信じるものは救われる
「シュワキマッセリ〜 シュワキマッセリ〜」
「聖☆お兄さん」で地上でのバカンスを楽しむイエスが
クリスマスが自分の生誕を祝うイベントと知らず
街中で流れるクリスマスソング「もろびとこぞりて」の
「主は来ませり〜」の歌詞の意味も分からず
ロシア語か何かだとか思い込んで、楽しんではしゃいで歌う。
そのシーンが大好きです。
メリクリです。
みなさんは、サンタさんに何か願いを頼みましたか?
欲しいものがもらえる。宝くじがあたる。試験に合格する。会社に採用される。昇格が決まる。
モテるようになる…。などなど…。
サンタさんが「願いを叶えてくれる」ということが
実はファンタジーでしかないと知るような
そんな小さな挫折を積み重ねることかもしれませんね😅。
(「呪術廻戦」でナナミンもそう言ってましたw)
お恥ずかしながら、前世での自分は
でも、何か実現したいことがある時は、自分に言い聞かせるように
「やってみよう。なんとかなるだろう」と語りかける自分がいました。
それは、「祈る」といった行為ではありませんが、
自分を信じる行為では有り
自分を奮い立たせる効果は大いにあったと思います。
それが、自分の意思を強め、自信を生み出し
結果、実現に近づきやすい自分が生まれていった。
そんな効果があったのだと思うのです。
いまでは、これは「祈る」「願う」行為と近しいのではと思っています。
「やってやろう」と自分に語りかけることで、
「できるよう」と自分に暗示がかかり
意思や自信のチカラという、内なるエネルギーが生まれてくる。
サンタや神様やホトケ様や何かに「願い」「祈る」行為も
「叶いますように」とその対象に語りかけることで、
「叶うよう」と自分に信念がおこり
「祈ったんだから大丈夫」という自信が生まれ、内なるエネルギーが生まれてくる。
日本の仏教で一番信者が多い宗派は浄土真宗で
それは800年ほど前に親鸞聖人が説いた
「ひたすらに、心から阿弥陀様に祈り委ねれば、極楽浄土に連れて行って頂ける」
自分がなんとかできるなんて思わず、阿弥陀様に全てを委ねるのだという
"他力本願"という教え。そう浅はかながら理解してます。
その教え知った時は、
2500年ほど前にブッダが説いた
「他を頼るな、自分を頼れ」
という教えと真逆に見えることに驚きを感じました。
同じ「仏教(ホトケの教え)」なのに…。
なんなら、これは一見、「心からイエスに祈り委ね、天国に連れて行って頂く」というキリスト教に近いようにも見える。
でも、浅はかながら理解を重ねていくうちに、このように解釈していきました。
ブッダも「『(自分が)どうにかできる』という惑い(勘違い)が、苦しみを生むのだ」
だから、惑わぬように努力して自分を見つめるよう、精進(努力)を求める。
その「努力」は自分でしかできない。誰かに自分の「努力」をしてもらうことはできない。
だから「自分を頼れ」と。
一方で、神や阿弥陀様も、身も心も委ねて一心に念じることが大切とされる。
「念じる」ことは自分でしかできない。誰かに自分の「祈り」を起こしてもらうことはできない。
だから「他を頼り(一心に)祈れ」と。
それは結局、自分の努力を生む行為になる、と。
どちらも「自分の内なる努力」が必要で、それによって生まれる
自信や勇気といった、内なる心のエネルギーを生み出す。
「信じる」ならば、信じ切ってみる。
「信じれば救われる」と言い聞かせてみる。
結果はワカラナイものだけれど、それによって、心に火が灯るなら、
そして、勇気や自信がうまれて、一歩踏み出せるならば、
まずは信じてみる。祈ってみる。
それが、心に希望の火を灯し、自分の未来を彩っていくことに繋がるのでしょう。
たまには、子どもと一緒に真剣にサンタに祈ってみるのも、よいかもしれませんね。
みなさまの年末年始が、善き時間に溢れますよう
勝手ながら祈らせて頂きつつ🎅🙏。
今日もお付き合いくださり、有難うございました。