生きているだけでも勲章モノでは
「生きているだけで、褒めてもらえるんだ…」
そんなステキな言葉を語ってくれたのは、
先日久々に会った「かかんちゃん」こと、岡田果純(かすみ)さん。
かかんちゃんとの出会いは、10年ほど前。
酸素も薄い2000-3000メートルの高地にある砂漠(チリ・アタカマ砂漠)を
7日間かけて250km走るというマラソンレースの、ランナーの一人として。
かかんちゃんは、当時まだ大学生でした。
このレースは、出るだけでも参加費や移動費などで100万円ちかいお金が必要。
でも、大学生の彼女にはそんなお金はない。だけど、なんとか出場したい。
そんな彼女は、経験もないのに営業電話をあちこちかけて
散々断られつつも、なんとか支援を得て、砂漠レースに挑戦するのだと
そう、ニコニコ語っていました。
それだけでもすごいなぁと感じさせたのですが、
彼女には、さらなる大きなハードルがありました。
それは、彼女が一型糖尿病を抱えているということ。
小学校3年生の時に発症して以来、
インシュリンを打ち続けなければ生きていくのが難しい生活。
この砂漠マラソンは、
寝袋や遭難時の装具や道具や7日分の食料など、すべて自分で背負って走らなければならない。
コースを見失うなど、生命の危険もあるため、
必須の所持品がたくさん定められており
通常の選手でも10kgほどの荷物を抱える必要がある。
ただでさえ250kmを走るのは大変なのに
そのうえ酸素が薄い地を走るのだから、
身体への負担を減らすために、選手たちは少しでも荷物を軽くしたがる。
でも、かかんちゃんは、7日分のインシュリン注射や血糖値測定器など
他の選手が必要ないものまで担がなければならない。
お金の支援を集めてまで、彼女が砂漠マラソンに挑戦したのは、
糖尿病を抱えながらでも、
「一歩ずつ前に進めば、遠い所だってたどり着けるのだ」と
他の糖尿病患者にも勇気を届けようとしたからだそう。
40℃前後の暑い砂漠を
とても小さな身体が半分隠れるほど
大きなリュックを背負いつつ走る彼女は
「病気のおかげで、いろんな気付きが得られた」と
いつもニコニコ前向きに笑いながら、見事に250kmを完走し
立派な完走メダルを嬉しそうに手にしたのでした。
そんな彼女のストーリーに、当時、僕も大変感動し勇気をもらったのを覚えています。
そして、その彼女も、いまや社会人。
先日、久々にお話をさせて頂く機会を頂戴しました。
彼女は、自身の境遇から、病気で苦しむ他の方のチカラになろうと
一貫して医薬業界で働き続けています。
さらには、
糖尿病の国際学会への個人での参加を実現するため
英語を勉強し、
会社との利益相反を避けるために仕事の環境を変えてまでして
個人で申し込みをし、当選を勝ち取り、
みずからヨーロッパの学会へ参加しにいくなど、
自分の体験を、誰かの役に立てようと
さらなるチャレンジを続けています。
とはいえ、そんなエネルギッシュで前向きな彼女にも悩ましい課題はある。
高齢化や地方過疎が進み
医療業界の悩ましい課題を改善しようと奮闘するも
様々な立場の意向が絡み合う中で
なかなか変化が起きていかない。
そんななかでどう貢献していこうかと…。
僕も直前に訪れた能登半島で感じた切ない状況や
一方で希望も感じたことを共有させて頂きました。
そんなお話の中で聴いたのが、
彼女が最近手にしたもう一つのメダルのお話でした。
それは、糖尿病を抱えながらも
25年を生き抜いた人に授けられるという
とても立派なメダルについて。
特に、かかんちゃんのように小さなころに発症する糖尿病では
ただ生き延びることだけでも簡単ではない。
「生きているだけで、褒めてもらえるんだ…こんなふうに表彰してもらえるんだ…」
深く噛みしめるように語る姿に
僕の胸にもこみあげてくるものがありました。
趣味でトレッキングが好きな彼女は、こうも語ってくれました。
「メダルに、登山をしてる人の後ろ姿が描かれているんです。」
「私はよく自分の体験談を話すときに、
登山と糖尿病は似ているという話をさせてもらいます。
登山は先人達の足跡や看板を目印に歩きます。
糖尿病も同じで、
似たような経験をしてる人はたくさんいるので
仲間を見つけて話を聞きに行くことや、
前例を探すことがヒントになります。
また、登山では天気図を見たり地図を見たりして、
これからの自分の行動プランを立てます。
糖尿病の場合は、血糖値をみて自分の身体とよく相談をして、
これからどんな変動が起きそうかを予測します。
血糖値を読み取る力が求められます。」
なので、このメダルに登山家の後ろ姿が刻まれていたことは
