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「人の心に寄り添えないこと」- ご相談へのお戻し

「人の心に寄り添えないこと」 - ご相談へのお戻し   ※このご質問とお戻しの内容は、 4月27日に開催させて頂いた ピアニスト・永田ジョージ、作家・大木亜希子、無職ハゲ小野龍光による 「 人生、詰んでからが本番だった件 」 にて 「ご質問コーナー」に頂いたご相談へのお戻しです。 イベント中でお戻しができなかったものに「よろしければブログ上にてお戻しします」とお約束したものとなります。 ご質問---- お名前:かよよんさん タイトル:「人の心に寄り添えないこと」 本文: 10年ちかく一緒にいるパートナーに、 いつも「人の心に寄り添えない人だね!」と言われています。 悩みではないですが、もう少し人間らしく思いやりのある人になりたいと思っております。 お返事---- かよよんさん、おはようございます、龍光です。 ご質問有難うございます。 ですが・・・。冒頭からご期待を裏切るようで、大変に申し訳ないのですが・・・。 自分はこのご質問に解答できる立場ではないかもしれません・・・😅。 というのも、僕が「ネ申(かみ)」と呼んでいる、僕の妻からは 「オマエ、ほっんと人の気持ち分かってないな。なーんも見えちゃない。その目は節穴か!」 と、誠に有り難き御言葉を頂戴している身だからです。 そんな人間でしかありませんが、 とはいえ、せっかく頂いたご縁ですので 下記、トイレに流して頂く程度の戯言として、お戻しさせてくださいませ。 ほとんどが、自分のための「言い訳」でしかないかもしれません。 かよよんさんへ、まず、お伝えしたいのが、 人の気持ちをわかろうとしよう、というお心をお持ちだということこそが とても素晴らしいことなのでは、ということです。 アタマでっかちでなお話からスタートしてしまうのですが、 そもそも、誰もが、他人の人生は生きられず 他人の感情や考えを自分にコピーすることはできず 「他人など、わかるはずがない」ものだとおもっております。 「自分のことすら、よくわからないし、時に思ったようにできてないにも関わらず なぜ他人の事を知ったつもりになったり、他人を思う通りに動かせると思うのか」 ブッダがそのようなコトを仰ったそうで、彼に会ったことがないのでホントかどうか分かりませんが、 僕もその通りだと感じております。 (僕のネ申には、全てをお見通しされていらっしゃるのかもしれませんが)

「大事な人を亡くしてどうしたらいいかわからない」- ご質問へのお戻し

 「大事な人を亡くしてどうしたらいいかわからない」- ご質問へのお戻し ※このご質問とお戻しの内容は、 4月27日に開催させて頂いた ピアニスト・永田ジョージ、作家・大木亜希子、無職ハゲ小野龍光による 「 人生、詰んでからが本番だった件 」 にて 「ご質問コーナー」に頂いたご相談へのお戻しです。 イベント中でお戻しができなかった「よろしければブログ上にてお戻しします」とお約束したものとなります。 ご質問---- ご質問者:のんたんさん タイトル:「大事な人を亡くしてどうしたらいいかわからない」 本文: 昨年27年付き合っていた人を病気で亡くしました。 いまだに四六時中彼のことを思い出しています。 このままでは前に進めない、新しいパートナーもほしい気持ちはありますが、現状では出会いもなく、なにをしたらいいのかわかりません。 お戻し---- のんたんさん、4/22のイベント起こしくださり、有難うございます。 少しでも心にエネルギーを感じて頂ける時間となっていれば、嬉しく思っております。 頂いたご質問、自分ごときがお戻しする資格があるのか。 何をお戻ししてよいのか。悩ましく、ただ心が苦しく感じております。 なんら役にもたたないかもしれませが、それでも、なにかお力になれるかもしれないと願い 下記お戻しさせてくださいませ。 まず、何より、感じたのは、それだけ長くお付き合いできた方がいたこと、 そして、今も四六時中思い出すほど、想いをよせる相手であったこと、 そのような方と人生で出会うことできたことは とても、有ることが難き、有り難きことと、勝手ながら感じ入っております。 長き時間がもたらしてくれた喜びゆえに、 それを失った苦しみ、悲しみは、癒えるのに時間がかかってしまうものと思います。 簡単には癒えないでしょうし、癒えたくない気持ちもあるかもしれません。 でも、その悲しみで前にすすめずくるしいのでしたら その思い出をどこかに置いて行こうというのでもなく、 胸の奥に無理にしまい込もうとするのでもなく、 そんな素敵な方に出会えた、のんたんさんの人生に感謝しつつ、 その方にも感謝しつつ、 その思い出を大切に胸にかかえたまま、 前に踏み出しみるのはいかがでしょうか。 その方が、今も苦しみ悲しむのんたんさんを見たら、どんな気持ちになるでしょうか。 「自分のために、そんなに悲しまないで。

