投稿

1月, 2024の投稿を表示しています

一生分のお小遣い「サンキューナムナム」

イメージ
自分が自由に使える「一生分の資産」の上限を 39万7676円(サンキューナムナム) に減らしてみました。 2022年10月、たまたま旅行で訪れたインドで佐々井秀嶺上人のもと得度させて頂き、 「カネに囚われぬよう、 一生分のお小遣いの上限を108万円(煩悩数)にして、 少しでも超えたら他の方にお金を巡らせつつ、一生を過ごそう」と決めました。 が、その後「それでも多すぎる」と感じ 上限を108万円から 767,600円(ナムナム) へと下げて過ごしておりました。 ですが、気づけば、なんだか自分に甘えが生まれている。 これはいかん。傲慢になりつつある! そう感じ、ひとまず397,676(サンキューナムナム)を上限に。 数字の設定は、単なるノリです。 ナムナムから、約50%オフの達成です😂! サンキューナムナムの上限を超えていた分(55万円強)は、 今回は全てインドの佐々井上人の元に WISE(ワイズ)の海外送金サービスにてお送りさせて頂きました。 そもそも、自分が使う出費など、移動費と本代くらい。 食事や宿は頂けた時に利用させて頂ければ十分。 ご依頼頂く講演や取材は全て「謝礼は要りません」とお伝えしているものの、 時に、ご好意で頂く分については 「お預かりし、恵まれない方々に巡らせて頂きます」と、 有り難くお受け取りさせて頂いておりました。 今までの上限額の「ナムナム」(767,600円)に近づいた時も、 インドの佐々井上人や 自分が直接お会いした応援したい団体さま(社会的不利な状況の方々)、 そして先日の能登半島の震災などへ寄付をし 自分が頂いた恩を皆様へと巡らせて頂いておりました。 でも、今回の訪日で、講演や取材での謝礼など、気がつけば ナムナム767,600円の上限を大きく超えてしまっていた。 しかも、「十分やっていける」 というおかしなキモチが自分に芽生えてしまっていた。 「ふざけるな。インドやミャンマーで差別や経済格差で苦しんでいる方々にしてみたら 76万7600円なんて大金だぞハゲチャビン」 と、言う自分が、自分のアタマをスリッパで叩きたくなり、 上限を一気に減らしてみました。 これでも、十分大金です。 移動費が足りなくなったら、移動しなければいいだけの話しです。 まぁ、四国お遍路で1200kmは歩けることが分かりましたし。 我らの先祖(ホモ・サピエンス)ら

自分の人生は自分でコントロールしろ?

  前世(得度前)の自分は、社内でエラそうに 「自分の人生のコントローラーは、自分でしっかり握れ!」 とホザいておりました。 他人に振り回されずに、自分の生き方を見つけて生きろ、という意図でした。 で、今は、というと、 「自分の人生のコントローラーを、人様に委ねさせて頂く」生き方です。 ほとんどの予定は自分で決めず、 明日どこへ行くか、誰と会うかは、 ほぼ全て、皆様から「龍光ポスト」などで頂くご要件に合わせて 決めさせて頂いております。 自分の意志をもって自分の生きる道を拓いていくのは大切だと思いますが、 「なんでも自分でコントロールできる」という考え方は、 今から思うと「なんて傲慢な」と感じております。 地震や火山、台風など、 自然の采配ひとつで、 人の存在など簡単に吹き飛んで潰されてしまうものです。 そして、世界は自分ひとりで生きているワケではない。 今日、道を歩き、スマホをながめ、ご飯が食べられるのも、 決して当たり前じゃない。 誰かが電気を作り、 誰かが道を整備し、 誰かがご飯を用意し運び、 冷蔵棚に並べ…。 実に様々な人達のおかげで生きられている。 でも、それらだって 少しの災害や、経済の不調や、ウィルスの発生で、 簡単に吹き飛んでしまうもの。 「自分のチカラ(だけ)で生きていける」は 実は脳内で自分が憧れる理想の「イメージ」でしかなく、 実体はたくさんの見えない誰かのおかげで、 日々、安全に快適に過ごせているのが現実。 そんな事実に気がつけ、そこに意識が生まれたからこそ 多くの感謝の機会が溢れていることに気がつける毎日が生まれるのだと感じております。 そう感じると、日々の何気ない様々な出来事に「有難う」というキモチが生まれます。 今日も、有難うございます。

