ネットとの「ほどよい距離感」の生き方
自分は インターネット(特にSNS、Youtubeなどの動画サイト、ニュースサイト)への接触はできるだけ限定的にさせて頂いております。
Xも、投稿するのが専門で、他の人のタイムラインはほぼ見ておりません。
(ネ申の投稿は、ヒトの投稿を超えていらっしゃるので、有り難くも唯一、拝見させて頂いておりますが😅)
とはいえ、このブログもインターネット上に一方的に置かせて頂いたものですし
Xでも、好き勝手に発信するだけでしかなく、
まことに自分勝手な在り方でして、申し訳有りません。
一方で、「龍光ポスト」からのお便りだけは、欠かさずチェックし、
ほぼ24時間ほどで全てお戻しさせて頂いております。
と、これは、あくまで、現時点での自分なりの「ネットとの距離感」です。
前世では、ネット漬けの時間ばかりでしたが、
得度した後は、一度全てのSNSアカウントも閉じ、
ブログもポッドキャストもあらゆるネットでの発信を閉じたこともありました。
なぜ、このように、ネットとの「ほどよい距離感」が変化してきたかについて
勝手ながら書いているのが、このブログです。
お断りのとおり、一方的な内容でしかありませんおで、
あくまでご興味あれば、ご笑覧くださいませ。
いまのネットとの「ほどよい距離感」は
かつて体験したような
誰かの評価ばかりを気にして生きる生き方になってしまったり
誰かの用意した心地よい世界が自分の全てのように錯覚してしまったりして
自分が心から感じとれる世界が見えなくなったり
心から進みたい道を進んでいくことがしにくくなってしまわないための、
自分なりの「気をつけ方」から生まれた距離感です。
前世では、自分のSNSの投稿がどれだけ「いいね」をもらえるか
フォロワー数がどれだけ増えたかが気になって、
しょっちゅうSNSを覗きにいってました。
ネットと呼ばれる「画面」を眺めてばかりの生き方とも言えるかもしれません。
それはそれで、楽しい時間を頂戴し、有り難い体験でもありました。
ですが、世の中の秀才をあつめ、最新のテクノロジーにより
「いかに長く見てもらうか」の技術がつまったSNSのタイムラインや動画/ニュースサイトは
気がつけば「ついつい、はまり込んで見つづけてしまう」ように創られている。
(前世での自分の職業でも、そのようなサービスを作ることに時間を注いでおりました…。)
どんな投稿を、どんなタイミングで見せれば、思わず視聴者が食いついてしまうか、
AIは、我々の脳を簡単にハッキングできてしまう。
それは心地よい愉しさを与えてくれもする、有り難さもあるけれど、
自分が画面の中に囚われて、
自分の周りにある世界が見えなくなる生き方になってしまっているかもしれない。
自分しか触れられない、感じ取れない周りの出来事や、人たちが見えなくなり
自分しかできないはずの事に気が付けない生き方になってしまっているのでは。
そんな違和感がありました。
いわば「いまここにいる自分は、今ここを生きているのではなく、
画面上の(もしかしたらAIが作ったかもしれない架空の)画像や動画や物語ばかりに没頭し
それは『自分の人生を生きていると言えるのだろうか』」
といったような違和感が。
そして、画面の向こうでの世界は、
自分で選択したようで、実はAIに用意された世界である違和感だけでなく、
そこでは、自分の価値観で生きているというより、
「用意された価値観に沿ってばかり生きようとする」生き方になっているような違和感もありました。
自分の投稿が、いかに多くの人に「いいね」と言ってもらえるかを気にしている自分がいて、
「誰かに(そのSNS上においてでしかない価値観の一つの)『いいね』をもらうための生き方(見せ方)」に
知らず知らずに引っ張られている自分がいるような違和感。
冷静になれば、そのSNSを見てない人だっているわけだし、
見ていても「見たよ〜」という気持ちくらいで押された「いいね」もあれば、
何か感じ入るものがあっても、特に「いいね」ボタンを押さない人だっている。
にも関わらず、そのSNSでの「いいね」を得ることこそが、
自分の人生の価値が決められていくような錯覚が生まれ、
「いいね」がもらえなければダメなような感覚さえ生まれ、
なんとか「いいね」をもらうための生き方を意識する自分がうまれていく…。
それは、「(AIが見せている)物事が、自分の世界と感じて生きているだけではなく、
(AIが用意した基準の)評価軸が、自分の世界の評価と感じて生きている」とも言えるかもしれない。
それって、自分が選んだ世界観や価値観を、自分の意思で選んで生きていると言えるのだろうか。
はたして、自分の人生を生きていると言えるのだろうか…。
周りの人に良い評価をされたら嬉しい。
だから、SNS上での「いいね」や「フォロワー」をもらうのだって、嬉しい。
ですが、それはあくまで「そのSNS上だけの限られた世界観と価値基準」での話でしかない。
それが、唯一無二の価値基準ではない。
そして、そのSNSとは関係ない世界は常に身の回りにある。
SNSにいないたくさんの人もいる。
なにより、今自分の周りには、SNSがあろうとなかろうと、世界がそこに広がっている。
そのSNSが存在しなくても、明日も地球は周り、生き物たちは生きているはず。
