生き方を変えたいと思う方へ

立派なタイトルに見えるかもしれませんが、大した中身はございません。

ただ、欲にあふれて苦しんでいた50歳手前のオジサンが、無職のハゲボウズになった中で、大きく生き方が変わった体験からの小さき学びをシェアさせて頂く内容にすぎません。


世の中には「自分を変える方法」は本や動画などで実に様々と用意されてます。

多くの偉人たちによる、生活習慣の作り方や考え方についても学べます。


わざわざ、こんなハゲボウズの体験や考えなどご覧頂かなくても、他に学びはいくらでも得られます。

何かのご縁があってご興味頂いた方へ、あくまで一個人の一事例としてご覧頂く、という前提にて、ご容赦くださいませ。


あくまで自分個人の体験ではありますが、

得度前と今では、生活スタイルも、物事の考え方も、普段の感情も、劇的に変わりました。

得度前は、常に何かに追われ、不幸ではないけど何か満ちたれてないような、実感のえられない何かを求めているけど何が正解かわからないような、充実感はありつつも、苦しみが膨らむ生活でした。

今は、とても心おだやかに、でもおもしろきと感じることに溢れる生活になりました。


ただ、まず最初にお伝えしたいのは、

「人生を変えるのに、出家や得度は必要とは思いません。

そして出家や得度したからといって変わるとも限りません。

出家や得度はあくまでキッカケにすぎないと思います。」

ということです。

そして、「どのような生き方へと変わりたいのか」によって、取るべきアクションも変わってくると思います。


たとえば、「おだやかな生き方」を目指すのだとしたら、「囚われない考え方」を手に入れることが大切だと思います。


「おだやかな生活を手に入れるには出家は効果あるはずだ」

「おだやかではない今の状況から抜け出さなくては」

「家族がいるから、興味があるけど出家なんてできない」


実は、これら

「〜のはずだ」「〜しなくては」「〜はできない」という考えは

何か一つのものの見方や判断の仕方(視点)に囚われの心持ちがある、と考えてます。

「出家しなくても何かかわるかもね」「今の状況から抜け出せないと死ぬわけじゃないかもね」「家族いながら出家して日常生活してる人もいるよね」

などなど、少し違う視点(心持ち)を持てれば、「一つの視点、という囚われから離れた」状態に近づける一歩となります。


極端なお話し、自分の命だって、いつどのように無くなるかワカラナイものだから、明日実は車に轢かれて死んじゃうとか、人知れず今晩心不全で死んじゃうとか、ワカラナイ。

「いつ、どのように命が終わったって、そういうもの」という心持ちになれると、自分の死や、残りの人生の時間、や「いつまでにやらなければならないコト」など「囚われ」となりうるものから、離れやすくなる。

我が家のネ申(ヨメ)から言わせると「無責任で自分勝手なだけじゃん」と、まぁ、その通りでしかないのですが😅。


何が言いたいか、というと、

心持ちが変われば、生き方が変わって見える

というコトです。


会社を辞めたり、得度したり、外からみた生活の変化は見えなくても、

その生活をしている本人の感じ方として「生き方が変わる」というコトもあるものです。


なので、

「生き方を変える」には「心持ちを変える」必要がある。

そう、思っています。

なぜなら「生き方が変わった」と感じるのは、本人でしかないのですから。


ですので、自分にとって心持ちが変わる経験/キッカケを得る事が、生き方を変えるには大切ではと考えてます。


じゃあ、どうやって、「心持ちが変わる経験/キッカケ」を得るか。


ここでは「どういう生き方へと変わりたいか」を限定せずに、一般論として書いていきます。

「おだやかな生活に」「自信に溢れた生活に」「お金に困らない生活に」

それぞれ、変えたい方向性はあるでしょうし、それらに特化した内容ではなく、共通して有効であろう内容としてご容赦ください。


生き方を変えるため、自分にとって心持ちが変わる経験/キッカケを得るには。

2つの方法を、ご紹介させてくださいませ。


1つめの方法は、新しいコトを初めて見る。新しい体験を始める。

です。

どんな体験がいいか?

「ココロの針が向く方に足を踏み出してみる」ことがオススメです。

たとえば、実は興味があるけどやれてないコト。やりたいけど自分にはムリかもと(勝手に)諦めていたこと。もしくは自分意外の何かの理由で「できない」と(勝手に)思っていたこと。

これらに、小さな一歩を踏み出してみてください。


アタマで考えて「これがいい」という新たな一歩もいいですが、

直観というか、心や腹(身体の中心から)「コレやってみたら面白そう」な小さき一歩を踏み出してみる。

ココロが求めるものの方が、本当に興味がある、初めてみて続けやすいコトだからです。

何事も、新しいコトは、初めてみないと、できる/できない、自分に合う/合わない、など分かりません。

そして、一歩踏み出すからこそ、違う景色が見えてくるものです。

それがすぐに、自分の心持ちが変わるキッカケにはならないかもしれませんが、少なくとも、一歩を踏み出さなければ、景色は変わりにくい。


自分の場合は、たしかにインドでの佐々井秀嶺上人との出会い、そこでの得度が人生を変える大きなキッカケにはなっていますが、そこに至るまで、大小さまざまな「一歩」を行っていました。

