満たされてない、と感じる方へ

「満たされない」という苦しみについて。

相変わらず、無責任なただのハゲボウズの一人思考の落書きとしてお流しくださいませ。


いま「満たされてなくて苦しい」と感じていらっしゃる方へ。

まず、「大丈夫ですよ!」とお伝えさせてくださいませ。


だって、今、あなたは呼吸をしていらっしゃり、ある程度自由に動かせる身体を動かせていらっしゃり(目、耳、触覚のどれかが無事に使えている!)、インターネットにつなげるだけの環境や、スマホやパソコンなどを使える電力もあり、端末も持っており…

決して、今にも消えそうな呼吸でも、自由が聞かず感覚も薄れそうな身体でもなく、紛争や災害で家を失っている訳でもなく、寒さにふるえている訳でもない。

素晴らしい、有り難いことじゃないですか。

実は、とても満たされているんですよ。その自分に、まだ実感を持ててないだけなんです。

なので、大丈夫ですよ!


と、冒頭から、無責任な戯言で、失礼いたしました。

少し、噛み砕いてお話しさせてください(ふざけんな!とお感じでしたら、いつでも立ち去りくださいませ)。

ちなみに、このブログ、ちょっと長くなります。ご容赦くださいませ。


「どうやったら、満たされてるって、感じられるようになるの?」

そのヒントになるかもしれないコトも後の方に書いていきますので、お付き合い下さいませ。


まず、「満たされていたい」って、欲望なの?煩悩なの?

「満たされたい」って願うのは駄目なの?


そんなことはない、と考えてます。

「満たされたい」という思いは、人間として大切な想い、願い、だと考えております。


でも、もし

「何かが足りてないから、満たされてない」

「何かを手に入れれば、満たされるのだ」

そう感じていらっしゃるのだとしたら、その気持ちからは離れることをオススメさせて頂きます。

そのスタート地点から進み始めると、どこまでいって「苦しみ」はつきまとうかもしれません。


欲、には、2つの方向がある。

「幸せ(満たされ)」につながる欲と、「苦しみ(満たされない)」につながる欲。

まず、今、立っている立ち位置(スタートライン)で、

「どちらの欲の方向へ向かうか」が変わりうる、と考えてます。


立ち位置A : 「今、実はある程度満たされてるのだ」

立ち位置B : 「今、満たされてないのだ」


Aに立つか、Bに立つか。

つまりは、自分は自分をどう解釈するか。自分次第の問題です。


大丈夫です。

あなたは、実は、多少なりとも、満たされているのです。


だって、このページを、今見れているのですもの。

絶望にかられて、今命を絶つ寸前なワケではない。

空腹や病気で、スマホを持つ気力さえ残ってないワケではない。

目の前で銃を突きつけられて、それどころなワケではない。

ひとまず、呼吸をできていて、生きていられて、このページに向き合うだけの状況は手に入れられているのですよ。

素晴らしいことなのですよ。奇跡的な、ことなのですよ。

まずは、今まだ頑張って生きている自分を褒めてあげてくださいませ。


いますぐには実感はできないかもしれませんが、時間とともに、気持ちは変わります。

まずは、騙されたと思って、「多少は自分も頑張ってきているかも。多少は満たされているところはあるのかも」と、そう言い聞かせてあげて、もう少しお付き合いくださいませ。


まず、

立ち位置A「実は、ある程度は満たされているのだ」に立てるかが、幸せへと向かうには大切だと考えております。

立ち位置B「今、満たされてない」と、あくまで自分を否定する心持ちを持ったままでは、どこまでいっても、どんな立ち位置にたっても、「満たされてない」評価が残り続ける可能性がるのです。「満たされてない」という視点に「囚われてしまっている」とも言えるかもしれません。


数千億円の資産を持って、知名度も十分あって、健康な身体を持って、ステキな家族もいて、それでも「満たされてない」と苦しんでいらっしゃる方も、事実、存在しているのです。


