ノータイムポチリは縁を起こす


僕が、仏門をくぐって、ハゲアタマになったのは「ノータイムポチリ」の仕業です。

 

「ノータイムポチリ」?

なんじゃらほい?

ですよね😅。


僕が仏門をくぐるキッカケとなったのは、2022年のインドの旅です。

一般の旅行者として、インドに遊びに行っていたら、

たまたま、そこでインド仏教会1.5億人の最高指導者でもある

佐々井秀嶺上人にお会いする機会を頂き

「オマエ、ボウズになれ!」と仰って頂き

今の姿になってしまったワケですが、

2022年9月に訪れた、インド・ナーグプルにて佐々井秀嶺上人より頂いた御言葉のシーン
JQクエストより

そのインドの旅がうまれたのは、髙橋淨休(じょうきゅう)さんが突如、日本で得度したことがキッカケです。


2022年7月、突如、得度をしJQこと「淨休さん」となった髙橋くん


僕が資本市場の膨張ありきの世界に嫌気がさし、

いったん無職になろうと考えていた時に

彼は「オモシロそうだから」と、突如お坊さんへの道に、

さわやかにカジュアルに飛び込んでいったのです。

いわば「ノリ」なワケです。

彼は、これまでも、ノリで始めた仕事が、

広瀬香美さんのYouTube立ち上げや、その人気に火を付けるキッカケにつながったり

いつも「オモシロそうじゃん」と、直感で人生を切り拓いてきた人間です。


突然ボウズ(見習い)になった彼と、突然無職になった僕と、

ノリで行くことになったインド旅行。

そこで、悪ノリにも近いかたちで押しかけていってしまった

佐々井上人。

そして「ボウズになれ」と佐々井上人に仰って頂き、

悩みつつも、仏門をくぐってしまった自分。


これらは、いわば、全て「ノリ」で起きた出来事とも言えます。

その時の、直感に従って、えいや!と足を踏み出してしまうというような。


その髙橋くんとは、彼が突然ボウズになる10年以上前からの付き合いなのですが、

僕が当時、後先考えず、オモシロそうだと思ったら新たなチャレンジに飛び込んでしまう姿をみて、彼は、とある言葉を僕にくれました。


「小野チン、オマエ、それ『ノータイムポチリ』だな」

と。


アレコレ悩んだり時間をかけたりせずに(ノータイム)、

ポチっとカジュアルに、一歩踏み出してしまう。

僕のその行動様式に、彼は「ノータイムポチリ」と名付けてくれたのです。


その髙橋くん自身が、突如ボウズの道に進んだのも

いわば「ノータイムポチリ」ですし、その彼と突如インドに行くことになったのも

「ノータイムポチリ」

さらには、「佐々井上人に会いに行こう!」と行動し

会ったばかりの佐々井上人に「ボウズになれ!」と仰って頂き

アタマを丸めたのも「ノータイムポチリ」なワケです。


改めて見てみると、この「ノータイムポチリ」は

「新たな縁を自ら起こしている」行為だなぁと感じております。


「縁」は、人と人との繋がりや、人と物事/出来事との繋がりとして表現されますが、

仏教的には(自分の浅はかな理解では)「ある結果につながる、間接的な要因」。

「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、一見繋がりがなさそうに見えても

とある現象(結果)を引き起こすことにつながる、要因の一つが「縁」というもの。

その「縁」は、つねに、その辺にゴロゴロとあるもの。


今日、仕事で上司が機嫌が良いのは、

ほしかった腕時計が、たまたま奥さんに「買ってもいい」と言われたからかもしれず、

その奥さんが「買ってもいい」と言ってくれたのは、

たまたま、近所の友達に「若返った」と言われ気分が良かったからかもしれず、

近所の友達が奥さんが若返って見えたのは、

奥さんも普段はしない散歩にたまたま出かけたから、体調の変化が生まれやすかっただけかもしれず、

その奥さんが散歩に出かけたのも、旦那さんである上司が契約していたNetflixで

気持ちよさそうな散歩シーンを見かけたからかもしれず…。


このように、どこでどのような「縁(間接的な要因)」が、

今の結果につながっているかなどワカラナイほどに、

「縁というのは、その辺にゴロゴロある」もの。


髙橋くんと僕が15年ほど前に出会ったのも、

