「自分らしさ」は変化し続け、日々育てるモノ


自分にはどんな生き方が合っているのか?

そもそも、自分はどういった人間なのか?

「自分の軸」とか「自分らしさ」って一体なんなのか?

 就活や受験などの時期もあってか、

そんな内容に関わるご相談や質問をチラホラ頂いております。


「自分とは?」という問いは

進学、就職、結婚など、人生の転機を迎えた際に限らず

何気ない日常の中でも、

ふと気になるテーマかもしれません。


ということで、「自分らしさ」について、自分なりの考えをまとめさせて頂きます。

あくまで、無職のハゲアタマの戯言として、お流しくださいませ。


冒頭から申し訳ない味気もない内容でスタートなのですが、

結論から申し上げると「自分らしさ」なんて、

「確かなコレ」と言えるものなど、どこにも無いのでは。

だけれど、今日、今この一瞬も含めて、日々「作っていける」モノでは。

「磨いていける」モノでは。

そう、勝手ながら思っております。


実は、仏教的にも、最新の脳科学的にも、

「確たる一つの実体としての"自分"」など存在せず

「自分らしさ」も、あるように感じている"感覚"でしかない。

(いわば、脳内の空想上のモノで、あるという"錯覚"を感じるだけ)

そう、自分なりに理解しています。


「自分という"感覚"」を感じる「自分の意識」は、

空に浮かぶ雲のように、常に変化し状況が変わり

"変化し続ける現象"。

なので、「自分らしさ」みたいな感覚も

「コレっていう何か」が「あるように"感じる"」だけで、

それは、変化し続ける感覚における

"その時だけの感覚"かもしれない。


そうだとすると、就活などで「自分さがし」をしてみても、

「コレだ!」みたいな終着点にたどり着けるワケではなく、

もし掴んだような気がしても、

それは、"その時そう感じただけの錯覚"かもしれない。


実際、大胆な決断をしたくなる自分もいれば

慎重に動きたくなる自分もいたり

それでチャンスを逃してしまう自分もいたり、

「自分らしさ」というモノも、その時の状況によって揺れ動くものではないでしょうか。


だから「自分さがし」といった行為は、

「人生ずっと続く、終わりなき旅」みたいなものかもしれない。


じゃあ、「自分さがし」はイミがないのだろうか?

目の前に、就職やら、人生の選択やらが迫っている時に

いったい、何を頼りに選択すればいいのか…。


そんな時は、

結論、「行けば分かるさ」なのでは、と。



「オイ!オマエは、無職で生きてる脳内花畑のハゲアタマだから、

そんな無責任な答えを言えるんだよ!ヽ(`Д´)ノ」


そんな声が天から聞こえてきそうで、スミマセン(汗。


もうちょっと補足すると

選択をしようとする時こそ、

「自分の傾向」「自分の軸」みたいなものを磨き、育てていける

チャンスタイムなのではと思うのです。

「意識した選択」をするほどに、「自分という傾向」が育っていく、

そんなイメージでしょうか。


繰り返しですが「自分らしさ」といったモノは

変化し続ける"感覚"なので、確たる固定の何か、などは無い。

だけれど、"変化し続ける現象"の「傾向」はあるハズでは、と思うのです。


脳科学的に言えば、自身の脳で、よく活性化する部位や回路といったイメージです。

期待されると頑張る傾向、とか、逆に隠れたくなる傾向、のように。

それらの"傾向"も、長期では変化しうるのですが、

それは、脳内の神経回路なので、一度育って固定化されれば、簡単には変化しない。

外国語を頑張って習得したり、文字の書き方を練習してキレイに書けるようになったら、

それらの能力は簡単には衰えないような事と一緒でしょうか。

(とはいえ、放置して時間が経てば、退化もしていきますが)


「自分らしさ」というと、とっても曖昧ですので、

「自分の傾向」「自分の軸」もしくは、さらに具体化して

自分の「価値観」「判断/行動様式」という言い方をしてもいいかもしれません。


それらは、選択を迫られるごとに、意識して選択することで、磨いていける。

(脳の回路、活動パターンとして)育てていける。


「ちょっと、待ってくださいよ!受験や就職や結婚の選択みたいに、

人生で、そう何度もある選択じゃないのに、「やってみないとワカラナイ」

「育てていける」なんて、ちょっと悠長すぎませんか!

