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11月, 2024の投稿を表示しています

自身の成長こそ次世代の成長につながるものかも

自分は子どもを育てたことがない人間です。 なので「教育」を語る資格など無い、というご意見もあるかもしれません。 けれど、教育を受けた事はあります。 って、みんなそうなんですが😅。失礼しました。 有り難いことに、子どもたちや教育者の方々向けへのお話の機会を頂戴したり 龍光ポストでも、子どもとの接し方に関するご相談は実に多く 「教育」について考える機会を頂く日々です。 今回新たに、特別支援学校の先生方へのお話の機会を頂戴し 改めて「特別支援学校」について調べてみました。 驚いたことに、少子化の中で、特別支援学級に通う生徒の数は増加を続けている。 いくつかデータがありますが、ここ10-15年で10倍!にまで増えているというものもあります。 一方、先生の数や学校の数はむしろ減っている。 この情報だけで、すぐに答えに飛びつこうとするのは、脳のいたずらで 偏見を生みやすいものなので、冷静に受け取らなくてはならないのですが、 かつては意識を向けられていなかった、 "多動症"や"自閉症"といった"発達障害"と呼ばれる「症状」が認知されるようになり 時には「医療」の対象になったり そういった「症状がある」とされる子たちも特別支援学級に通うケースがでてきていて 「特別支援学級の対象の子どもの範囲が拡がった」という背景もあるようです。 そこでは「発達障害」という名前が一人歩きし、 もしかしたら、一時的な現象で、時間とともに緩和するかもしれない子どもの状態に 「発達障害」というラベルを貼り付けることで 子どもの自信を奪ってしまっていたり、 その「症状」に不安になり「特別支援学級での支援をしてほしい」とリクエストする親御さんが増えて、学校や先生の負担が増しているケースもあるかもしれません。 一方で、様々な課題がある子たちに、画一的な普通教育"だけ"ではなく、 特別支援学級"でも"細やかな支援をできるようになったという一面もあるそうです。 とはいえ、特に「発達障害」とラベルを貼られる子どもの数と共に、 特別支援学級の生徒数が少子化の中増えているのは、大きな課題です。 この背景の理由は、画一的な「成績がよいほうがよい」という価値観や、 インターネットによる刺激の中毒になりやすい状況や、 相手の痛...

会って、話すこと。

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先日、銀座マメヒコでの 永田ジョージとのピアノ&トークライブ みなさま、ボクのピアノ、楽しんで頂けたでしょうか。 あの日のために、ずっと隠れて練習していたのです。 毎日、手にマメができるほど。 あ、仏教ではウソはダメって戒律に書いてました。 スミマセン。 でも、法華経という経典では、 ブッダが、集まったたくさんの弟子たちを前に 「オレ今までみんなに言ってきたこと 実はぜーんぶウソだったのね。 今から言うのがホントね」 と壮大なボケからスタートします。 嘘も方便です。 あ、重ねて、スミマセン。 さて、本題に戻りまして…。 その銀座のイベントで急遽、ジョージがステージへと呼びかけたのが 田中泰延(ひろのぶ)さん 。 ジョージのXの投稿でちょくちょくお見かけし ボケっぷりにニヤニヤしながら楽しませて頂いていたのですが、 ジョージとのトークライブに起こし頂いており 急遽ステージにも上がってくださり、 はじめてお話させて頂けました。 そこで印象的だったのが、 それまで大金を注ぎ込んで集めてきたコレクションを 「笑いながら捨てた」というお話でした。 コレクションを捨てるというより、それが保管されていた家ごと潰したという 大胆な捨て方だったそうですが😂。 ひろのぶさんは、電通のコピーライターというキラキラしたキャリアを捨てて 自分の会社を起こされた方です。 その名も 「ひろのぶと株式会社」 英語だと Hironobu & Co. キラキラした石や金属を売る会社… ではありません。 売れた分だけ印税が10%以上にアップするという新たな形の出版社だそうです。 (通常、本の印税は、本の値段の10%が著者に渡ります) Xでも直接お話を伺っても 常におもしろさに溢れたひろのぶさんより頂いた本のひとつが この「会って、話すこと。」という本でした。 この本は、コロナ禍に書かれたものだそうです。 もう忘れかけていますが、一時、 「外に出かけて、会いたい人に会うことすらできない世界になるのだろうか」 という不安と悲しみで埋もれそうになったのは、つい数年前のこと。 人間は、本当に忘れっぽく、 普通に外に出かけられる状態が「当たり前」になってしまうものですね。 とにかく、笑いっぱなしで、 でも、とても心暖かくなる本でした。 そして、内容は大変ためになる 学びも多く実践につながるもので...