twitter(現X)で出会ったたくさんの人たちのうちの、たまたまの縁ですし、

そのキッカケとなる仕事を僕が当時始めたのも、たまたまの縁ですし、

初対面の彼と一気に打ち解けたのは、彼が入社面接に一升瓶を持ってきて(笑、

自分が酒好きだったからの、たまたまの縁ですし…。

これらの「縁」のどこかひとつが繋がらなかったら、

いま僕はハゲアタマになっていなかったかもしれません。


みなさんが、今日、ここでこのブログをご覧頂いているのも

このように、実に様々な縁の積み重ねであるのだと思います。


ここで、感じるのは、その縁というのは、「たまたま」とも言えますが、

実は多くは、自ら起こしたものでもある、ということです。

縁を、結果につながる一つの「チャンス(機会)」と言ってもいいでしょうか。

何かの結果につながるそのチャンスは、自ら「起こしてきている」ものでもある。


髙橋くんも、僕にtwitterで声かけしようかなと思った時、

「まいっか」と連絡せずに終えることもできた。

自分も、彼と初めて会った時、入社面接なのに一升瓶持ってくるとは

「オモロい」と思いつつ、それっきりで次の約束をせずに終えることもできた。

二人でたまたまインドに行くことも、たまたま佐々井上人の連絡先をゲットし

「会いに行っちゃおう」と決めることも

ノリではあるけれど、「チャンスを自らつかみにいった」ことでもある。

自ら縁を起こした、ということでもある。


過去の自分から見ると、時に大胆なチャレンジや向こう見ずな行動も

その時起こした縁が、今の自分を作ってくれている。

その時に、躊躇したり、「でもなぁ(やらないほうがいいか/できないか…)」と見送っていたら

縁は起こらなかった。


実は、このように、時に大胆な、そしてささやかな小さき「自ら起こす」チャレンジが

大きく未来を変えるというのは、多くの皆さんも実感があるのではないでしょうか。

でも、人はこれまでの常識や、打算から、本能やココロが向きたがっている方向へ進むことを

時にストップをかけるもの。


だからこそ「ノータイム」にポチっとカジュアルに行動を起こしてしまう「ノータイムポチリ」は

実に縁を起こしやすいのだなぁと思うのです。

「でも、怖くないですか?」「不安じゃないですか?」

よく聞かれるのですが、大丈夫でした。

「ノータイム」なので「えいや」だっただけですから。

考える余裕を持たせずに、ココロのままに従っただけなのですから。

小さな勇気で目をつぶって飛び越えてみた、ということかもしれません。


つまるところ「なーんにも考えてなかった」だけなのです(笑。


でも、その行為が、時に大きく未来を変えてくれることがある。

自分のココロが結果的にとても喜ぶ道につながることがある。

なぜなら、アタマでウンウン考えて選んで進んだ結果ではなく、

ココロが喜びそうな方向に進んで得た結果なのだから。


僕にも、みなさんにも、常に「縁」はゴロゴロあるものだと思います。

久しく連絡してなかったり、LINEで簡単なメッセージしか送ってない親や大切な友人に

いきなり電話をして「ゲンキ?」とただあいさつしてみるのも、

未来を変えるノータイムポチリになるかもしれません。

いつも助けてもらってばかりいる職場の誰かに、勇気をもって笑顔で

「いつも、有難う」と声にしてみるのも、未来を変えるノータイムポチリになるかもしれません。

行きたいなぁと思っていた土地へのフライトを、ポチっと取ってしまうのも、

未来を変えるノータイムポチリかもしれません。


未来は未だ来てないので、つねにワカラナイですが、

少なくとも、今の延長線上にしかない。

だから、今の行動の変化は、未来の変化につながる。

ココロが動きそうな時ほど、縁は起きやすいもの。

そのキッカケになるのは、「ノータイム」にポチっとカジュアルに行動に起こしてしまう。

たったそれだけかもしれません。


みなさまの今日に、そんな善き「縁起(縁が起こること)」が生じますよう

勝手ながらお祈りしております。


今日も有難うございました。



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