縁は巡る


「時には、昔の話しを…。」

ということで、少しだけ自分の前世にまつわるお話をお許しくださいませ。

 

自分がこのようなハゲアタマになったのは、

2年前の2022年9-10月に、たまたま訪れた旅行先のインドで

インド仏教会の最高指導者でいらっしゃる佐々井秀嶺上人にお会いし

「オマエ、ボウズになれ!」と仰って頂いた事がキッカケです。

そして、その旅行の縁となったのが、JQこと髙橋淨休(じょうきゅう)さん。

彼とは20年来の親友で、元々はtwitter(X)経由での出会いという、

また変わったご縁での繋がり。


その彼が、僕が前世でのビジネスの世界で苦しみ、

いよいよその世界から離れる直前まで勝手に自身を追い込んでいた時に

夜中、突然、僕に突飛な写真とメッセージを送ってくれました。


「得度したったww 京都の仁和寺で。 淨休になりました」


「は??ww え?www どういうこと???www

ちょw、話しきかせて!!!」


彼の家は、お寺や仏教とは全く縁が無い。実家にも何度も言っているし、

なんなら兄弟やその家族とも合うくらいに深い繋がりだけど

「仏教」なんてキーワードも聞いたことがない。

彼は元々、突飛な行動をとる人間ではあったけれど、なんで?いきなり?

