「よく気をつけて」生きるということ - 龍光ブログ


「よく気をつけて…」

なんて日常的で、当たり前に聴こえる言葉でしょうか。


ですが、ブッダのことば(経典)には

「気をつけて」という言葉が実にたくさん出てきます。

死の間際でも「 怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。

その思いをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれ」

と語ってます。


個人的な解釈ですが、ブッダの教えのコアは

この「よく気をつける」ことの

実践の継続(その努力 = 精進)にあるでは、と感じております。


じゃあ、何を「気をつける」のか?

経典において実にたくさん「気をつける」よう語られている中から

下記に抜粋してみました(多少の編集をしています)。


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この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に貪らぬよう

よく気をつければ、煩いから離れ、心安らかにいられる。


つねによく気をつけ、自己に固執する見解を打ち破り、世界をあるがまま見よ


平静であって、常によく気をつけていて、他人を自分と等しいとは思わず、自分が勝れているとも思わず、劣っているとも思わなければ、煩悩の燃え盛ることがない


みずから制し、落ち着いて気をつけていて、とがのない言葉を奉じ…


常に戒めを見にたもち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、よく気をつけて


食物と住処と寝具と衣の塵(ちり)を洗い去るための水を、よく気をつけて用いよ


よく気をつけて諸々の欲望を回避するよう…


こころを安定させ、うろつかせず、あとで後悔するようなことをやめ、怠けず、

熱心に努め、非難されてもくよくよせず、称賛されても高ぶらず、

誹謗をせず、嘘をつかず、荒々しいことばを用いず…これらをよくわきまえ、

つねに気をつけて学べ


世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである

気をつけることが煩悩の流れを防ぎまもるのである

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他にもまだ、たくさん「気をつけて」という言い回しが出てきますが

ブッダがいう「気をつけて」いるべきことを、ざっとまとめてみると

下記のようなことなのかなと。


外界からの刺激に意識をあちこちに振り回されてないか、

固執した考えにとらわれてないか、

他人を損ねる言葉を発してないか、

何かに耽ってないか、

食物や衣服や水を大切に扱っているか、

自分が正しい行いをしているか、

冷静であるか、

熱心に努力しているか、

他人と比較して奢ったり卑下したりしてないか、

自身を内省しているか、

そのように、意識を集中して、気をつけなさい、と。


いかがでしょうか。

一般的な道徳的でもあり

とっても「当たり前」にも聴こえるような内容じゃないでしょうか。

ですが、これが簡単でないから

人は惑い、苦しみ、時に他に悪しきことをしてしまう自分が生まれたり

それがゆえに自分や周囲も苦しむことになったり…。

最悪の場合、自分こそが正しいと妄信してしまい

不幸な戦争を起こしてしまったり…。

だからこそ、繰り返し「気をつけなさい」と説いたのではないか。

そんな風に考えております。


ブッダという一人間も、気をつけてないと

これらの事が守れていない状況になりそうになったり

あるいはなってしまったりしていたのかもしれません

(実際、特にブッダが神格化される前の初期の経典の中では、

そんな人間らしい姿のブッダも描かれています)。


「自分は、そんなの当たり前にできているから、大丈夫」

それこそが、驕りとなり、油断かもしれない。

簡単のようで最後までそれを実親し続けることは容易ではないからこそ

このように何度も繰り返して伝えてくれたのでしょう。


そのように在り続けられるよう、精進をしていきたいと思います。

今日もお付き合いくださり、有難うございました。





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