その選択の日は、もうすぐやってくるんですよ!」


そうかもしれません。失礼しました(汗。


ですが、実は、その「選択」とは、何も、人生の大切な選択の時だけではなく、

いつだって、今日、今の瞬間だってできるものかもしれません。


何かを選択する時の、自分の「価値観」「判断様式」を意識する。

何かを行動をするときの、自分の「行動様式」を意識する。


そう捉えてみると、今日これからの一日でも、実にたくさん、あるのではないでしょうか。


たとえば、ハッキリした答えを出してくれないこの不愉快なブログを読むより(汗、

かわいいニャンコやワンコの動画に切り替えるほうが

楽しくすごせるかもしれません。それも一つの「選択」です。

この後出かける際に、エスカレーターを選ぶか、階段を選ぶかも、選択です。

我先に電車に乗り込み、座ろうとするのか、周りの人に譲ろうとするのか。

移動中に、ただ漫然とニュースサイトや動画を見続けるのか

本を読んだり、単語帳に目を通したりしてみるのか。

コンビニで商品を受取るときに、「有難うございます」と言うのか、黙って受け取るのか。

これら、すべてが、日々の中での「選択」です。


これらの選択は、意識せずに、自動運転でこなすこともできますし、

あえて「意識して考えてみる」ことだってできます。


そして、

「なぜ、こっちの選択肢のほうがイイんだろう。それを選んだら、自分はどのように感じるのだろう」

のような意識をしてみると、

自分の「判断基準/価値観」の傾向も、少し見えてくるかもしれません。

すると、「自分の心が喜ぶのは、どういった行動様式や判断をする時なのか」

その傾向も見えてくるかもしれません。

さらには、見えてくるだけではなく、

「その傾向を言語化して把握する自分」が生まれることで、

より自信を持って「自分の判断、行動様式、価値観はこういう傾向かも」と

それらをさらに磨いていける。

そんな風に感じてます。


こう聞くと、生活の中で常に自分を意識しなければいけないかのような、

窮屈な事と感じるかもしれません。


けっして「箸の上げ下げまで行動をすべて意識して」など言いたい訳ではなく、

ふとした時でいいので、

普段は何も考えずに「いつも通りの行動」を無意識に(自動運転で)している行為に

自分の行動に意識を向けて考えてみる。

「どうして、自分は、こうするのだっけ。そうすると、自分は何が嬉しいんだっけ」

「他には選択ってあるんだろうか。自分が嬉しいだけじゃなくって、他の人も喜んでもらえたら、自分も嬉しかったりするんじゃないだろうか」

そんな風に、自分と語り合う機会を設けてみる。


受験や就職、結婚は、何度もできないかもしれませんが、こういった日々の中での

実に様々な行動や選択の機会は、

今日からでも意識して見つめる事ができるのではないでしょうか。


人生の中では、まるで重要でもなさそうなイベントではありますが、

それらの選択においても、

「自分は、どういった時に喜びを感じるのか」

「自分は、どういった行動や判断の傾向があるのか」

といったヒントが生まれるかもしれず、

「自分の傾向」は見つかりやすくなると思います。


そうすると、受験や就職、結婚など、人生での大きな選択でも、

どういった価値観の環境、相手を選択すると、自分の傾向に合いそうか、

見えてきやすいものかもしれません。

何より、そういったプロセスが、

自分の価値観/行動様式を育てていける機会になると思うのです。



いざ何かの選択が近づいてきて、

あわてて探したところで、

「自分らしさ」なんて、すぐには浮かび上がってくるものでは無いのでは。

そして、それを掴んだように感じても、それは変化していくものでしかない。


だけれど、今日、いまからでも、

自分の行動や判断に、少しでも意識を向けるようにできれば

「自分の傾向」は見えてくるかもしれない。

そんな風に自分に向き合うのは、楽じゃないけれど、

その鍛錬は、「自分の価値観/行動や判断の様式」の傾向を磨く機会にもなり

それらを自信をもって把握できるようになっていくのでは。


そう思っております。


「でも、もう判断が近づいているんですが…今からでも間に合う?」


大丈夫ですよ。


すべての変化は、今できる、小さき一歩からしか生まれません。

踏み出す先に、道が生まれます。

きっと、行けば分かります。

そう、信じ、祈っています。


なので、大丈夫ですよ。


自分も、サボらず、日々、自身を向き合い

「自分」という変化し続ける流れを、その現象の推移を

楽しんで磨いて参りたいと思います。


今日もお付き合いくださり、有難うございます。


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