ブッダの対話法

 先日、"「対話」は幸せをもたらすツール"というブログをまとめさせて頂きました。


今日は、自分なりの学びから感じた

ブッダの対話法についてまとめさせて頂きます。

仏教の経典は、何度読んでも発見があり、

たかだか2年ほどしか学んでない自分には

まだ、なーんにも分かっちゃいないことだらけです。

あくまで、現時点での薄っぺらい解釈である前提でご笑覧頂けたら幸いです🙏。


まず、経典を読んでいて感じるのは、

ブッダは「対話」が多いということです。

「対話」なので、

何かを一方的に伝えるのではなく、

相手の話しを聴いたうえで、こちらの話しも伝えていくスタイルが多いです。


そもそも、ブッダが何か言葉を発する際は、

その目的はとてもシンプルです。

それは、「相手の心が安らぐように」すること。

そう、感じております。


自分が伝えたいことを喋るのが目的ではない。

ましてや、自分が信じていることを相手に理解させようとしたり、

説得しようとするのでもない。

「相手が、自ら何かを感じ取って、心がやすらぐ」ことが目的である。

語る内容がいかに正しくても、

それが真理であっても、

相手の心持ちが整っていなければ(心が準備ができてなければ)

それは、相手には伝わらないかもしれない。相手の心には染み入らないかもしれない。

なので、相手に実際に「感じ入って」もらえるような話し方を試みる。

相手の心が「安らぎを感じる」のが目的なのだから。

そんな話し方なのでは、と感じております。


なので、そもそも

言葉を発するのは、

何かを喋りたいから、伝えたいからではなく、

あくまで「相手の心が安らぐようにしたい」から。

これが大前提にあると感じております。


ゆえに、まずは、相手を理解しようとするところからスタートします。

対話のスタートの仕方は、

基本は、相手からの何かしらの問いかけに対して、答える。

というスタンスです。

問われてもないのにべらべら喋るということはありません


まずは「相手の言葉を聴く」ところがスタートになっている。

そう、感じてます。


そして、相手の問いかけが終わってから(最後までしっかり聴いてから)、

まずは共感や同情を示し、まずは受け入れようという姿勢を見せるのです。


そこでは、

基本的に、相手の言葉に、すぐに解釈や判断を伝えようとはしないのです。
(明確に良くない、すべきでないことについては、良くない、すべきでないという言葉を戻すときもありますが)


さらには、時に、相手のよい点を見つけ、褒め、励ますこともする。

「(ブッダは相手を)励まし、喜ばせた」という表現は経典でも良くでてきます。


このように、自分が伝えたいことの前に、

まずは、相手の言葉を聴いて、相手を認め、受け入れ、共感や同情を示したうえで、

時に相手を褒めたり、励ましたりもしている。


世の中に溢れる「対話術」にも

おそらくは似たような手法も多く語られているかもしれませんが、

自分の伝えることを言う前に、

まずは、相手の心を開き、相手の心持ちを整えるのが大切だからだと感じております。


誰しも、まずは自分を認めてもらえそうな態度の人でなければ

相手の話しを素直に受け入れる心持ち(準備)が整わないものなのではないでしょうか。

だからこそ、このプロセスが重要なのでは、と感じるのです。


そして、その上で、

どのようにしたらよいのか、という内容に入っていく。

その伝え方も

具体的なたとえを用いつつ、直接相手にではなく、客観的な事実をそこにただ置くような話し方をする

と感じています。


もう少し、噛み砕いて説明させてください。

まず、具体的なたとえを用いる。

たとえば、煩悩や欲に流されずにおだやかな心を目指す表現を

「激流の川を渡りきる」といったように。

比喩を用いた話し方は、ブッダの言葉でとても多いです。

これは、

知識としてアタマで記憶してもらう内容、というよりも、

心で、全身で、感性で感じ取ってもらえるように

という意図があるのでは、と感じています。

アタマで理解してもらえても、

相手が「安らぎ」を感じてもらわなければ目的が達成されないためでは。



そして、

直接相手にではなく、客観的な事実をそこにただ置くような話し方。

「こうするのが正しいだろう」

「こうあるのがよい姿なのだろう」といった

相手ではない第三者にでも話すかのように話す(実際にそこにいる第三者に語る形式もあります)。

「こうするのが正しい」という内容があっても、

それを「こうするべきだ」と直接相手にぶつけるのでは、

相手も心に反発を覚えるかもしれません。

相手の心が閉ざされないよう、乱されないように意識した話し方を配慮しているように感じております。


特にブッダの語ることは、

「全てのものは変化していくもの」「炎はやがてきえてゆくもの」など

物理の法則のような、誰から見ても、そうと思える

客観的な事実(科学的な事実)のような内容が多いので、

相手だけに「こうだ」という伝え方よりも、

まるで世界に語りかけるように「こうなのでは」と話すのかもしれません。


そして、客観的な事実なので、断定的に伝えられる内容でも、

時に、質問し、答えを自ら考えさせるような問いかけをすることもあります。

「どのようになっているのだろう?」と問いかけ

「こういう状態ならば、こうなるものではないだろうか」といったように。

「こういう状態なら、こうなるのだ」と伝えることもできるかもしれませんが、

あえて問いかけることで、考える機会を持ってもらう。

そうすることで、相手は、「ただ伝えられた」ことではなく

「自分で考えて感じた」ことになりやすい。


こんな感じです。

繰り返しですが、軸にある考え方は

「自分が伝えよう」とするのではなく

「相手に感じ入ってもらおう」とした話し方である。

自分が何かを発するのが目的ではない。

相手に理解させようとするのでもない。

相手の心がおだやかな状態になることを目的としている。

理解される状態ではなく、おだやかさを"感じ入ってもらう"ことが目的である。


苦しい感情を持つ相手に「時間が立てば解決します」と伝えても

それは真理かもしれないし、アタマでは分かったつもりになっても、

心では、身体では、その苦しさが消え去るとは限らない。

でも、苦しいと感じる対象への向き合い方(心持ち)が変わったり

何か前向きに感じ入ることに意識がむくことで、

心の"感じ方"が変わるキッカケは作れるかもしれない。

ブッダの語り方は、相手をどうこうしよう、というものではなく、

相手が自ら変わるかもしれないキッカケを作ることに重点を置いている。


だからこそ、

相手に解決策を直接投げかけるよりも、

相手が自ら解決策を掴みに行けるよう、

道を整地し(共感の意思を示し、相手を認めることで、相手の心の準備ができるようにして)

解決策への道を示し(こうであろうという考えを、相手にぶつけず、眼の前にそっとおく)

自ら進んでいけるよう、励ます。

そんな話し方が経典の中で残っているのでは、と考えています。


まだまだ、浅はかな理解ですし、

自身で実践できてこそ意味がある智慧だと思いますので

ただただ、日々の中で実践を試み精進をしてまいります。


今日もお付き合いくださり、有難うございます。


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