「日本がまだ持ってないもの」
タイ・バンコクのタンマガーイ(Dhammakaya)寺院に滞在させて頂いております。
たった3日間の滞在の、まだ2日目の朝ですが、
すでにたくさんの学びを頂いております。
現地では、ソムキャットさんという僧侶の方にご指南頂いております。
ソムキャットさんは、タイ人ですが、
完璧に日本語を(漢字含めた読み書きも)使いこなし
かつ、英語も中国語も話し、そのお考えや学びの深さ
立ち振る舞いなど、とても学びを多く頂いております。
このタンマガーイ寺院は、1000人以上の僧侶が滞在し
世界最大の僧院ともいわれる、要塞のようなどでかい寺院なのですが
元はたった一万円程度の資金と、ひたすら広がる平原より
1970年から始まった寺院だそうです。
その目的は、ブッダの教えに従い、徳を積み、その精神を養うために
真の寺院を建て、真の僧侶を育て、真の高潔なこころを人々にもたらすというものです。
今でこそ、広大な土地と100万人が集える会場がある、大きな施設となりましたが、
教えを学び、瞑想の習得を希望する方々が集まるに従い、その方々の寄付(お布施)により
拡大を続けてきているそうです。
巨大な施設ですが、規模や華やかさを目指したものではなく
簡素で頑丈で、装飾なども少なく、エアコンも少なく最近ファンが付いたくらいで、
できるだけ工事費や維持費を抑えることで、
寺院に訪れるあらゆる方に食事を提供するなど、
人々のために資金を使うというコンセプトで成り立っています。
そして、「内なる平穏を手にしてこそ、世界の平和につながる」という考えで
ブッダの教えだけではなく、特に瞑想の練習に重きを置いています(これはタイのほかの寺院やミャンマーでも共通していると思います)※必ずしもそうでないタイの僧院もあるそうです。
といった情報は全てソムキャットさんから教えて頂いたのですが、
そのソムキャットさんの教えでとても感じ入った言葉が下記です。
※ソムキャットさんは日本語を完璧に使いこなせるだけではなく、何度も日本に訪れている方です
「この寺院では、清潔、整頓、礼儀正しさ、心の平穏を大切にしています。
日本では、清潔、整頓、礼儀正しさは既に備わっているかもしれませんが
瞑想のような『心の平穏を得る方法』が、まだ備わって無いのかもしれません。」
僕は、たかだか瞑想を初めて2年未満で、
しっかりした師匠について学んだわけでもなく、ただの独学で
瞑想が何なのかも正しく理解できてないような人間ですが、
少なくとも、瞑想を通して「心の平穏を得られる」という実感は
強く感じています。
そして、瞑想について学ぶほどに、
例えば最新の脳科学でも「瞑想により脳に構造上の変化が見られるほど
平穏な感情を手にする効果が期待できる」と示されており、
ますます「瞑想」の効果を信じるようになっています。
「瞑想」というと、どうしてもオウム真理教など過去の悲しい出来事から
日本では「あやしい」「うさんくさい」という印象を与えてしまうものかもしれませんが、
数千年前から続けられていて
現代では、Googleのような大きな企業も瞑想を取り入れつつある、
「生活の知恵」のようなもの。
※瞑想については、全ての人に有効なわけではなく、必ずよい効果が表れるものではない点ご注意くださいませ。心身での不調に苦しむ方は、専門の方にご相談ください🙏
キャンプやハイキングみたいに、
経験したことがないと「なにそれ、意味あるの?」だけれど
体験してみると「なんか気持ちいいね!いいかも」と感じ入れる、それだけの事なのだろうと。
そして、まだ瞑想など分かってない自分なりの薄っぺらな考えではありますが、
「瞑想」という難しそうな何かではなくとも、
「心の平穏を得られる方法」は他にもあると思っています。
散歩(特に自然の中)、お掃除、ジョギング、サイクリング、写経などなど
瞑想と近しい効果を生む方法はあると感じています。
いずれも、「忙しい」となかなか取り組まない行為なのでしょう。
その「忙しい」と感じさせる生活こそ、心の平穏を乱しうるものなのかもしれません。
働き方改革など、仕組みを利用した、「忙しい生き方の解消」もできるかもしれませんが、
何より大切なのは「自らの心の平穏」を育てることこそが
「忙しいと感じさせる自分」から解放してくれるかもしれません。
経済の発展や、物質的な豊かさは達成した日本ではありますが、
「心の平穏」や「心を育てる」という機会は、
教育機関でもあまり重視されておらず、
会社生活など、社会全体でも、
日々の生活でもさほど意識されていないものなのかもしれません。
最近でこそ「ハラスメント」という言葉が広がり
「どう感じるか」という「心」への意識も生まれてきていますが、
個人的には
「自分の感情を傷つけられた(ハラスメントを受けた)」側にだけ目を向けるだけではなく
「傷つきにくい、しなやかで強い心を育てていく = 平穏な心を手にしていく」
ということにも目を向けてもよいのではと感じてきています。
まだまだ、感じ入る事はたくさんあるのですが、
寺院での次のプログラムへと行って参ります。
最後までお付き合いくださり、有難うございます。
乱筆、失礼いたしました。