「死にたいのに死ねないです」- ご相談へのお戻し

 「死にたいのに死ねないです」- ご相談へのお戻し ※このご質問とお戻しの内容は、 4月27日に開催させて頂いた ピアニスト・永田ジョージ、作家・大木亜希子、無職ハゲ小野龍光による 「 人生、詰んでからが本番だった件 」 にて 「ご相談コーナー」に頂いたご相談へのお戻しです。 イベント中でお戻しができなかった「よろしければブログ上にてお戻しします」とお約束したものとなります。 ご質問---- ご質問者:限界主婦さん タイトル:死にたいのに死ねない 本文: 急にこんな重いタイトルでのご質問すみません。 嘘にまみれてると感じる毎日。 誰かの前の自分はその人の前での自分。 ニコニコする自分、ワッと盛り上がる自分、真剣な顔をする自分、時に優しい顔をする自分。 その全てが嘘にしか感じないです。 だからこそ、独りの時はなんの為に生きてるのかも分からないです。 毎月生きるためにお金に縛られてばかり、人間らしい生活と感じる部分もなく、死にたいと感じる毎日。 死ぬために色んな方法を調べる毎日。 でも結局死ねない。 目を閉じて、また目を開けてしまう毎日。 こんな情けない自分はどうしたら良いのでしょうか? お返事----- 限界主婦さん、こんにちは、龍光です。 4/22の会に足を運んでくださり有難うございました。 ご質問、自分ごときが限界主婦さんの苦しさを分かることなどできないものの 拝読し、その苦しいさまを想像し、自分も心が塞がれていくような思いを勝手ながら感じた次第です。 でも、まずは「大丈夫ですよ」と、大変無責任ながらお戻しさせてくださいませ。 「大丈夫」と無責任に感じるのは、 「だって、みーんな一緒なんですから」という理由です。 「一緒」というのは、限界主婦さんの深い苦しみのレベルを 自分や周りのヒトが同じように感じている、というわけではありません。 我々は、一人で生きているのではなく、みんなが支え合って一緒になって 生きているという意味です。 そして、誰だって、大小差はあれ、一人の時にはふっと、生きている意味に虚しさを感じ、 全てを閉じてラクになってしまいたい苦しみを抱えながら生きているものではと思うのです。 ブッダはなかなかクールで厳しいコトを仰るのですが 「生きてるってのは、苦しいことだ」とピシャリと語っております。 でも、その通りかもしれません。 誰だって、必ず老いて、大

ミャンマーで皆様からの「やさしさ」を巡らせて頂けました - 龍光ブログ

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 ミャンマーで皆様からの「やさしさ」を巡らせて頂けました - 龍光ブログ ミャンマーの4月は暑いです。 40℃ちかくまで気温があがります。湿度も高いです。 蝿も蚊もたくさんいます。 そして、今年の1月に続き2度目の訪問となった、 ヤンゴンの国内難民の方々が暮らす集落は 川沿いでもあり、より蒸し暑く、 電気もなく(あっても毎日数時間停電するのですが) 水道水もなく、貯水池の水も枯れつつある環境でした。 その中でも、笑顔でたくましくくらすたくさんの家族や子どもたちに みなさまから善意でお預かりした寄付によって、数百人(600-700名)の方々へ 食料や文房具を届けることができました。 今回は、そのご報告とお礼のブログとなります。 皆様のご厚意のお陰で、たくさんの笑顔が生まれ 自分として、とても有難い体験となりました。 有難うございます。 ミャンマーという国、かつてビルマと呼ばれていた国には 個人的に様々な思いがありました。 第二次大戦で多大なる迷惑をかけてしまいながらも 日本に恩を働いてくれた国。20万人ちかい日本人が、無謀な作戦で悲しい最期を遂げた地。 そして、世界有数の仏教国である地。最後のフロンティアと呼ばれる まだ近代化や西洋資本家が進んでない、自然に囲まれた農業国。 それがここ最近の開発で、アジアでも有数の経済格差に苦しむ地。 そして、直近の政変と内線により、まだ様々な変化による苦しみの最中の地。。 そんなミャンマーに初めて参り、縁が生まれて初めて訪れ そこで、国内難民として暮らす方々とのご縁が生まれたのが、3か月前、 今年の一月のことでした。 その時の様子は、「 川の向こうへ 」のブログでもご紹介させて頂いております。 そこでは、かつての自然災害や政局の変化の中で家を失ったり、 慣れ親しんだ地を離れざるを得ない方々が "不法滞在"として住み着くにいたった集落の方々がいらっしゃいました。 電気も水道もなく、吹けば飛ぶような簡素な家で 食料自給率100%以上の国ながら、1日1食で暮らす 様々な方々との交流の機会を経て、 「ささやかでもよいので、何か自分に具体的にできることをしたい」 そういった思いで、その後の生活をしておりました。 成長ありきの世界に疑問を感じ そこから離れ、無職の身で、お金もほぼ手放した身分の自分です。 できるだけ"