未来へ生きる君たちへ

イメージ
  日本の若手マーケターのみなさまへの講演機会を頂戴いたしました。 「マーケティング」など、なーんにも理解できてない身ですが、 マーケターとは、 単に新たな商品を設計し、それらを認知し購入をしてもらう以上に、 「人々の意識や行動を変えられる」役割では、 と勝手に理解しております。 さまざまな会社の立場はありながらも、何よりも 未来をになう一個の若き人として、どう考えてみてほしいか。 いつも以上に「我」を出して、自分なりのメッセージを踏み込んで 発信させて頂きました。 「一隅(いちぐう)を照らす」は、天台宗・最澄さんの言葉とされてますが アフガニスタンで井戸や用水路を掘り多くの命を救いながら亡くなった 中村哲先生から、改めて頂いた言葉です。 しかし、自分の話しには大した価値などない。 若手の皆さんへだからこそ、より確かなメッセージを伝えたい。 そう想い、つい先日、別の場で伺った 司馬遼太郎先生の「21世紀のきみたちへ」からの一部引用を最後に朗読させて頂きました。 ---------------------------------------------- 私がもっていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。 未来というものである。 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。 君たちは、ちがう。  そのかがやかしいにない手でもある。 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。 ななめの画が たがいに支え合って、構成されているのである。 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。 社会とは、支え合う仕組みということである。 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。 このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。 助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。 「やさしさ」「おもいやり」「いたわり」「他人の痛みを感じること」 これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。 根といっても、本能ではない。 だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならない。 もういちど繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。 自分には厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。 それらを訓練せよ、とも言った。 それらを訓練することで、自己が確立されていく。 そして、”たのもしい君たち”にな

「死に至る病」 - 「超解釈 キルケゴールの教え」を読んで

イメージ
高校生の自分が その強烈なタイトルに惹かれて手に取ったのが キルケゴールの「死に至る病」というタイトルの本でした。 当時の自分は、 ただ難しそうな本を読んでいる自分に浸りたかっただけなのかもしれません。 まったく内容は覚えてないですし、 おそらく当時も内容を理解できてなかったと思うのですが ただ、彼の"強烈"とも言える噴き出す感情が自分に襲いかかって来た感覚だけが 今もなんとなく覚えております。 それ以来、彼の著書には触れたことがありませんでした。 あれから40年以上。 不思議なご縁で、再び彼(キルケゴール)に出会うことができました。 「超解釈 キルケゴールの教え」(堤久美子さん著) なんと、キルケゴールって、 こんなにも実践的で面白かったのか、と。 著者の堤久美子さんとは、 ひょんなご縁でお話しをさせて頂く機会があり 「哲学を楽しもう!」と 難解で時に冷徹に感じる哲学を、 わかりやすく、あたたかさを持って伝えてくださる方と感じております。 そんな方ならではの、日常に即した、実践的な視点で 「絶望 ( = 死に至る病) 」との向き合い方と、 『「詰んだ」人生から抜け出す方法』を あたたかみある内容で語ってくれております。 絶望とか苦しみとか、誰だってイヤだと思います。 けれど、その悩みにとことん悩んだからこそ、 自分と向き合ったからこそ、 自分の胸の奥のホンネに気付くことができる。 本当に自分が生きたいと思っている生き方や、 大切と思っていることにきがつける。 だからこそ、そこから抜け出せる方法のヒントが見つかる。 「自分が本来あるべき在り方」の輪郭をつかめる。 そう信じて、苦しいけれど、自分を信じてに自分に向き合えば 自分の中から、苦しみから抜け出す答えは見つかるんだ。 気がついてみると、自分がインドで得度をしたのも、 ある種の絶望を味わったからだったのだなぁ、と気が付かせて頂きました。 だからこそ、自分が本来あるべき在り方、 を自分なりに気がつく機会が生まれたのかもしれません。 この本や、その著者の久美子さんと出会うご縁の生まれ方も ホントに不思議でおもしろきモノだなぁと感じるのですが、 それを書き出すと、またどこぞの「旅するピアニスト」さんより 「長いよw」と苦笑いをされてしまいますので、今日はこの辺で(笑。 お付き合い頂き、有難うございま

希望の灯り ~ Smile (スマイル)

