。 その時は彼女は 「誰かを殺したいくらい憎しみをもつこともあった」と語ってました。 「でもいろいろ苦しんだから、今は周りの人に有難うって思える」ということを話されてました。 今はとてもおだやかでやさしい顔つきでいらっしゃるのです。 おそらく、過去には壮絶な体験があ

「流される生き方」から抜け出すには by ブッダ - 龍光ブログ

少し調べ物するだけのつもりが、ニュースサイトやSNSで時間潰してしまっていた…。 ついつい、お菓子に手を伸ばしボリボリ食べ続けてしまっていた…。 この後やるべき事に気をとられ続けて、仕事や勉強が手につかない…。 「はいっ!思いつく人は手ぇ上げて!!」 ( 自分も  \(^o^)/ ハイハ〜イ!! )  我々は、自分の「意のまま」に生きているようで 実は、目の前の様々な刺激に「突き動かされて」流されて生きがちである。 その状況から「どうやって抜け出し、自由な生き方を手に入れるか」(by ブッダ)。 というのが、このブログのお話です。 ネット情報の洪水の中にいると、 次々と我々に飛び込んでくるメッセージやニュースや通知やらで 常に「忙しい」状態になりがち。 そういう状態は、心地よく感じるもので、 さらに「もっと」刺激を求めて、 マルチタスクでネットサーフィンしたり、寝る間を惜しむ生活になったり。 でも、そんな状況は長くは続かず、心は疲れてしまい苦しくなる…。 (前世の自分です…) でも、それは 自分の生きたい人生を、本当に生きていると言えるのだろうか? 外部に流されて生きてしまっているだけなのでは? 自由に生きてるつもりで、実は縛られて流されて生きているのでは? まるで映画「マトリックス」のように、 刺激にあふれ心地よく見えている日常は、 実は、心地よいものだけに目が向けられている世界では? 本当の現実から目を背けており、 背けている事実すら気が付かなくなっているのでは? にも関わらず、心地よい見える日々にだけ目を向け 生きようとしているのでは? このブログは、そのように感じる方に向けてのブログです。 (違うな、という方は、そっ閉じくださいませ🙏) さて、ブッダ先生おっしゃるに(意訳)、 それは、 『物事が見えているつもりで、実は暗闇のなかで彷徨っているよう』 『ものごとは因果法則により起きる「瞬間」の連続として流れゆく』 なので、 『今経験している"こころ"が、次の「瞬間」の"こころ"を生み出していく』 つまり、今、目の前の刺激にポカーンと自身を委ね楽しんでいると、 "ポカーン"な生き方が明日以降もダラダラ続いてしまうかもしれない。 それはなんだか、悪くなさそうな未来に聞こえるのは錯覚であろう。 なぜなら、

悲しいニュースを耳にして、つらくなる。どうしたら? - 龍光ブログ

先月の都留文科大学「キャリア形成」授業にて 将来のキャリアを夢見て悩む学生さん達を前に 無職の人間ながらお話させて頂く機会がありました。 有難い事に、実にたくさんの質問を頂き、 「あくまで無職のハゲアタマの戯言という前提で」 全てにお戻しさせて頂き、ここではその一部をご紹介させてくださませ。 今日のご質問は 「悲しいニュースを耳にして、つらくなる。どうしたら?」 というものです。 もし何かのお役にたてれば、有難きことです。 ----- ■Mさんからのご質問 自分の周りで起きたことはもちろんなのですが、 知人や世間の悲しいニュースや良くないニュースを耳にした際、 過敏に反応してしまい自分に関係がなくとも必要以上につらくなることがあります。 情報社会でこのような人が増えているといいますが、 この話題についてのお考えを伺いたいです。 ■自分からのお答え Mさん、ご質問有難うございます。 Mさんは、心が純粋で優しい方なのでしょうね。 だから、自分に関係がないニュースにも反応してしまう。 それは、素晴らしい心を持っているからと、勝手ながら思っています。 その共感できる心を大切にしてあげてください。 一方で、少し冷めた見方をしますが、 SNSの会社も、ニュースサイトも、 世界中の秀才を集めて、 多額の給料を払って 「いかに注目してもらい、いかに長く自分のページを見てもらえるか」 の技術を成長させてます。 なぜなら、長く見てもらえれるほど、多く見てもらえるほど、 その会社の売上が伸びるからです。 広告収益などで。 いわば、必要以上に、 Mさんの時間や感情を奪おうと必死に技術を磨いている秀才たちの会社に、 Mさんの大切な人生の時間や、 限りある感情のエネルギーまで奪われていると言えます。 先方の会社も悪意があるわけではありません。 純粋に売上を伸ばしたいのです。 もっと見てもらいたいのです。 そのように人工知能を育てた結果、 人工知能は人間が「 より 喰いついて見る」画像やニュースを選びます。 それは大概にして、戦争でのショッキングな映像や画像やニュースです。 それはフェイクでなく事実そのものではあるものの、 よりショッキングに見せるように 「工夫されている情報のパッケージ」 とも言えます。 大切な事は、ネットのニュースにならないところでも、 日本においても、世界の様々なところにお