何の保証も無いけれど、一旦仕事を辞めてみる。

ヒマになったので、海外旅行でも行ってみる。

オモシロそうなので、行き先を自分で決めずに、知人の紹介に従って旅してみる。

すごそうな偉人相手だけれど、電話かけてみちゃう。

会ってどうなるかワカラナイけど、ひとまず会いにいってみちゃう。

などなど…

それらが重なって、小さな気づきや体験を経て徐々に心持ちが変化していく中で、結果として得度し、結果としてその後の大きな生き方の変化へと繋がっていきました。

このあたりの経緯は、たまたまその過程を収めた旅動画がありますので、お暇でしたらご笑覧ください(ちと長いです)。


「今までのキャリアがあるから/貯金があるから、いきなり仕事辞めれたんじゃ?自分には、そんな経験もお金も無いし…」

僕にも、貧乏で、何の自信もスキルも無いや、落ちこぼれとみなされた時代もありますが、すべては、小さな一歩を積み重ねの中で、少しずつ心持ちが育っていったにすぎません。


いつでも、今すぐでも、誰でも、生き方を変える新たな小さな一歩は作れると思います。

何より大切なのは、小さくても、変化の一歩を実際に動かすことだと思っております。


どんな大きな変化も、小さき変化からしか起きない。

ある日突然ムキムキになんてなれず、日々の地道な筋トレの先にしか、身体の劇的な変化は起きない。


「時間かかるから、自分にはムリかな」

「自分にはそこまでの意思なんて無いし」

もし、そう感じたら、そういった自分の中の「でもな(自分なんて)」こそが、最初の一歩を踏み出す最大のハードルかもしれません。


「どうせ自分には」と自分を信じてあげられない方、自分を認めてあげられない方にこそ、

小さくても良いので、少しでもココロが動くコトにチャレンジしてみてください。

できるだけ、簡単そうで、楽しそうなコトがオススメです。


大事なポイントは、「自分にはできないかも?」とアタマが自分を止める前に、

なんでもいいので小さく一歩を、行動をしてしまっちゃってください

僕の前世の知り合いは、その行動様式を「ノータイムポチリ」と呼んでおりました。
アタマが考える隙をあたえずノータイムに、ポチっと気軽にアクションしてしまう。


もし「これ楽しそう」が何にも思い当たらなければ、ほぼ全ての方が日常ですぐにできそうな新たな体験として、下記をオススメさせてくださいませ。


早起き、散歩、挨拶、掃除


コレのどれかちょっとでもオモシロそうに感じるコトを小さく初めてみてください。

日の出前後に起きてみる。日の出前後の朝焼けは、日々変化があり、とても美しい。早起きすると時間も生まれて、できることが沢山うまれる。

外を朝散歩すると、実にあらたな気づきが得られる。風の匂い、季節による空や草木の変化、などなど。散歩じゃなくても、ジョギング/ラジオ体操/ヨガ/運動全般はオススメです。できれば、朝、外に出てです。

挨拶、とくに「有難うございます」は、いうほどに自分が幸せになっていく。すでにしていれば、より大きな声で、相手の顔をみて、笑顔で。

掃除、すると、気持ちがいいものです。すでにしていれば、家の外まで。外のゴミ拾いは、感謝さえされます。


くだらないコトのように思えて、これだけでも、新たな体験からあらたな心持ちが生まれて、人生が大きく変わるキッカケに繋がっていく可能性があるのです。

これらを始めることで、日常で「なんだ、自分、やればできるじゃん」という小さな自信がうまれます。

「いやいや、自分には」と思って、一歩を踏み出さねば、見えてくる景色も変わらず、変化は起きません。

そして、やってみたら「意外に楽しい、もっとやってみよう」となるかもしれません。

あまり楽しく続かなかったら、対象を変えてみてください(掃除から挨拶、などなど)。



そして、生き方を変えるために、自分にとって心持ちが変わる経験/キッカケを得る

ための2つめの方法です。

それは、「日々の心得」の習慣を持つ

です。

「新たな体験をする」のではなく「日常の体験に新たな心持ちを持つ」やり方です。


心持ちを変えるために、心持ちを持つ。

とまぁ、ダイレクトな方法なのではありますが、意識的にこれをすることは、僕にとってはとても効果的でした。

どうやるのか?