彼女にとっても感じ入るものが大きなものだったそうです。
この25年間、山を登り続けるように
自身の健康への恐怖もありながらも、
常に自分の状態と向き合いながら、
苦労や努力を重ねて、生きて、今に至るのだろう。
その「登ってきた」実感があるからこそ、
彼女にとって、そのメダルは、とても感じ入るものになったのだろう。
生きているだけで
「良かったね」「おめでとう」
と言われることなんだと、
強い実感があるのだろう。
糖尿病が発症する原因には様々な背景があり
食生活など問題がなくても発症してしまうことはあるそう。
でも、「生活習慣病」という名前が一人歩きすることで
糖尿病である事実を隠したり、
「生活の習慣がなってない」と自分にレッテルを貼られているように感じ
自信を失わせてしまうこともあるそうです。
でも、生き続けられているだけで、実はすごいことで、素晴らしいことでもある。
かかんちゃんは、そんな方にも勇気と自信を持って生きてもらえるように
自分ができることを探し、悩みつつも前に進もうとしていました。
かかんちゃんが手にしたメダルが、彼女に勇気を与えたように
今度は彼女が他の方に勇気をもたらしていくのだと思います。
"糖尿病"のように、自身に貼られた"ラベル"の重さで
自身の心を暗くしてしまい
ただでさえ、さまざまな悩ましさと向き合っていかねばならない"生きる"という行為を
より難しく苦しいものと感じさせてしまう。
それは、病気といったものだけではなく
"うつ"や"ひきこもり"や"生活保護"なども、そういったものかもしれません。
人によっては"モテない"とか"お金がない"とか、"不幸である"なども。
でも、本来、誰もが
生まれてきたことだけで一つの奇跡で、
今も生きているだけで、素晴らしいことなのではないでしょうか。
それは「おめでとう」「良かったじゃない」と言えることなのではないでしょうか。
本当に「ワガママ」にできているもので
「有り難い」と感じるモノも、「有ることが難しい」モノだったはずなのに
それが日常にあると、すぐに空気や手足のような「あって当たりまえ」となってしまう。
少し不調が起きるだけで「なんでなんだ」「思うとおりでない」と不満を起こす。
そんな存在なのでしょう。
病気になってはじめて、日々何も意識していなかった「病気でない日常」が
どれだけ有り難かったか。
大切な人と離れてはじめて、居るのが当たり前に感じていたその人の存在が
どれだけ貴重だったのか。
そんな経験は多くの人が持つのではないでしょうか。
本当は、生きているだけでも、勲章ものであるかもしれないのに。
今、息をして、雨風をしのげて、ほどよく暖もとれて
食事= 他の生命を頂けるという機会で、ある程度お腹を満たせているだけでも
とても「有ることが難しい」ことなのに。
いま生きている環境が決して「当たり前」ではないのは、
能登半島など被災した現在の日本でも、
世界のあちこちでも起きていることなのに。
まぁ、でも、人は忘れてしまい、ワガママになってしまうものなのでしょうね。
それでも、苦しさを感じ、抜け出せない時は
自分を「ワガママでダメな存在」と見るのではなく
「しゃーないヤツだなぁ。なーにクヨクヨ悩んでるんだ。だいじょーぶ。ヨシヨシ」
と赦し、認め、励ましてあげるのはどうだろうか。
「生きてるだけで、勲章モノだぞ、自分。ラッキーじゃん」
と勇気づけてあげるのはどうだろうか。
もし自分に自信がもてなく
「ダメだ」と感じているとしても、
実は、それは、自分の中で
「本当はこうしたい」と願いがある証拠。
希望が胸に宿ってくれている証拠。
なかなか感じにくいかもしれないけれど、
心に"希望"という火が、ほんのりとでも灯っている証拠。
だから、大丈夫。
時に「ダメだなぁ」とか「頑張れてない」とか
悩ましさが生まれてくるのだって
生きているからできること。
「良くなりたい」という、生きるチカラが沸いているということ。
だから、大丈夫。
自分に、「大丈夫!今までちゃんと生きてて、すごいじゃん!」と
鏡をみてニッコリして、自分に"笑顔"という勲章を渡してみてはどうだろう。
そして勇気がうまれたら、誰かに「おめでとう」とか「ありがとう」って言ってあげてはどうだろう。
そうしたら、今度は自分が勇気という勲章を渡せる役割をもった人になっていけるのだから。
今日の「ありがとう」が、誰かの心に火を灯し
誰かの生命を救うかもしれないのだから。
そんなふうに、自分にも勇気を頂く体験でした。
かかんちゃんにも許可を頂き、お話を皆様にもシェアさせて頂きました。
今日もお付き合いくださり、有難うございます。

