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2月, 2024の投稿を表示しています

幸せには2つあり、1つしか追いかけてない - 龍光ブログ

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 幸せには2つあり、1つしか追いかけてない - 龍光ブログ なにやら、エラそうな触れ込みのタイトルですが、 なんてことはありません。 2300年ほどの、とっくの昔から、 ギリシャのアリストテレスさんが 僕らに教えてくれていたコトの 受け売りでしかありません。 下記、昨日の 「心と身体を満たす生き方」 の講演で利用したスライドより 先日のブログ アリストテレスが説く「幸せな人生をおくるには」 でも書かせて頂いたのですが、 彼の説く 「幸せ」には2つある 。と。 1つは富、権力、強さ、美しさなど 「一時的な幸せ感」 をもたらすもの。 これらを手にしたからといって、 「人生をとおした幸せ感」(しあわせな人生)が得られるとは限らない。 なぜなら、その後の人生で、これらを失うことだってあるから。 富、権力、強さ、美しさといった 「一時的な幸せ感」は、 あくまで「可能性」 でしかなく、 それらをどのように活用するかで その後も続く人生の「幸せ感」が決まっていく。 つまり、もう一つの 「人生をとおしての幸せ感」を目指すことが大切では。 これが、アリストテレスが教えてくれていたコト。 と、自分のハゲアタマでは 薄っぺらに 理解しております。 ですが、僕らがイメージし追いかける「幸せ」は えてして人生の1シーンでしかないのでは。 学校や試験に合格したい。 資産、地位、名声、健康を獲得したい。 彼氏、彼女がほしい。 結婚したい、子供が欲しい。 … これらを追いかけるのは もちろん悪いコトではないのですが、 それらを手にした後も人生は続く。 その後の人生をどうしていけるかは、 その「1シーン」で手に入れたモノ(地位や資産や結婚生活など)を どのように活用するかしだいでは。 1シーンの幸せの姿を追いかけるのは悪いコトでは全くないのですが、 それだけではなく 「人生をとおしての幸せ」も意識して 追い続けるコトが大切なのでは。 じゃあ、「人生をとおしての幸せ」は どうしたら手に入る? アリストテレスいわく 「善い行為の 継続 」 だそうです。 ※「さまざまな徳に基づいた行動の継続」とも表現されてます。 どゆこと? ちと抽象すぎてわかりにくいのですが 自分の前世(得度前)と現世での 「身体と心の満たされ」をまとめる中で 「こういうコトかも」という 小さき気づきが下記です 前世での自分は ...

内臓とウンチと私 - 龍光ブログ

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 内臓とウンチと私 - 龍光ブログ ウンチ💩大好きなのでしょうか。自分。 講演会でも、ウンチについてよく触れます。 「自分はイヌのウンチと大差ありません。 ただ土になるだけの存在です」 など。 不潔!とか不快に感じる方がいたら 誠に申し訳ございません。 それこそ僕にソレを投げつけて頂いても構いません。 まぁ、彼ら💩だって、 僕らが生きているから出てきたワケですし なんなら、ちょっと前までは ほぼ僕らの身体の一部だったワケで、 いわば「自分そのもの」とも言えるシロモノなワケでして…。 言い訳じゃあないのですが、 仏教経典でも出てくるのですよね 性欲についての会話で ブッダがヒトの事を 「ウンチが詰まった皮袋」みたいな表現をするのです。 オマエはそんなモノが欲しいのか。と。 まぁ、仰っているコトは間違ってないですし、 そのように観れば 性欲という刹那な欲も流しやすくなくなるよ。 と。 とはいえ 「ウンチの詰まった皮袋」と表現された相手様方としては 大変失礼な物言いにも聞こえてしまいますが😅 そして最近読んで大変おもしろかった本 三木成夫さんの「内臓とこころ」 この本はとっても読みやすく、 大変学びも多く、オススメです。 はらわたが煮えくり返る 胸糞悪い … など、考えてみると 内蔵と心(感情)は密接。 苦しみや感情といった、扱いにくい心のハナシを 医学的、生物学的な知見から "内臓"を観ることで 語られてます。 そして、この本でも、ウンチのハナシが出てきます。 内臓についての本なので、まぁ自然といえば自然なのですが。 面白いのが、どうやら芸大の体育?の授業だかで、 どうやら" 自分の💩を掴む"という授業をされる先生がいた(?)らしい。 アートの世界では、 感情を表現することが大切なのだと思いますが 困ったことに自分の感情は掴めない。 そして、その感情を沸き起こす内臓も、直接触れない。 なので、内蔵から生み出されたモノ💩を触る、 というコトなのでしょうか。 発想が、とてつもなくアートです😂。 さらにハナシは変わって、 我がネ申の飼っているイヌについて。 (ネ申=「神」よりもエラい2倍角「ネ申」と呼ばせて頂いております。妻です) 彼はウンチをした直後が一番テンション高く 「オレ、ウンチした!やったよ!」 と自慢するがごとく...