選択で迷った時、何を基準に選んでいくか - 龍光ブログ

 先月の日本滞在にて 山梨・都留文科大学の学生さんたちの「キャリア形成」の授業にて お話をさせて頂く機会を頂戴しました。 「無職になった自分が『キャリア形成』の授業に出てよいのでしょうか…?」 と伺ったのですが、先生からの熱いメッセージにお応えすべく 100名ほどの学生さんたちにお話させて頂きました。 有難いことに、授業の中でもたくさんのご質問やご相談を頂いたのですが 授業中では答えきれない分については 「よろしければブログでお戻しさせてください」 とお伝えしたところ 「ブログでも良いのですが、学生全員が見られるGoogleドキュメントに 質問がまとめられますので、そこに直接回答頂けたら!」 とのこと。 授業後、質問が集まったGoogleドキュメントを見てみたら、 全部で60件ほどの質問が一箇所に集まっている。 しかも、学生たちは、互いに他の学生の質問も全て見れる仕組みになっている。 ということは、そこに回答する自分の全ての返事も、全ての学生たちに見える。 これは、なかなか緊張感があるぞ。 中には、似たような質問も複数あるけれど、 「前の学生さん向けに書いた回答をご覧ください」というワケにはいかない。 その学生にとっては、自分にとっての課題感から来た質問なのです。 そんな風に、ほぼ同じ質問にも、、 その人なりの課題感を少しでも読み取りつつ いろいろアレンジを加えて違う切り口でお戻しするなどし 数日かけて、全てにお戻しをさせて頂きました。 「ぜひブログでもご紹介を」とのことですが、全てを載せると読む方も大変なので、 学生さんからお返事を頂けたものを一部だけ、少しずつアップさせて頂くことにします。 と、ながーい前置きはさておき、早速頂いたご質問と、そのお戻しです。 --------------- ■Hさんからのご質問 生きている上でもし2つの選択で迷った時、何を基準に選んできましたか。 ■自分からのお返事 Hさん、ご質問有難うございます。 人生は選択の連続ですね。 授業を"ピ逃げ(※)"するか、ちゃんと受けるか…などなど。 ※ピ逃げ = 教室の端末に、学生証を「ピッ」とタッチし「出席済み」として逃げること。学生から聞き覚えたてで、使ってみたかっただけです。 自分は「アタマではなく、ココロの羅針盤の針が指す方」をオススメします。 直観とでもいいましょう

「悩み亡き人生は、無」 - 龍光ブログ

この投稿の内容は、自分で自身のくだらぬ葛藤に向き合い いわば自分で自分を確かめたいだけの行為でしかありません。 このブログの趣旨である「誰かの役に立つ」ようなものでは無いかもしれません。 ですが、これを晒すことで、自分を客観視する機会にしたい「我欲」もある。 そんなモノはトイレにウンチと流せばよいのだが、 もしかしたら、この内容が何かお役にたつ方もいるかもしれない。 そんな期待も含めて書いてみようと思います。 くだらぬ独り善がりな内容が並ぶだけでしかありませんが ご容赦くださいませ。 ----- オーストラリアに来て、入れ違いにネ申(妻)は日本に渡り ポカーンと座る以外は、起きてから寝るまでずっと 本と向き合うだけの生活が続いております。 日本にいる時と違い、人様から会うご要件を頂く機会もほぼなく、 社会に、ほぼなーんにも役たつこともなく、 ただ一人息をして糞尿をするだけの 「何者でもない存在」という時間を有り難くも頂戴しております。 ※X(twitter)やブログの更新がなく、ご心配を頂いた方々、お心遣いを有難うございます🙏。大変元気です🙏 "龍光ポスト"に頂くご相談へは毎日お戻しさせて頂いておりますが、 それ以外のネットには触らぬようにしており、 時にニュースが気になる時は、 「そのニュースに触れたところで、今のオマエは何の役に立つというのか。 世間の出来事にただ刺激を求めたいだけだろうが」 といなしたり、 何かの考えをXやブログで発信したくなる時は 「その発信で、誰の何に役に立つというのか。 オマエはまだ、何かを発信して他者からの承認を感じないと不安なのか」 とつっこんでみたり。 ヒトは死ぬときは一人でしかない。 長生きしてしまったら、おそらく孤独との対峙の時間がほとんどであろう。 たかだか1週間ほどの孤独に絶えられなくて、将来どうするというのか。 いやいや、それは未だ来ぬ未来のことではないか。今に向き合おう。 「でも以前よりは、孤独感の流しかたも上手になったかも?」 いやいや、それは油断の始まりだ。 そんなこんなの雑念もすべて流して、今ある自分や 今頂いているご相談に集中できないで、どうするか。 ポカーンと座りながら そんな脳内議論を楽しむ、ささやかな心のトレーニングをさせて頂く日々です。 その間で、考えていた事を、自省を兼ねて記して