そして「得度(とくど)ってなに?出家ってこと?」

いろいろ、イミがわからない。

にも関わらず、なぜだか、半泣きでゲラゲラ笑いが止まらない自分がいました。

何だか良くわからないながら「あのやろう、やりがたって!」という気持ちの自分がおりました。

そして、数日がたち、僕のもとへやってきてくれた淨休さんに

根掘り葉掘り聞いていく。

「いや〜、なんか、実は昔から、お坊さんになりたいっておもってたんよ」

「(本名の)淨久(きよひさ)って名前、じいちゃんがつけてくれたんだけど

どうやら、お坊さんになってもいいような名前を選んだらしいし」

一見、人生の一大事の決断をしたように全く見えない彼が

カラカラと明るく笑いながら、ことの顛末を話してくれる。

「でも、得度?出家?っていうの?そんな簡単にできるもんなの?」

「いや〜、普通はお寺の子供だったり、仏教の大学でたりとからしいんだけど

たまたまオモロい事に、お坊さんと出会う縁があって、そのお坊さんに

『ぼく、実はお坊さんになりたいって思っていたんですよ〜』って言ったら

『あ、なれますよ。なりますか?』って、あっさり言うんよ」


なんと、そんなカジュアルな出家があるんだと。

しかも、京都の仁和寺で得度って、かつて教科書で習った「仁和寺の和尚」でも有名なお寺じゃないか。

そんなふうに、髙橋くんを「淨久(きよひさ)」から「淨休(じょうきゅう)」に生まれ変わらせてくれたのが

岡山県・蒜山(ひるぜん)高原にある福王寺 住職でいらっしゃる小谷剛璋さん。



淨休さんに聞くところによると、小谷さんは、仁和寺でお坊さんの見習いの方々を指導するようなお偉い方だというのに

「お坊さんなってみた〜い」というカジュアルなノリの淨休さんを

「いいですよ!なれますよ!」と、彼を弟子として迎い入れ

得度に導いてくださったとのこと。

淨休さんのようなオモシロイ人間を簡単に受け入れてしまうなんて

お坊さんとはいえ、オモシロイ方もいるものだ。

当時の僕はそんな風に感じておりました。


そして、淨休さんに

「お坊さんになって、この後どうするの?」

と聞くと

「わかんな〜い。でも、なんか、お坊さんになったら、世界中の人と友達になれそう」

と、相変わらず彼らしいオモシロイ発想が戻ってくる。

そこで、僕の心の羅針盤の針がピクっと動いたのです。

「実はさ…。ここだけの話し、自分、8月末で仕事を辞めようと思っていて…。

その後、なーんにも決まってないんだけど、暇になるから、一緒にどっか世界に旅でも行こうよ」


そんなノリで、お坊さん姿の淨休さんと、僕と「どっかに」旅行を行こうということが決まり

その後、僕と彼の共通の友人で、インドにすむ繁田奈歩ちゃんより提案があり

「淨休さん、仏道に入ったんだから、仏教が生まれたインドにおいでよ」

とのことで、「じゃあ、インド、ひとまず片道キップで行ってみるか〜」

「いいね!じゃあ、オレは淨休さんのお坊さん姿でみんなと友達になっていく様を

おもしろそうだから、ビデオで収録しながらついて回るよ」

と、彼が主役、僕がカメラマンとして、インドの旅が始まりました。

それが2022年9月のことです。

インドは、仏教はじまりの地。

仏門に入りたての淨休さんは、いつものカジュアルなノリで「インドはじめて〜」

僕は、インドは3回目とはいえ、「なんか楽しそ〜」と同じくカジュアルなノリ。

でも、淨休さんを弟子として迎え入れた小谷さんにとっては

「お釈迦様が生まれ、

(小谷さんが慕う)弘法大師(空海)が日本に広めた経典が生まれた天竺」

として、とても思い入れもあり「いつか訪れてみたい」憧れも強い土地。

そこに、弟子になりたての淨休さんが行くことになる。

僕と淨休さんが成田からインドに旅立つ日、小谷さんは、

わざわざ岡山から成田まで駆けつけて、淨休さんと僕の旅が

安全で善き時間になるよう、淨休さんに言葉を託したノートなどを持ってきてくださったのです。

さらには、安全を祈念するお祈りまでビデオに収めて送ってくださったのです。

「有り難いお師匠さんに出会えたねぇ」と僕と淨休さんと感動をしながら成田を出てインドに向かったのでした。

そして、1ヶ月強におよぶ、毎日が「明日どこへいくか」のあてのないインドのハチャメチャな旅が始まったのでした。

そんな中で、起きたのが、たまたまの縁で生まれた

佐々井秀嶺上人との出会い、そして、僕の得度というイベントが生まれていったのです。

ミイラ取りがミイラになる、ではありませんが、

得度したての淨休さんをカメラマンとしてインドで追いかけていた自分が

気がつけば、自分が得度してハゲアタマになってしまったワケです。

その様子も、遠く日本より暖かく(おそらく驚きとともに)見守っていてくださっていたのですが、

その小谷さんをさらに驚かせる出来事があったのです。

それは、佐々井秀嶺上人とインドで出会わせた直後、

淨休さんと僕が佐々井上人が10年かけて掘り起こしたという巨大な仏教遺跡に連れて行って頂いた時のこと。

佐々井上人「オレの調べた限りでは、こここそが"南天鉄塔"だと思う!こここそが、大乗仏教の始まりの地とも言える場所だ!」

佐々井上人が掘り起こし「南天鉄塔」と考える「マンセル遺跡」にて淨休さんを撮影する前世の小野


淨休・小野「へぇ〜、なんか(良くわかんないけど)すごーい!!」

佐々井上人「(二人が事の重大さをも分かってないのを見抜いて)淨休が得度した京都の仁和寺にも、この南天鉄塔を描いた掛け軸があるんだ!!

南天鉄塔は伝説だという意見もあるが弘法大師・空海は『南天鉄塔は実在する』と言っていたんだ!」

そんな出来事を日本でネット越しに見ていた、小谷さんは

感動のあまり、涙を流しながら、我々の様子を見ていたそうです。

「南天鉄塔」というと、小谷さんの真言宗においては、日本に伝わるあらゆる仏教の教えが秘蔵されていた、根本の地であり、仏教が始まったインドの中でも、特別な思い入れのある地だったのです。