イメージ
「自分の前世(得度前)について語るのは問われた時だけ。 自らは、一度死んだ人間(前世の自分)の話をするものではない」 とはしていましたが、今日は、少しだけ、前世のお話し。 研究者を目指していながら、ひょんなことからインターネットに目覚めて、 なんとなく「勉強できそう」と選んだ新卒入社の大手IT企業。 その500名ほどの新卒の仲間の一人として出会ったのが、 すでに23年の長きにわたり親友の 永田ジョージでした。 彼のブログ より 彼の家に呼んでもらい、遊びに行くと、彼が突然ピアノを弾き始める。 なんだ、こいつ、ピアノうまいじゃないか。 しかも、どんなリクエストにも、即興で心地よいアレンジで音楽を奏でる。 なんなんだこいつは。ルックスもいいし、笑顔も素敵だし、なんだかスゴいじゃないか。 多分、当時「プロになれるんじゃ?」と浅はかな発言を 彼に投げかけた自分がいたのであろう事を思うと、 そいつをトイレに自分の💩とともに、10回ほど流しさってやりたい😂。 おおよそ大手企業の新卒サラリーマンとして、似つかわしくない人物だなぁ。 彼のことをそう思って眺めていたら、 気づけば自分が、その会社を5ヶ月で去ることに。 その後、彼はサラリーマンをしながらもピアノ演奏の活動を続けてましたが、 12年後の2012年に、突如サラリーマンを辞めて 「旅するピアニスト」として生きていくことに決めました。 そのいきさつは、 彼のブログ「 とある理由でピアニストになって7年半 」のブログでご覧いただけます。

嬉しい知らせ

イメージ
年始早々に、初めてミャンマーに参らせて頂いたのち、  日本に参り、お呼び頂くまま各地に参り、 ミャンマーでの体験をお話しをさせて頂いております。 そんな中、大変嬉しいお知らせがミャンマーから飛び込んできました。 先日「 川のむこうへ 」で書かせて頂いた、ミャンマーで苦しむ方々の元に 勝手ながらお米を運ばせて頂いた、その後の出来事についてのお話しです。 川の向こうへ渡るキッカケを作ってくれて、大いにサポートしてくれたAさんが、 再び、川の向こうへわたり、 先日一緒に運ばさせて頂いたお米で、 集落のみなさんでカレーを作り炊き出しを手伝ってくださり、 その様子の写真が沢山届きました。 日本より、その写真の様子を見ながら、ただ涙を流しながら、眺めておりました。 必死に皿に顔を近づけてカレーを頬張り、一人で4杯もおかわりをする子供。 お母さんに、カレーを食べさせようとする子供。 嬉しそうに、みんなでカレーを楽しむ子供たち、大人たち、おばあさん、おじいさん。 中には、このカレーまで、2日間ゴハンを食べられてなかった子供もいたそうです。 とても、お腹をすかして、頑張っていたのでしょう。 自分が行った行動は、色々な物議も呼ぶものだとの理解はありました。 ただの偽善や自己満足、と言われてしまっても、否定はできません。 そして、他にも世界には困っている方々は沢山いらっしゃるのだと思います。 でも、たまたま、その場で困っている方々とのご縁が生まれた。 そして、自分が小さきながら、ささやかながら出来ることがあった。 その直前に、中村哲先生の「一隅を照らす」という言葉に打たれ、 「ちいさくささやかでも、困った人にできる事をしていく」 「平和は、戦争の無い状態ではなく、もっと積極的に作っていくもの」 という事を改めて学ばせて頂いた。 まずは、出来ることを行っていくだけでも、よいのではないか。 そう、迷いながらも行った、小さき小さき一歩でした。 今回のカレーの炊き出しには、Aさんはじめ、現地で様々な方々のお力添えがあって実現したもので、 自分はただその小さなキッカケのひとつにすぎません。 また、今回の行動を一度すれば何かが解決するようなものではありません。 ただ、沢山の幸せそうな顔に出会えて、「有難うございます」という気持ちで一杯です。 また、訪れて、皆さんから、さらに深く学びを得て来たいと考え

