生きているだけで役割を全うしている

箱根の山小屋にいる時は

毎日、文字と向き合いながら、合間に薪を割るか、落ち葉掃除をしています。


落ち葉掃除をするのは、棲む場所を整えるため。

落ち葉は放っておくと腐って土になり

様々な虫や草が生まれてくるし、ドロになって滑って危ない。

なにより、見た目スッキリすると気持ちもおだやかになる。

薪を割るのは、暖を取るため。

倒木を薪にすればお掃除にもなる。


どちらも、お金を生む行為ではありませんが

「生きるための行為」であり、

それは「しごと」とも言えるかもしれません。

雇われてないという意味では、無職の身ではありますが😅。


考えみると、「生きている」というのは

身体に酸素や食べ物を取り込み

それを燃やして筋肉や脳を働かせているという状態。


僕がしている「しごと」という行為は

棲む場所を快適に整えたり、暖をとれるよう、

筋肉(と、ちょっとの脳)を働かせて、

倒木を掃除して、落ち葉を掃除して、それを燃やして暖まり、

そして、エネルギーを得て、また

筋肉を働かせて、掃除をし、薪を割り、それを燃やして暖まり…。

ぐるぐる回って…。

これは、まさに自然の循環の一部にいるという行為なのだなぁ。

自然の循環の一部として

代謝を起こしているのが「生きている」という状態なのだなぁと。


同じように

お医者さんだって、科学者だって、アーティストだって、投資家だって、土方だって

食べ物を取り込み、代謝をして、筋肉や脳を働かせている。

どんな職業だって、そうだろう。

そうした「しごと」を通して、お金を手にして、

そのお金で棲む場所を整えたり

暖をとれる家や服や暖房機器を手にしたり

様々な体験で学んだり愉しんだり。

それでエネルギーを得て、また

筋肉や脳を働かせて…。

こうしてみると

すべての「しごと」は、自然の循環の一部にいるのだなぁと。

時に、途中で「お金」が間にはさまったとしても、

「しごと」はお金を手にするのが目的ではなく

その先の、「生きるための何か」を手にするためにあるのだなぁと。


そして、我々は、いつかかならずどこかで代謝が止まり

人生を閉じて、

燃やされるか、土に埋められるか、鳥に食べてもらうかなどして

また自然の一部に戻っていく。

それでも、自然の代謝の循環の一部として、役割を保ち続けながら。

どんな「しごと」も、大きな循環の一部であることは、変わらないはず。


そう考えてみると、

どんな職業をするかというのは

世間の基準での「イケてる」かどうかの評価はあるけれど、

どれだけ世間でキラキラ見られている仕事であっても、

自然の循環の一部であることには変わりなく、

それぞれ役割が違うだけでもある。

そう言えるのではないかと、改めて感じます。


お犬様の💩を拾わせて頂くのも、一つの役割。

ネ申(奥さん)が心癒されるために、お犬様がいて、

お犬様の💩に虫が湧いて、ネ申やお犬様が病気にならぬためにも

💩拾いも役割である。

薪割りも、落ち葉拾いも

ネ申やお犬様が快適に過ごせるための役割でもある。


そして、文字に向き合う行為で生まれたこのブログが

もし誰かの心になにかホッコリするキッカケになれば、

それも役割である。

その行為のすべてに、ほぼお金など生まれないのだけれども。

でも、幸いに自分は、人様にご飯を与えて頂けて

電気やネットを使わせて頂いて

たまに渡して頂くお金で本を買い、あらたな文字と向き合うこともできる。

そうして、また誰かに何かを伝えさせて頂くことで

ご飯や電気を使わせて頂く機会を頂いて…。

これも、循環の一部としての役割なのだろう。


そうして、すべての生きる人には

役割を生んでいけるのだろう。

ただ生きているだけでも、

生きている限りは酸素や食べ物を取り込み

体内で燃やして、二酸化炭素を出して

それを草木が取り込み、

体内で燃やして、酸素を出して…。

そういった循環の一部としての役割を担えるように。

そして、人生が閉じたあとも、次に咲く草木や花の養分になる役割を担えるように。


割った薪の破片をウレウレとくわえてバリバリ食べては

木片の混じった黒い💩を生産されてらっしゃるお犬様の

拾い損ねて放置され、少しハエがたかった💩と向き合いながら

あぁ、今日も有り難く役割を頂き

自然の循環の一部として生きさせて頂いているなぁ、

そう感じております。

有り難いことです😂🙏。


今日もお付き合いくださり、有難うございました。



このブログの人気の投稿

(補足) 苦しみから離れるために、誰でもできる日々のオススメ by 龍光 - 日常で役立つやさしいブッダの教え10

ブログをお引越ししてみます

はじめに - 日常で役立つ やさしいブッダの教え1