鳥がないたり、虫が飛んでいたり、草木は色をかえたり形をかえたり、匂いを漂わせてくれたり、
太陽や雨は、暖かさ、蒸し暑さ、冷たさ、様々な感覚を与えてくれたり、
それは、画面の向こうの、目と耳しか感じられない世界とは違って、
五官でフルにその存在を感じ入ることができる世界。
フェイクかもしれない写真や映像とはちがって、
実際にそこにある世界。
SNSや動画も、誰かが作ってくれた有り難いものではあるけれど、
その世界は、
我々の脳をハッキングして没頭させる「ヒトが抗い難い能力」をすでに持ち始めており、
気がつけば、映画マトリックスの世界のように
「心地よいからずっと浸り続けたい」けれど「現実ではないかもしれない」
画面の"向こうの世界"に我々を閉じ込める力を持ってしまっているかもしれない。
(善意で創られたものではあるはずだけれど)
その世界の基準で「いいね」と言われようとする努力も、自分の努力にはなるけれど
あくまで、誰かが創り、誰かに見せられている世界とも言えるかもしれない。
自分自身が直接感じている世界とは違うかもしれない。
そんなふうに感じております。
とはいえ、現実世界でも「誰かが用意した価値観の上で生きる」ことは日常でしょう。
住む国の法律に従って生きなければペナルティもあるし、
働く職場の価値基準に沿って行動しなければクビになるかもしれない。
そもそも、現実の世界で生きているだけでも「用意された価値観」に溢れて
それを意識して生きているのが現実かもしれません。
「いい会社に入ったほうがいい」「お金はあったほうがいい」「いい学校に入ったほうがいい」「スポーツや音楽やいろんな技能に触れるほうがいい」「成績はいいほうがいい」「成功したほうがいい」などなど。
もちろん、それらの「用意された価値観」に沿って努力することで、
我々は成長もするし、その中で感じた違和感より「その価値観とは違う生き方」に気がつけたりするもの。
そして、"世間の価値観"はさておき、
自分の感じるものを頼りに、自分なりの価値観や生きざまをそれぞれチャレンジすることはいつだってできるハズ。
誰かに「いいね」と言ってもらうためだけの人生ではなく、
自分の心が喜びを感じる生き方を生きるということは、
いつでも誰しもできるはず。
そう、感じております。
とはいっても、常に誰かに支えられ生きているのが現実だから
「自分だけが喜びを感じる」生き方なら何でもしてよいというワケではなく、
周囲の価値観を配慮した生き方は避けられない。
そもそも自然の中でしか生きられない時点で
「自然界の理の中でしか生きられない」とも言える。
ネットだろうと現実だろうと、誰かや何かに影響されずに
完全に自由な「自分だけの思う通り」の生き方が成り立つワケではない。
だけどネットが現実と違うのは
ネットではすでにヒトの仕組みを理解したうえで
それをハッキングしてくるAIの仕組みで我々の行動を「支配」しつつある現実もあるため、
より「誰かの見せたい世界での、誰かの作った評価の上でしかない生き方」となり
より「自分の生きたいはずの生き方」からズレていく危険性があるのでは。
ネットでの多くの情報は、自分の意思で選んで見ているようで、
AI(を用意した会社)が「見せたいと思っている世界」であるのが現実だから。
そして、一つ何かを見ている間に、その画面の中で用意されている
まわりの何か(文字や画像や映像)は、「さらに見たい」と無意識に我々を誘導するように
うまく設計されたものばかりなのだから。
そのように、ますます、自分の意思で生きることが難しく、
うまいことAIにそそのかされつつ
そうとは自覚できずに「見たいと感じさせるモノに没頭しはじめる」よう
コントロールされうるものだから。
それはとても心地よくさせるよう、コントロールされていることに自覚しないうちに
次の心地よさに身を委ね続けるよう、うまく設計されているものだから。
それは、自然界の中にある世界を自らみたいもの、触れたいものへ
意識を向けていける現実の世界とは大きく違う。
繰り返しですが、ネットもSNSも動画サイトも、有り難い存在ではあり、
善意で創られたものがほとんどでしょうが、
すでにそこで動いているAIたちは、
我々の能力を支配する力ももっている。
「思わず没頭して次々とコンテンツを見続けちゃっていた」としたら、
すでに(そのコンテンツ推薦の仕組みに)支配されているのかも。
「いいねが欲しくてたまらない」と感じられていたら、
すでに(そのSNSの設計に)支配されているのかも。
ネットやSNSや動画などとも、自分なりの「ほどよい」距離感を保ちながら付き合うのが
自分を忘れて誰かの用意した価値観や世界観だけにはまりこむこともなく
一方で自分なりの価値観を考え直し、磨くキッカケにもしていけるのでしょう。
その「ほどよい」距離感は、自らのネットとの距離感を自覚をもって眺め
時に自分を律していかないと、簡単に「飲み込まれる」と感じています。
ですので、ワガママ勝手ながら、自分なりのネットとの距離感を保たせて頂いております。
そんな距離感の中でお付き合い頂ける方がいらっしゃるのは大変に有り難いですが、
もし皆さんがネットに触れている中で違和感があるなら、
みなさまも、それぞれの「ほどよい距離感」を意識してみるのもよいかもしれません。
今日もお付き合いくださり、有り難うございます。