「ふざけんな。そんなの、十分満たされているだろうが」

そう他人からは見えたとしても、本人が「満たされてない」「死にたいくらい苦しい」と感じている以上、その方にとっては満たされず、苦しい状況なのです。

「満たされてない」というのは、あくまで、自分が自分に対する評価でしか、無いのです。

本来ならば、自分次第なのです。

なので、答え(解決策)は、実は自分の中にあるのだ。そう気がつけるかどうかで、立ち位置が大きく変わるのです。


「オレなんて、身体も問題があって、ろくに仕事すらできず、借金ばかりで、ふざけんな」

「自分なんて、今まさに爆弾で家族と共に殺されるのかもしれないのに、なんて不幸なんだ」

「私なんて、余命で今晩にも死ぬかもしれないのに(意識もなくなるくらい痛みで苦しいのに)…」


「他の誰か」や「今持ててない自分の姿」と「今の自分」を比較している限り、

「こうなれば満たされているであろう姿」を求めている限り、

「今の満たされ」は得られない。


なぜなら、今の自分に目を向けられてないから。

その苦しみを「他の誰か」にぶっつけても、自分のモヤモヤは消えない。

今の自分が、とはいえ多少は満たされているかも、という現実を見ようとしていないから。

どこか未来に、なにか「満たされた」自分が手に入るのだ、と、いわば「今はまだ存在しない状態」を目指しているから。

その立ち位置では、どこまでいっても、「今、満たされている」実感は手に入らない。


でも、今、この瞬間の自分の周囲の状況は何ら変わらなくとも、

「見方次第では、実は多少なら満たされてるかも」

「今この一瞬は、まだ息して生きていられているだけいいかもじゃん」

そう「今の自分」を見てあげられるだけで、スタートラインを変えていける。

そう考えてます。


そうは言っても、なかなか、今の自分を肯定するのは難しい時もあるかもしれません。

周りから、とにかくダメだしされてしまっているなど。

でも、仮に今、どれだけ周りから「オマエはダメだ」とか「いけてない」とか否定されていたとしても、大丈夫です。

少なくとも、僕からは「大丈夫です」と言わせてくださいませ。

だって、いま、生きているんですよ。この地球上に、奇跡的に生をさずかって、かつこのブログを見れるだけの状況は手にできているのですもの。

無責任なハゲがそういっても、なーんにもうれしくは無いかもしれませんが、僕にとっては、とても有難き=有ることが難き(簡単にあるわけじゃない)コトである。

そう、思っている人間は一人くらいはいるのですよ。


でも、今、自分は満たされなさで、苦しい。

なんで自分だけ、こんなに不幸なの?

そこのハゲボウズだって、自分のこの苦しみわかるはずないじゃないの。

自分次第で、自分が満たされているかも、なんて、とても感じられない。

今、どうしたらいいの?


なかなかお力になれず、申し訳ありません。


一度大きくなった炎をすぐに消すのは少し時間がかかるもの。

一度大きくなった波がおだやかになるのも、少し時間がかかるもの。

けれど、どちらも、時間とともに必ず、おだやかになっていくものです。


なので、まずは、慌てず、ゆっくり深呼吸してみてください。

なんどか、深呼吸、これ、大事です。


まず、しっかり吐いて下さい。吸うより、吐くのが大事です。

なぜなら、吐いて肺のスペースを空けてあげないと、新鮮な空気が入る場所を確保できないからです。

捨ててはじめて、新たに手に入る余地が生まれるものです。

まずは、しっかり、吐く!そして、大きく吸う!


そのうえで、

僕が皆さんにオススメしているのは、ほぼ誰でもできる4つのことです。


早起き、散歩、挨拶、掃除。


たぶん、このブログで、何度も登場する4つです。

自分の過去の実体験や、他の方からの感想からも、かなり効果があると考えてます。

バカにしてんの?でも、ホントなんですよ。


まず、少しだけ、朝頑張って早起きしてみる。

できれば、日の出ちょっと前がオススメです。

その後、二度寝しちゃってもいいんです。


でも、その前に、少しだけ頑張って、散歩に出かけてみてください。

起きてすぐ、まず顔を洗うと、少し眠気が流れて、

すぐに布団に戻りにくく、散歩への勇気が起きやすいです。

雨が降っていたら、家の中でストレッチやラジオ体操、筋トレでも構いません。

少しだけ、身体を動かしてみましょう。

外を歩けそうなら、特に自然を感じる場所を歩くのがオススメです。

都会でも、公園などに寄ってみるとか。

なんとなくでも、空、雲、風、草木の匂い、鳥の声、いろいろと感じて見ながら、歩いてみて下さい。

あぁ、とはいえ、今、生きているんだ。

と少しでも、感じてみてくださいませ。


そして、挨拶。ここは、少しハードルがあがりますね。

早朝だと、歩いている人が少ないので、他の歩行人に「おはようございます」という挨拶はしやすいけれど、それでもハードルはありますよね。

「無視されたらどうしよう」とか。実際、無視されちゃうことも多々あります。

大丈夫ですよ。向こうも恥ずかしかったのかもしれませんし、何か悩みを考えてたのかもしれませんし。

オススメの挨拶は、「有難うございます」です。

コンビニで何か買い物して商品を受取る時、

工事現場で交通整理をしてくださっている方の前を通る時、

公衆トイレでお掃除をしてくださっている方を見かけた時、

「有難うございます」

そう、声を掛けてみてくださいませ。

大丈夫です。

最初は小さな声しか出せないかもしれませんが、回数を重ねていけば慣れてきます。

そして、慣れてくると、より大きな声で、できれば、笑顔で、相手の顔を見て。

少しずつ、大胆になれるものです。


これだけで、

あぁ、自分も誰かの役に立てるんだな。

いろんな人のおかげで、生きていられているんだな。

そう、ちいさな「満たされ」を実感できます。

挨拶できたことで、小さな自信も生まれます。

「やるじゃん、自分」

「一週間前よりは、大きな挨拶できたかも」

そう褒めてあげてくださいませ。


そして、最後、お掃除。

自分が生きて汚れが出た分、ちゃんとお掃除しましょう。

💩したら、トイレ流すじゃあないですか。

身の回りが汚れているより、キチンとキレイな方が、気持ちがよくないですか?