世界13ヵ国を旅して見えた"幸せ"のありかた

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 世界13ヵ国を旅して見えた"幸せ"のありかた - 龍光ブログ 「幸福度が高い 」 といわれる 世界13ヵ国を実際に訪れ、 そこで暮らす様々な方々からの声が まとめられた本。 オススメ頂き、拝読してみました。 世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと マイケ・ファン・デン・ボーム著 アイスランド、オーストラリア、カナダ、コスタリカ、コロンビア、スイス、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、パナマ、メキシコ、ルクセンブルク 実に様々な気候や文化、経済や治安レベルで暮らす 上記の国々の方々が語る 「幸せに大切なこと」は、 面白いことに共通していました。 それは、 「家族や友達との楽しい時間」 「自然との絆を楽しむ」 「自分が持っているものを他者に分け与える」 ということ。 ----- 「私たちは幸せになるためにこの世に生まれてきたのよ。 幸せは私たちの中で見つけるもの。 モノや成功、征服といったことの中に幸せを見つけようとしてもダメ。 私たちがまず征服すべきは、自分の心、自分の精神だわ。 それがうまくいけば幸せになれる。 幸せは心の中にあるんだから」 でも、広告は私たちに言ってくる。 「あなたにはコレコレが欠けている」 「他人にはあるが自分には無い」 「それを買って幸せになろう」 そうして私たちは生産し、消費する。 でもモノをたくさん持てば、 それを置く場所が必要になる。 そしてその場所を用意するために いろいろと準備しなければならなくなる。 そういう国はモノがあふれかえり、 国民はモノをたくさん持つようになるが、 ゴミも多くなる。 なぜなら国民はモノを生産し続け、 買い続けるから。 それが私たちの社会の目標? 人間はそれによって満足するだろうか? 入手する前の「すばらしいモノ」は すぐ「普通のモノ」になってしまい、 人はそのすき間を常に埋めようとする。 そして、働きすぎると 時間がなさすぎる。 GNPや利益は上昇しても、 その代償として人間関係は浅くなる。 持っているものが少しだからといって、 どんな大事が起こるというの? どうして他者をねたむ必要があるの? あっという間に過ぎ去ってしまう感激より 深い満ち足りた感じを持ち続けるのが 「幸せな人生」では。 今という瞬間をつかまえて、 今を生きること。 まさに今ここにいると実...