生きているだけでも勲章モノでは

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「生きているだけで、褒めてもらえるんだ…」 そんなステキな言葉を語ってくれたのは、 先日久々に会った「かかんちゃん」こと、岡田果純(かすみ)さん。 かかんちゃんとの出会いは、10年ほど前。 酸素も薄い2000-3000メートルの高地にある砂漠(チリ・アタカマ砂漠)を 7日間かけて250km走るというマラソンレースの、ランナーの一人として。 かかんちゃんは、当時まだ大学生でした。 このレースは、出るだけでも参加費や移動費などで100万円ちかいお金が必要。 でも、大学生の彼女にはそんなお金はない。だけど、なんとか出場したい。 そんな彼女は、経験もないのに営業電話をあちこちかけて 散々断られつつも、なんとか支援を得て、砂漠レースに挑戦するのだと そう、ニコニコ語っていました。 それだけでもすごいなぁと感じさせたのですが、 彼女には、さらなる大きなハードルがありました。 それは、彼女が一型糖尿病を抱えているということ。 小学校3年生の時に発症して以来、 インシュリンを打ち続けなければ生きていくのが難しい生活。 この砂漠マラソンは、 寝袋や遭難時の装具や道具や7日分の食料など、すべて自分で背負って走らなければならない。 コースを見失うなど、生命の危険もあるため、 必須の所持品がたくさん定められており 通常の選手でも10kgほどの荷物を抱える必要がある。 ただでさえ250kmを走るのは大変なのに そのうえ酸素が薄い地を走るのだから、 身体への負担を減らすために、選手たちは少しでも荷物を軽くしたがる。 でも、かかんちゃんは、7日分のインシュリン注射や血糖値測定器など 他の選手が必要ないものまで担がなければならない。 お金の支援を集めてまで、彼女が砂漠マラソンに挑戦したのは、 糖尿病を抱えながらでも、 「一歩ずつ前に進めば、遠い所だってたどり着けるのだ」と 他の糖尿病患者にも勇気を届けようとしたからだそう。 40℃前後の暑い砂漠を とても小さな身体が半分隠れるほど 大きなリュックを背負いつつ走る彼女は 「病気のおかげで、いろんな気付きが得られた」と いつもニコニコ前向きに笑いながら、見事に250kmを完走し 立派な完走メダルを嬉しそうに手にしたのでした。 そんな彼女のストーリーに、当時、僕も大変感動し勇気をもらったのを覚えています。 そして、その彼女も、いまや社会人。 先日、久々に...

SNSについての、ご覧頂いても役立たない脳内劇場

ブログやXなどで何かを発信する時には 何かお役に立てそうなことをと心がけております。 ホッコリできるようとか、ニッコリできるようとか。 でも、このブログは、それがまだ見えていません。 故にXでもシェアしません。 自分の脳内でのささやかな議論の内容をただ、テキストにしてみるようなものです。 小さき、悩みの中身を、ただ晒してみる実験のようなものです。 同じような感覚の方には、安心材料や参考になるのかもしれませんし、 求めてもない脳内会議の議事録を見せられているだけかもしれません。 という前置き自体が、小さき脳内会議の中身なのですが…😅。 さて、X(旧twitter)を辞めようか、という脳内の問いが常にあります。 そもそも、得度した際、全てのSNSアカウントを消しました。 今利用しているSNSはXのみで、前世(得度前)のアカウントを削除した後で 新たに作成したものです。最初は時限的にと思っていました。 が、有り難いことに「日々の発信に救われています」とおっしゃって頂く機会が少しずつうまれていきました。 自分としても、人様のお役に立つ生き方を実践していく中で、 現代社会において多くの人が活動している場としてのSNSへのドアを閉じるのは 「独り善し」とした、いわば自分だけがおだやかに過ごすための生き方であり 進みたい道ではない。 かといって、じゃあ、インスタだFacebookだ、と「あれもこれも」となると 「もっと」が尽きぬ。 自分なりの「ほどよさ」として、今はXのみの利用にしております。 時限的に始めた今のXも、自分なりに「ほどよく」付き合いができるように感じてきておりました。 が、先日の ブログにまとめた"Nexus" を読んでから 「Xを利用するほどに、いわば自分も、将来の危険性のあるAIを育てていることに加担していると、言えなくもない」 という気持ちも生まれてきました。 そして、昨今のXの風潮が、Nexusで警鐘を鳴らされている通りかのように 憎しみや怒りや不満がより蔓延し(以前からその傾向はありましたが) 運用方針も、いわば、いかに「多く、長く、耳目をあつめるか」に寄ってきて、 結果的にコンテンツの内容も「(見てもらえれば)なんでもあり」に乱れてきているように、個人的に感じております。 はたして、ここで発信を続けるのは、よいことなのだろうか? ...