そして、できれば、家の外でお掃除です。

つまり、ゴミ拾いです。

お散歩の時に、ゴミ袋と軍手/トングがあれば、すぐできます。

誰も見ていなくても、お外のゴミ拾いをすると、実は気持ちが晴れやかになるものです。

「あれ、オレ、ちょっとイイことしちゃってるじゃん」

「少しは、役に立ってる?」

そうなのです。誰かが、それで嬉しくなれるのです。喜びを提供できているのです。

騙されたと思って、試してみてくださいませ。


これら、小さなことに見えるかもしれません。

でも、思い出してみて下さい。

今、自転車に難なく乗れているかもしれないあなたにも、補助輪ないと怖くて自転車に乗れなかった時代があったのではないでしょうか。

今では、意識せずに自転車に乗れている。でも、いきなりそうなれたのではなく、

コケたり、フラフラしたりしながら、小さな成功を積み重ねて、当たり前のように自転車に乗れる今がある。

何事も、最初は小さな一歩から始まるのではないでしょうか。

ボディビルダーだって、生まれた時からそうだったワケじゃない。

筋肉は、少しずつのトレーニングの積み重ねからしか、強くならない。

ココロだって、同じです。

いきなり強くはなれない。

少しずつ、自信をつけてあげて、「とはいえ、今の自分でも、まぁ役にたててるじゃん」

「息をして歩けているだけでも、たしかに悪くないじゃん」と

「実は多少は、満たされてるともいえるかも?」と、まずは自分を褒めてあげてくださいませ。

その視点に立ち、「何かを外から手に入れる」のではなく「自分の小さな努力の積み重ねで自分を育てていく」進み方が、自信に満ち溢れた、幸せそうに見える人へ道、方向では。

そう思っております。



まずは、「多少は満たされているかも」と感じる立ち位置からスタートする。


そして、向かう方向は、「外から何かを手に入れて、満たされる」のではなく、

「内なる自分を育てて、満たされ続けていく」方向を目指す。


それを、「何かを手に入れれば満たされるのだ」と錯覚に陥ると、苦しみが膨らむ。

「満たされてない自分」を立ち位置にスタートを切ってしまっているから。


「それホント?

それって、やっぱり、欲をもっちゃ行けないってコト?

インフルエンサーになりたい。お金持ちになりたい。って目指すのは駄目ってことなの?」


そうでないのです。

モノ、カネ、地位、名声、などなど。

何かを目指そう、何かを新たに手に入れよう。

今の自分にくわえて、新たな何かを手に入れよう。

これは、成長につながりうる、素晴らしい「欲」と思います。

でも、実はモノ、カネ、地位、名声を得られたから、満たされるワケではなく

それらを得ようと重ねた努力、失敗含めた経験、それら「体験の積み重ね」こそが「満たされ」の元なのだと考えてます。


だけど、

満たされてなさを埋めてくれそうな何か、を手に入れよう。

この欲の方向は、「満たされない」立ち位置を保ったままである以上、どこまで進んでも「満たされなさ」が続く。

次の、「何か(未来で)ココロ満たしてくれそうなモノ」へ欲に燃える自分は手に入るかも。

でも、「満たされている今」を実感できないというのは、今に至るまでの様々な「体験の積み重ね」の道のりを、ないがしろにしてしまっているというコトになるのでは。

そうすると、「次の何か」を手に入れる瞬間の1シーンは「(一瞬の)満たされ」に浸れるけれど、そのシーンはすぐに終わってしまうと、すぐに「今は満たされてない自分」のシーンに移り、せっかく積み上げてきたこれまでの過去(数々のシーンの積み重ね)が、自分の自信に繋がりにくい。

なので、まずは今の自分を認めてあげて、少しは褒めてあげて、自分は「多少は満たされている」と大切にしてあげることが大事では。

次の何かを手に入れたから満たされるワケじゃなく、多少の満たされは今もある前提で、新たな何かに向かい努力という体験を積むことが、自分をさらに成長させてくれる(満たす器を大きくする)ことなのだ。その体験の積み重ねの実感こそが、「満たされ」なのだ。

そう気がついていく。

外の何かを手に入れさえすれば、満たされる(今は満たされてないけど)、というスタートだと、求めようとする「欲」そのものは悪くなくとも、進み出す立ち位置が、幸せに向かいにくい立ち位置になってしまっている。つまり、満たされに繋がりにくい方向になってしまっている。


そんなふうに考えてます。


まだまだ、うまくまとめきれておりません。

ダラダラとしてしまいましたね。

講演用にもブラッシュアップし、スライドにもしてみようとおもいます。



こういう僕も、オーストラリアのマックで新発売された100円のチョコソフトクリームを食べたい欲に負けてしまうこともあります。

「そういった些細な欲に揺らがない自分の内面を育てていく」

なんて願い努力を続けつつも、しょせん、そんな堕落まみれのハゲボウズの戯言にすぎません。

でも、ここの落書きが少しでもお役にたつ可能性があれば、とブログに残してみました。


お付き合い頂き、有難うございました。




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