縁あってご覧頂けている全ての方へ
生きるって、不思議なものですね。
なぜだか、「この世」という場所に、生まれ落ちていた。
そして、気がつけば、「ジブン」っていう"意識"ってものが生まれていた。
なぜ、ここにいるのだろう。なんで、生まれてきたのだろう。
そして、何のために生きればいいのだろう…。
答えは、もしかしたら、そこにあるのかもしれないし
人生を閉じるその時まで知らないままなのかもしれない。
分からないことだらけだけれども、
いま、ここに、自分がいて、息をしていて
「生きている」ってことは確かに感じられる。
そんな、たまたま生まれ落ちたセカイには
誰かがいて、いろんな生き物がいて、「自然」と呼ばれるセカイがそこにある。
大きくなって気がついたのは、
自然というセカイがなければ、そして、自分の周りの"誰か"がなければ
今の"自分"はないってこと。
そうして、いまも、自然や、たくさんの生き物や、多くの人達の支えがあって、
自分は今も生きている。
でも、生きるって行為は、決して簡単なことではない。
時に難しい病にかかったり、事故などで身体の不自由になったりすることもある。
それは、大体において、なんで、自分が、こんなタイミングでって時に起こりうる。
そして、心もうまくうごいてくれないことだってある。
なんだか、腹立たしくなったり、悲しくなったり、切なくなったりすることもたくさんある。
なんで、こんな想いをして生きなきゃいけないのだろうかと、全てを投げたしたくなることだて
あるかもしれない。
そして、生きるほどに、悲しい「バイバイ」がある。
ときに、徐々に訪れ、ときに突然に。
なんで、先に行ってしまうんだよ。
ジブンをおいて、勝手に先にいってしまうなんて、ズルいよ。
寂しいじゃないか。切ないじゃないか。どうして、先にいっちゃうんだよ。
そんな苦しさや切なさを乗り越えなきゃいけないときだってある。
そして、自分も、いつか、バイバイを言う時がくる。
「バイバイ」すら口にせずに突然かもしれないし、
口も聞けない状態まで弱ってしまうこともあるし、
伝えられる人がいない状況になってしまうこともあるかもしれない。
そんなふうに、生きるって、難しいし、分からない。
だから、ときに切なくって、やぶれかぶれになるかもしれない。
けれど、生きていれば、
ときに、とっても、うれしいこともある。
うれしいことだって、実はいつだって起こり得るものでは。
「おかえり」って言ってもらえたり。
「良かったね」って言ってもらえり。
そして、「有難う」って言ってもらえたり。
それだけでも、とっても、うれしいことかもしれない。
なかなか、そんな機会が生まれないときだって
ときに、暖かな陽を浴びたり、様々な色の落ち葉をポカーンと眺めたり
木々のざわめきに囲まれ、冷たい空気の中に漂う冬の匂いを吸い込んだり。
それも、なんだか、うれしさを感じさせてくれることかもしれない。
なかなか、普段は気が付きにくいかもしれないけれど、
いつでも、そこにある自然は、僕らに
心地よさを与えてくれるものかもしれない。
いつだって、僕らは、生きているかぎり、
そんなよろこびを感じることだってできるのかもしれない。
ただ、そんなふうに、泣いたり、笑ったり、切なくなったり、
歯を食いしばってみたり。
何気ない日々が重なることが、生きるってことなのかもしれない。
そんな何気ない日々のなかで、
ときにひょんな縁が起こり、誰かと"つながり"が生まれる。
それは、
SNSでの投稿やメールだったり、
ちいさな勇気をふるってみた、会釈のようなささやかな挨拶だったりから
ふと、起こっていく。
そんなさりげないささいな"挨拶"や"会話"が、人を"だれか"とつなげ
"縁"を起こし、互いに生きている時間において、
気がつけば「ともに生きる絆」みたいなものを生み出していく。
それは、「いいね」とか「フォロワー数」とか「資産」とか「名声」とか
数字で測れるものではない。
そして、それは、能力とか、見た目なども関係がない。
ただ、感じ入るものでしかない。
感じ入るものだけに、縁を起こすには"こころ"のほうが大切なものかもしれない。
そんな「ともに生きる絆」みたいな"縁"というものは、
ヒトがヒトに対してはもちろん、
「自然」のなかで生きるあらゆる"いきもの”に対しても
起きることがある。
散歩道でちょっとだけ目があったネコや、
日々眺める、なにげない、木々や、いつも耳にする小鳥の鳴き声などから。
あぁ、みんな、一生懸命、生きているんだなぁ、と。
生きるのは、時にタイヘンだし、苦しいときもあるけれど、
なんとか、今も生きているんだなぁと。
そう感じると、自分にも勇気が生まれていく。
そして、生きているって、なんて、有り難いことなのだなぁと
感謝も沸き起こってくる。
だから、誰かに「有難う」って伝えたくなる。
そして、「有難う」というコトバは、
自分が言ってもらって嬉しいだけではなく
誰かに言うだけでも嬉しくなるものだと気がついていく。
そうすると、もっと「有難う」って伝えたくなる。
だって、それは、時に難しい生きるって時間のなかで
「有ることが難しい」貴重な機会なのだから。
そうして、誰かに「有り難う」って感じられる機会が増えるほど
幸せを感じる生き方がうまれてくるのかも。
そう、僕は感じています。
そんな、ハゲアタマの脳内花畑なブログをご覧頂いている方々、
それぞれに、「有り難いなぁ」と感じます。
今年一年、このブログや龍光ポストを通して、
そしてX(twitter)や、ポッドキャスト、そして、自分を呼んで頂き
発信頂いた、様々なお話会や、動画メディアや、記事などを通して
自分ごときに興味をお持ち頂いたみなさま。
今年一年、大変にお世話になりました。
心より、感謝申し上げます。
そして、みなさまから頂いた恩という"エネルギー"を
明日からも変わらぬ日々の中で、
縁あって出会う方々の心がホッコリする"エネルギー"となるべく
ささやかながらの「恩巡り」をさせて頂きたいと思います。
それは、「有難う」という言葉を巡らせて頂くことなのかもしれません。
今年も、たくさんの皆様に、
有難うございました。
そして、明日からも、様々な方々に
有難うございます、とお伝えするべく日々を有り難く頂いて参りたく存じます。
いつもお付き合いくださり、有難うございます🙏