今朝龍光ポストへお便りをくださったCさんへ

 今朝、龍光ポストへお便りをくださったCさんへ このブログの内容は、 本日2月23日2am頃に 「 龍光ポスト 」へお便りをくださった 「Cさん」へのお返事となります。 ----- Cさん おはようございます、龍光です。 久しぶりにお便り頂いて嬉しいです。 そして、少しお身体が良く感じられるようになったとのこと。 とっても、嬉しく、有難いです。 良かったですね。僕も嬉しいです。 お知らせ頂き、大変有難うございます。 今後また、もし苦しくなることがあれば 遠慮なくお便りをくださいませ。 大したお力にはなれませんが、 Cさんが少しでもおだやかでおもしろき時間を過ごせるよう お祈りさせてくださいませ。 龍光 ----- 「Cさん」から初めて龍光ポストへお便り頂いたのは、 昨年2023年6月。 その後、Cさんとのやりとりは半年にわたり おたがい数十通のメールのやりとりをさせて頂いております。 僕から、どれだけコトバを連ねても、 Cさんからは "生きてていいのでしょうか。生きてる意味はあるのでしょうか。" といった、苦しそうなお返事がずっと続いておりました。 そんなCさんからの 3ヶ月ぶりのお便りが 今朝届きました。 これまで数十通のやりとりで 初めて、前向きなお気持ちの内容でした。 本来でしたら、Cさんへのお返事の内容を このブログに載せるべできではありません。 なのですが、僕からのこのお返事のメールは 「 メールを配信できませんでした。 宛先の受信トレイがいっぱいか、 宛先で現在多数のメールを受信しています。」 というエラーで、Cさんに届いておりません。 過去、Cさんとの何十回ものやり取りでは そんな事はありませんでした。 Cさんからのお便りの内容も、 メールが届かない状況も初めてのことであり、 いつもと少し違う状況を感じ 何事もないと良いのですが、 念の為、Cさんに上記のメッセージを早めにお届けしたい。 そう想い、勝手ながらお返事をここでお伝えさせていただいております。 個人に関わる情報が含まれている内容では無いとはいえ、 「わざわざブログで書く内容ではない」と ご不快に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。 その際は、大変失礼いたしました。 ただ、Cさんの無事を祈っての勝手な振る舞いをお許しくださいませ。 そして、Cさんに、上記の内容が届いて ...

ただ、行動で示していこう - 龍光ブログ

ただ、行動で示していこう - 龍光ブログ 僕の最年長のLINE友達 ますこおばあちゃん(103歳)の旦那様は 第二次世界大戦にて 19万人が戦没したビルマ(現ミャンマー)より 脚を失いつつ命からがら帰国しました。 その壮絶な体験記が 僕を今年1月に自分をミャンマーに向かわせた 大きな縁となりました。 ※詳しくは  103歳のLINE友達より頂いたもの  の投稿をご覧くださいませ そして、この4月に再度ミャンマー(旧名 ビルマ)を訪れます。 それに際し、改めて映画「ビルマの竪琴」を観ました。 ※以下ネタバレになる内容もありますのでご容赦くださいませ 感想を簡単に述べられるような内容ではないのですが、 ただ印象的だったのが、 キリスト教の神父やシスターの方々が 戦没した日本人兵士のために 美しい賛美歌を歌い弔うシーン。 誰かを想い、おこなう行動において キリスト教や仏教など関係はない。 そしてラスト、 戦地ビルマに残る数多くの戦没者の屍をみて 戦友らと日本へ帰りたい気持ちを捨て 現地に仏僧として残り 弔いを続ける決意をした水島上等兵の手紙。 その一部を抜粋させて頂きます。 ----- 私は帰るわけにはいかないのです 私はビルマの山河に散らばっている同胞の屍を残して 帰ることができなくなったのです 山をよじ川を渡って そこに草むす屍、水づく屍を葬りながら 私はつくづく疑念に苦しめられました いったいこの世には何故にこのような悲惨があるのだろうか なにゆえにこのような不可解な苦悩があるのだろうか この疑念に対して私は教えられました 「なにゆえに」ということは所詮 人間にはいかに考えてもわからないことなのだ われわれはただ この苦しみの多い世界に 少しでも救いをもたらす者として行動せよ その勇気を持て そして いかなる苦悩・背理・不合理に面しても なお恐れず より高き平安を 身をもって証しする者たちの力を示せ このことがはっきりとした自分の確信となるように できるだけの修行をしたいと思います ----- 第二次世界大戦から80年ほどが経ち いまも世界各地で戦争が無くならない。 「なにゆえに」の答えなど求めずとも 小さきハゲアタマなりに、 できることを行動で示していこう。 そう自らに感じた作品でした。 過去の先達のみなさま。 ただただ、大変有難うございます。