目指す「生き様」(生きる道/方向)を考えてみる
年末年始は、1年の目標を立てるのに、よい機会だと思います。
いつだって目標は立てて目指せるのですが、日常ではつい忘れがちなので、
よい機会として、目標を立てたり、すでに目標があれば見直してみる。
目標なんて特に無くても生きていけるのですが、あると成長に繋がりやすい。
前世(得度前)の自分は、「目標を期限とともに明確に定めて努力する」事で様々な成長を経験することができたかもしれませんが、それにより「達成」「成功」への囚われが生まれ、惑いが大きくなり、とても、苦しみました。
今、師匠の佐々井秀嶺上人の生き様に触れ、自分の生き方を変えなおす機会を頂き、
おかげさまで、とてもおだやかに、クリアに日々過ごせております。
そんな体験をもとに、目指す「生き様」を持つことの大切さについて、
自分なりに考えまとめてみました。
趣旨としては、あくまで個人的な考えですが、点としての目標だけではなく
目指す生き様(生きる道/方向)をイメージし設定してみるのが大切では
というものです。
点としての目標は、分かりやすいのですが、それは「達成した瞬間に消える」1シーンの状態を目指したものかもしれません。
それはそれで、成長には大切だと思います。
でも、人生は、その「点」の前にも後にも続きます。
その点に到達した後、どうするのか。
その点に到達せず人生を終えなくてはならない時、その人生は「失敗」なのだろうか。
そして、点として目標を追いかけているうちに、本来の自分の価値観や倫理観から離れて、目の前の点を追いかける快楽にハマる自分が生まれることもある。
自分が目指す道を見つめずに進むほど、目の前の点ばかりを追いかけて、気がつけば、本来生きたい道のイメージから大きくハズレる自分が生まれうる。
家族のためと思って働いているはずが、仕事の楽しさばかりに目がいって、家族と目をみて話すよりも、スマホで仕事やニュースばかり見てしまう。
将来の目標のために稼いでいるけど、稼ぐことばかりが毎日一生懸命になり、なんのために日々過ごしているのかわからなくなる。
でも、仮に今晩、隕石が落ちて、災害が起こって、家族がバラバラになってしまったり、自分の生命が終わってしまったとして、その人生はどう解釈すればよいのか。
目の前の事ばかりに囚われ、本来の生きたい生き方を見失う。
そういったことは、よく起こることなのでは、と思っております。
※先日ポストした「瞑想について」は、そういった囚われから離れやすくするツールと考えています。
人生の1シーン(点)としての目標だけではなく、人生全体を通した道/方向のような目標=目指す生き様のようなものをイメージする。
道/方向としてイメージするものなので、点の目標と比べて、具体的ではなく、あいまいに感じるかもしれません。
数字などで図ることなどもできず、具体的な期限などない。
ビジネス的には失格とされる目標かもしれません。
でも、「自分の人生は、何月何日までに、幾らのお金やフォロワー数を持って、死ぬのが目標です!」って、どうなのでしょうか?😅
そもそも、どう死ぬのなんて、ワカラナイものなのだから。
何歳で自分の人生を閉じると決めていてさえ、その前に思いもよらず終わることだってあるのが、人生なのだから。
だからこそ、いつだって閉じてしまってもいいように、点としてではなく、道としての目標をイメージしてみては。
そうすると、今この瞬間も、自分が正しい方向に向かっているのか、自分で確かな実感を得やすく、惑いにくいのでは。
そういった趣旨です。
そんな思いで、戯言をまとめてみました。
自由にご活用頂き問題ありません。
少しでもどなたかのお役にたつのでしたら、大変に有難きことです。
長くなりましたが、お付き合い頂き、有難うございました。
おだやかで、おもしろき年末年始の時間にあふれますよう。