その存在すら、伝説となりつつあるような地に、そんな事をなーんにも知らない淨休さんと僕が楽しそうに、その地を訪れている。

一生に一度は訪れてみたい地に、受け入れたばかりの弟子が、たどり着いてくれた。

そんな思いで、涙を流し感動していたそうです。

そして時は流れ…。

僕はハゲアタマとして日本に帰国し、淨休さんも師匠である小谷さんにインドの旅の報告に行き…。

その後、2023年、

小谷さんは、宗派を超えた若手僧侶たちが集い、最も『また会って話しを聞きたいお坊さん』を決める「H1法話グランプリ」にチャレンジすることとなりました。

テーマは、「発心(ほっしん)」仏門へ進む心を発すること。

まさに、淨休さんが"発心"をおこし、得度し、インドに行った顛末のお話を

とても感動的な内容でお話になられたのです。

そして、それが、見事、グランプリに輝きました。



さらには、今年2024年9月(つい先日)。

淨休さんから「来週、小谷さんとインド行くかも〜」との連絡が。

いつも通り、突然、思いつくままに動くなぁと(人の事は言えないのですが)思いながら

「おぉ〜、いよいよ小谷さん、憧れの南天鉄塔に行けたら嬉しいねぇ!」と聞いていたら

次のチャットでは

淨休さん「いま小谷さんとインド〜」

さすがの行動力(笑)。


小谷さん、佐々井上人、淨休さん


そして、ついに、小谷さんも憧れの地

"南天鉄塔"と佐々井上人が目すマンセル遺跡へ

しかも、弟子である淨休さんがアテンドをしながら。



今度は、その様子を、日本で見守る僕が勝手ながら涙しながら見ておりました。

その時の感動について小谷さん、淨休さんにお話頂いた時のポッドキャストがありますでの

よろしければお聴きくださいませ



「縁」というのは、本当に不思議なものだなぁと、改めて感じます。

そもそも、前世の時から「縁(えにし)」という言葉が大好きだったのですが、

この姿になってから「縁」「縁起」という言葉が仏教においてとてもコアにある言葉だと初めて知ったわけですが…。

あらゆる出来事(結果)には、原因がある。因果律、というブッダの考えです。

でも、原因は一つではなく、実に様々な間接的な要因がある。それが「縁」というもの。

いわば、未来の結果につながる「縁」は、そのへんに常にゴロゴロたくさん転がっている。

本人が全く気が付かずにやり過ごしているものもたくさんある。

たまたま、「何かの縁で」、その要因(縁)が起きれば、

後で出会う「結果」につながっていく。

縁は、手を伸ばせばつかめるかもしれないけれど、常に見逃しているかもしれない、

そのようなもの。


僕と淨休さんとの縁(関係)は、20年前の出会いが無ければ起こらず、

淨休さんとインドの旅は、淨休さんと小谷さんとの縁が起きなければ、生まれなかったもの。

そして、そのインドの旅で、佐々井上人との縁も、ひょんな縁が、綱渡りのように繋がり繋がり、たまたまおきたもの。

でも、淨休さんと僕が、「スケジュールなど決めない旅」をしていたからこそ、生まれたご縁でもある。

そして、そこで目にした「南天鉄塔」とのご縁。

その出来事を日本から感動して見ていた小谷さんが、今度は淨休さんのアテンドでその地に訪れる。

このように、人生というのは、ちょっとした小さき縁で実に大きく動いて

巡り巡っていくものなのだなぁ、と改めて強く感じるしだいです。

インドの旅に行くときに、淨休さんが言っていた名言があります。

「うちら(淨休ならびに小野)って、『でもな』レベルが低いじゃん?

普通だったら、いきなり得度するとか、インドに行くとか、って『でもなぁ』って考えて

止めたり躊躇するけど、うちら、そんなのぶっ飛ばして『オモロそ!』ってやっちゃうじゃん」

と「でもなレベル(の低さ)」という言葉です。

それが、我々の周りでゴロゴロあった「縁」を起こすキッカケになったのだろうと思います。

興味があっても、そこで手を伸ばさなければ、起こらなかったような「縁」も起きてくれたのだと思います。

今後も、そのように、「でもな」に囚われず

縁に身を委ねて、おもしろき時間を重ねて生きたいと思います。

あらためて、淨休さん、小谷さん、そして佐々井上人

大変有り難いご縁を、有難うございます。


お恥ずかしい宣伝となってしまいますが、

僕と淨休さんが、インドの旅に出ることを決めて、

ハチャメチャな珍道中を繰り広げ、そこで佐々井上人と出会い

小野の得度にいたるまでをすべて収めた動画「JQクエスト」がありますので

よろしければご覧くださいませ(長いですが!)




今日もお付き合いくださり、有難うございました。

このブログの人気の投稿

瞑想について - 龍光ブログ

はじめに - 日常で役立つ やさしいブッダの教え1

アメリカ最大級のホームレス地域を訪れて - 龍光ブログ