SNSについての、ご覧頂いても役立たない脳内劇場

ブログやXなどで何かを発信する時には

何かお役に立てそうなことをと心がけております。

ホッコリできるようとか、ニッコリできるようとか。


でも、このブログは、それがまだ見えていません。

故にXでもシェアしません。

自分の脳内でのささやかな議論の内容をただ、テキストにしてみるようなものです。

小さき、悩みの中身を、ただ晒してみる実験のようなものです。

同じような感覚の方には、安心材料や参考になるのかもしれませんし、

求めてもない脳内会議の議事録を見せられているだけかもしれません。


という前置き自体が、小さき脳内会議の中身なのですが…😅。


さて、X(旧twitter)を辞めようか、という脳内の問いが常にあります。

そもそも、得度した際、全てのSNSアカウントを消しました。

今利用しているSNSはXのみで、前世(得度前)のアカウントを削除した後で

新たに作成したものです。最初は時限的にと思っていました。

が、有り難いことに「日々の発信に救われています」とおっしゃって頂く機会が少しずつうまれていきました。

自分としても、人様のお役に立つ生き方を実践していく中で、

現代社会において多くの人が活動している場としてのSNSへのドアを閉じるのは

「独り善し」とした、いわば自分だけがおだやかに過ごすための生き方であり

進みたい道ではない。

かといって、じゃあ、インスタだFacebookだ、と「あれもこれも」となると

「もっと」が尽きぬ。

自分なりの「ほどよさ」として、今はXのみの利用にしております。


時限的に始めた今のXも、自分なりに「ほどよく」付き合いができるように感じてきておりました。

が、先日のブログにまとめた"Nexus"を読んでから

「Xを利用するほどに、いわば自分も、将来の危険性のあるAIを育てていることに加担していると、言えなくもない」

という気持ちも生まれてきました。

そして、昨今のXの風潮が、Nexusで警鐘を鳴らされている通りかのように

憎しみや怒りや不満がより蔓延し(以前からその傾向はありましたが)

運用方針も、いわば、いかに「多く、長く、耳目をあつめるか」に寄ってきて、

結果的にコンテンツの内容も「(見てもらえれば)なんでもあり」に乱れてきているように、個人的に感じております。

はたして、ここで発信を続けるのは、よいことなのだろうか?


そんななか(テック業界の方からすれば今更なのかもしれませんが)、

どうやら、もとのtwitter創業者ジャック・ドーシーが、twitterから経営を離れた後に作った

新たなSNSがある(ブルースカイ)ようだと知りました。

twitterを作った人が新たに手掛けたサービスなので、

見た目は元のtwitterとほぼ同じです。

でも、その裏側にある設計思想は、

Nexusでの警鐘に沿った、「中央集権ではない」設計思想であり、

AIをむやみに育てぬような運用方針を取っている。

それを手掛けたジャック・ドーシーも、

twitterでの過ちを改善したものとして生みだしたのが

ブルースカイのようだ。

Xから、そちらに移動するというのはどうなのだろうか。


しかし、どうやら、そのジャック・ドーシーは、

「twitterでの過ちを改善」すべく自ら立ち上げに関わったブルースカイをも離れたようだ。

「結局はtwitterで起きた過ちと同じ道をブルースカイもたどりつつある」とのことで。

それは、資本家のお金が入ることで、会社の株価を高めようとする力学が生まれるなか

そのために収益を高めようという流れが生まれる。

広告収益に頼るモデルである以上、より多く長く見てもえる場になろうという流れも生まれる。

もちろん、広告以外にユーザーからの課金の収益も模索しているものの、

結論としてジャック・ドーシーは、ブルースカイをも離れていったそうだ。


その葛藤は(ジャック・ドーシーの気持ちなど理解できるはずもないが)

前世で自分が小さきながら感じたものと親近感も感じる。

これは、Nexusでも語られている、ヒトが集まる場が持つ

終わらないジレンマなのだろうか。

ジャック・ドーシーほどの天才でも、尽きぬ課題なのだろうか。


そこで、はっと気がついた。

「いかん、自分、囚われているぞ」と。

そもそも、捨てたはずのSNS。

目的は「誰かの役に立つ窓口のひとつ」でしかない。

とはいえ、Xという窓以外の、インスタや他の窓を広げればよいかというと、それもキリがない。

ひとまず、Xという窓を開けているにすぎない。

それで「役に立つ」と言って頂けている人がいるではないか。

もしかしたら、「役に立つ」と言ってくださる方も、

そのXという場を「心おだやかになりにくい場」と感じているなど

Xに居ることの課題はあるだろう。

でも、それは、おそらく場をブルースカイに変えても、違う課題は生まれるだろうと。

どこに引っ越しても、課題は生まれるものだろうと。

「今ひとまず手に入る環境を有り難く享受すればいいではないか」と。

「もっとよい環境」はあるのかもしれないが、キリはないし

課題のある環境だからこその役割もあるのかもしれないし。


インドだからこその人々の苦しみがあり、そこに共に居るからこそ

それを共感し、救うことができる佐々井上人がいるように。

自分が、時に歌舞伎町のトーヨコに敢えて立つのも、同じじゃないかと。

たくさんの人があつまり、欲が渦巻く場だからこそ、苦しみも生まれ

それは「心おだやか」になりにくい場かもしれぬが、

だからこそ、そこで役に立てることもあるのではないか。

それは、Xに居ることも、同じようなものかもしれぬじゃないかと。


ということで、考えるのは辞めて、ひとまず「あるがままに委ねよう」としました。

ブルースカイに移動するとか、Xを辞めるとか、特に今は何も予定はありません。

でも、風の吹くまま、縁の起こるまま、

そういった事も起こる時には起こるでしょう、と。

今は、そういったことに意識を注ぐこと自体が「囚われ」になるので

流して、ただ、あるがままに委ねようと。


そんな問答が脳内であったことを、ただここで晒してみるのも、

もしかしたら何かの役にたつこともあるのかもしれない。

そんな感じで書いてみました。


と、書いてみて、

書いているということは、完全に囚われから離れられてないのかもしれませんね😅🙏。

まぁ、完全なる「囚われのなさ」は、人生が終わるときまでとっときつつ

ほどよく「よく気をつけて」、引き続き精進して参ろうと思います。


いつもお付き合いくださり、有難うございます。


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