日々、無意識でおこなっているような習慣の行動に「意味づけをする」


たとえば、下記は現状の僕の「日々の心得」の一例です。


起床:
目覚めたら「今日も呼吸をしている。生きている。今日一日を頂き有難うございます。」と感謝する。


洗顔:

手を洗う時は「今日も「人様にお役にたてる」具体的な行動を心がけましょう」と言い聞かせる。

顔を洗う時は「今日も笑顔で人様と向かいましょう」と言い聞かせる。

口をゆすぐときは「今日も、ウソを言わず、綺麗事を言わず、二枚舌を使わず、悪口を言わずに過ごしましょう」と言い聞かせる。

歯を磨くときは「「人様にお役にたち生きる」目標で、具体的に今日できそうなことは何か?」を鏡の中の自分を見ながら問いかけ考える。

頭を剃る時は「今日も、生まれたての何者でもない自分として謙虚に努力し生きましょう」と言い聞かせる。

食事:

食前のお祈りで「この食物を育ててくれた自然に、食物として自分のために頂く全ての命(草、豆、動物、小麦など)に、この食事が手元に存在するのに関わった全ての人に(料理、スーパーの人、物流の人、農家の人)、有難うございます。その命と努力を頂きます」と感謝する。

※実際に唱える文言は別にあるのですが、その際に念じる内容が上記です。唱える文言は宗派や宗教でも違うワケで、祈りの文言そのものよりも、上記を自分に思い出させるキッカケとしてのお祈り時間を持つようにしております。


など、他にもお掃除の時、外の散歩の時、瞑想の時など、色々ありますが、自分の日常での様々な「習慣の所作」に意味づけをすることで、自分の心持ちを変える機会を維持する。といった方法です。

なお、自分の場合は、これら一連の「日々の心得」を忘れぬよう、朝起きてから何を順番にしていくかの流れ自体を習慣化させるようにしております。

※ちなみにこれには、元ネタがありまして、真言宗の僧侶の方に教えて頂いた「四威儀の心得」が元です。四威儀 = 行住坐臥 = つまり日常のさまざまな行動に「心得」を持つ、という日本仏教でのひとつの習慣です。仏道からの学びに沿ってはおりますが、宗教に限らず様々な過去の偉人たちからの智慧をもとに自分なりにカスタマイズされたモノです。


時に、おごり高ぶったり、自分の生きる目的を忘れて目の前の刺激(ニュースなど)に囚われたり、感謝の気持ちを失ったり、他人の批判をしてしまいそうになったり、と、自分のココロを乱しがちな様々な事柄から、「あるべき自分に向き合わせる」機会を、日常の習慣所作に散りばめる。そういった手法です。

これを行うには、まず「あるべき自分の姿は何か」を考える時間が必要かと思います。

人それぞれ、道徳や信念、生きる目標、使命など「あるべき自分の姿」感があると思います。

自分にとっての「あるべき姿」については、ご興味ある方がいらっしゃれば、またどこかで書かせて頂くかもしれません。

ただ、食事の時に感謝する、というだけでも、どなたでも日常から始めやすいコトではないかと思っております。


といった形で、

新たな生き方を手に入れていくために、新たな心持ちを得る。

新たな心持ちを得る方法として、新たな体験を始める、もしくは、日常に新たな意味付けをする。

というのが、自分の経験に基づく考えです。


どちらも、自分のココロの中で新たな一歩を踏み出す必要があると思います。

そして、どちらも、継続が必要です。


繰り返しですが、ある日いきなりマッチョにはなれません。

ある日いきなり補助輪無しで自転車に乗れるようになるわけでもありません(一部の天才は別かもですが)。

特に大きな変化を求めるには、時間はかかるかもしれません。でもどんな大きな変化も、小さな変化、小さな一歩から起こります。


ちなみに、仏道の得度において髪の毛を落とす行為は、「新たな心持ちを継続して持ち続ける」ことに役立つ、と考えてます。

頭を剃ると、自身の見た目、周りからの反応、肉体的実感(お風呂が楽/アタマが暑い/寒い/風など刺激に敏感)などなど、五感を通した「新たな実感」がしばらく続きます。

「新たな心持ちを維持する」は、日々新たな刺激(SNSやニュースなど)に惑わされなアタマだけでは、すぐに忘れがちなのですが、身体の感覚を通じて非日常な刺激を得ると(頭寒いなとか、ハゲボウズと呼ばれるとか)、「あぁ、いかん、新たな心持ちを忘れそうになっていた」など、思い出しやすくなります。

そして、ついつい、自分の考えを固定化させ、囚われを生みそうになる自分に対して、「こう見られたいという囚われを捨てる」という「ハゲアタマ」な状態は、時に何かに囚われそうになる自分にも、「いかんいかん」とリマインドになります。

ハゲアタマにするのも、意味があるわけですね。

得度などぜずとも、なかなかオススメです。


「呼吸への意識を持つ(鼻腔の触覚に意識を向ける)」ことも、身体の感覚を通じて「忘れがちだった」自分へリマインドしてくます。


生き方を変える、というと大げさではありますが、繰り返しですが、小さな日常の一歩一歩が、時間とともに大きな変化に繋がっていく。

小さな一歩は、踏み出さないと始まらない(当たり前ですが)。

少なくとも、呼吸をして命を維持できているだけでも奇跡的なのですから、

できるできないはさておき、まずは一歩踏み出してみては。


そんなお話しでした。

あくまで、一人のハゲボウズの体験からの戯言の事例、としてのご紹介でした。

少しでもお役にたった方がいたとしたら、大変に有難きことです。

お付き合い頂き、有難うございました。


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