ブッダの対話法

 先日、 "「対話」は幸せをもたらすツール"というブログ をまとめさせて頂きました。 今日は、自分なりの学びから感じた ブッダの対話法についてまとめさせて頂きます。 仏教の経典は、何度読んでも発見があり、 たかだか2年ほどしか学んでない自分には まだ、なーんにも分かっちゃいないことだらけです。 あくまで、現時点での薄っぺらい解釈である前提でご笑覧頂けたら幸いです🙏。 まず、経典を読んでいて感じるのは、 ブッダは「対話」が多いということです。 「対話」なので、 何かを一方的に伝えるのではなく、 相手の話しを聴いたうえで、こちらの話しも伝えていくスタイルが多いです。 そもそも、ブッダが何か言葉を発する際は、 その目的はとてもシンプルです。 それは、「相手の心が安らぐように」すること。 そう、感じております。 自分が伝えたいことを喋るのが目的ではない。 ましてや、自分が信じていることを相手に理解させようとしたり、 説得しようとするのでもない。 「相手が、自ら何かを感じ取って、心がやすらぐ」ことが目的である。 語る内容がいかに正しくても、 それが真理であっても、 相手の心持ちが整っていなければ(心が準備ができてなければ) それは、相手には伝わらないかもしれない。相手の心には染み入らないかもしれない。 なので、相手に実際に「感じ入って」もらえるような話し方を試みる。 相手の心が「安らぎを感じる」のが目的なのだから。 そんな話し方なのでは、と感じております。 なので、そもそも 言葉を発するのは、 何かを喋りたいから、伝えたいからではなく、 あくまで「相手の心が安らぐようにしたい」から。 これが大前提にあると感じております。 ゆえに、まずは、 相手を理解しようとするところからスタート します。 対話のスタートの仕方は、 基本は、相手からの何かしらの問いかけに対して、答える。 というスタンスです。 問われてもないのにべらべら喋るということはありません 。 まずは「相手の言葉を聴く」ところがスタートになっている。 そう、感じてます。 そして、相手の問いかけが終わってから(最後までしっかり聴いてから)、 まずは共感や同情を示し、まずは受け入れようという姿勢を見せる のです。 そこでは、 基本的に、相手の言葉に、 すぐに解釈や判断を伝えようとはしない のです。 (明...

「サピエンス全史」著者ハラリ氏最新作"Nexus"を読んで

 約40億年の生物の進化でうまれた生物種のなかで 我々ホモ・サピエンスは 最も賢いのだろうか、それとも最も愚かなのだろうか。 我々は、原子の構造を理解し核兵器を生み出したり 自ら学び、判断まででき、感情があるかのように振る舞うことすらできる AIを作るほどまでに賢い存在である。 それは、我々がほかの生物種と異なり、多くの他の個体との間で 柔軟な協力関係(つながり)を築ける能力を手に入れたからだ。 でも一方で、我々は自分たちが生み出したそれらの力をコントロールできずに 自らを滅ぼす道へ進む、愚かなことをしているのかもしれない。 なぜ、我々はそのような存在となったのだろうか。 世界的なベストセラー「サピエンス全史」を書いた ユヴァル・ノア・ハラリ氏の最新著書 "Nexus"が発売され 時間をかけつつようやく読み終わりました。 "Nexus"は「つながり」といった意味です。 ヒトは一人では、核兵器やAIを創るよう事など成し遂げられず 集団で協働するから生き延び、文明を発展させてきた。 その背景には、 多くの人々が協力しあえるよう、人々をつなげるのに重要な役割を果たしてきた "情報"がある。 この本は、 情報技術の進化と、それによる人々の"つながり"の在り方に着目した書です。 自分の読解力レベルではありますが、自身の理解を確認する意味も込めて まとめさせて頂きます。 自分なりの意訳も含んでおります。 本も長いのですが、まとめも長いです!!! ゴメンナサイ😅🙏 ----- 我々は 「ホモ(ヒト)・サピエンス(知恵のある)」 つまり「賢いヒト」と名付けられている。 そんな我々は、過去10万年以上にわたり、 数多くの発見や発明をし、地球上の征服をも可能にする力を積み重ねてきた。 しかし、その力は、 むしろ我々自身を危機に追い込む状況を導いている。 我々は、自らが持つ力の乱用により、 気候のバランスを崩し、 我々の生態系はいまや崩壊の瀬戸際にある。 それでもなお我々は、 我々の支配を抜け出て我々を滅ぼす可能性すらある人工知能(AI)や それによって動く数え切れぬほどのドローンや自動応答ボットやせっせと作っている。 そんな中、国際的な緊張は高まり、グローバルレベルでの協調はより難しくなり、 あらたな世...