「大丈夫です」

イメージ
たまたまインド旅行でハゲアタマになり黄色い衣を頂いてから 「人様のお役にたつ生き方を」へに変えようと決意をし1年3ヶ月ほど。 小さきながらも出来ることを、 と「龍光ポスト」にご相談を頂ければお答えさせて頂き、 お話しの機会を打診頂ければ、 オンラインや現地に伺わせてお話しさせて頂く生活を続けております。 何の体系的な知識も修行経験もなく、 ただハゲアタマで黄色い布を被っているだけの自分ではありますが、 自分にご相談を頂いた方には、できるだけ心の支えになりたいとの思いから、 お返事には、よく「大変無責任な勝手な言葉に聞こえてしまったら申し訳在りませんが…」という前置きと共に 「大丈夫ですよ」 とお声がけさせて頂いております。 これは、自分の父親がよく言っていた 「大丈夫だ。生きてる証拠だ」 からの言葉です。 自分は、その言葉で過去たいへん救われました。 そして、自分なりの解釈ではありますが、 ブッダの説いた 「あるがままにうけとめる」 という教えの趣旨もこめたツモリの言葉です。 苦しい時に、難しいコトバや、 理屈を聞いたところで、アタマでは分かっているけど、 いま、苦しい。ツラい。なんとかしたい。 そんな時に「大丈夫」と言ってくれる人がいるのは、とても心強い。 そんな、自分でのちいさき経験より、かけさせて頂いているコトバです。 とはいえ、そんなコトバを伝えるだけで何ら具体的な行動をできていな自分は、 「果たして、これだけで、何のお役にたてているのであろう」 と不安がよぎることもあります。 特に、2023年末の1ヶ月半は、 ほぼ人にも合わずでしたので、 時に「龍光ポスト」でのご相談も無い日などは 「今日一日、文字を眺めて過ごしただけで、何の役にも立たずにおわった一日」 「他にできることは無いのだろうか」と思うこともありました。 そして、2024年1月、有り難くも、 様々な地でお話しさせて頂く機会を頂戴できております。 昨日は、富山県高岡市にて講演の機会を頂きました。 元日の能登半島の震災で、 関係者の方々のご無事をお祈りしておりましたが、 お陰様で無事開催ができ、 遠くは千葉よりお越しいただいたり、 たくさんの方からのご挨拶を頂戴頂けました。 自分ごときの過去の発言に「救われました」と仰っていただき こんなステキな書をお持ち頂いた方もいらっしゃいました。 お越し頂き、お

(補足)仏教って、ややこしいモノなのじゃないの? - 日常で役立つ、やさしいブッダの教え11

このパートは、直接的な「ブッダの教え」についてではなく、その教えがどのように現代につたわってきたかを解説する補足の内容です。 知識メインで実践的な内容ではありませんので、メンドクサイと思ったらスキップしてくださって問題ありません。 が、 「仏教って、シンプルなの? なんやらもっと複雑な意味深い教えなのでは?」 と疑問を持つ方には、その補足としてご覧頂ければと思います。 そもそも、現代で我々が触れている「仏教」は、様々な「仏教経典(お経)」が元になっています。 ブッダが実際に教えを説いたのは約2500年も前ですので、当然ながら現代人は誰も本人の口からは直接教えを聞いていません。 かつて、ブッダから直接教えを聞いた弟子たちが「ブッダがこう語るのを聞いた」内容を、ブッダの死後も口伝で伝え続け、彼の死後数百年たってからようやく、文章としてまとめられた内容を元に書かれたのが「仏教経典(お経)」です。 初期に生まれた「経典(お経)」は、「ブッダが語った言葉」が、短い句からなるシンプルなものです。 その後、時代が流れるとともに初期に生まれた「経典(お経)」に対する考察も深まり、それぞれの時代の思想や文化の影響も吸収しながら、より学問として体系化された「ブッダの教え」や、新たな解釈を元にした「ブッダの教え」が生まれ、それらが、新たな「仏教経典(お経)」が書かれていきました。 中にはブッダの死後500年以上たってから生まれたであろう「経典(お経)」もあります。 それらは、初期の「経典(お経)」と同様に「ブッダがこう語るのを聞いた」という文章で書かれてはいるものの、初期のお経に比べて専門的な用語も増えていき、ブッダへの崇拝が深まるなかで、神格化されたブッダが登場する壮大な神話的な物語調の「経典(お経)」も増えていきました。 「それって、ブッダが言ったことじゃなくって、後世の人が考えた事が「仏教経典」になっているんじゃないの?ブッダの教えじゃないのでは?」 僕も仏教を学び始めて感じた最初の疑問が、コレでした。 そのうえでたどり着いた、僕なりの理解はこうです。 そもそも初期にまとめられた「経典」ですら、ブッダの時代から100年以上、口伝で伝えられてきている以上、「どれが本当にブッダが言った事か」は、誰にも突き止めようがありません。 でも、ブッダの教えの特徴は、一つの視点にとらわれない考え方

(補足) 苦しみから離れるために、誰でもできる日々のオススメ by 龍光 - 日常で役立つやさしいブッダの教え10

ブッダの説く 「苦しみから離れるために、日々できること」についてはお話しさせて頂きましたが、多岐に渡る内容で、一体どれから何をしたらよいのやら…。 そういった方に、ブッダの教えをベースにした、現代の仏教でも一部善しとされており、僕なりの体験でも効果的と感じた、「誰でもできる日々のオススメ」をご紹介させてください。 その内容は、まず 早起き、散歩、挨拶、掃除 です。 ※「散歩」以外の3つは、現代の日本の仏教でも宗派により重視されていると理解しております。 まず、「早起き」 「早起きは三文の徳」ということわざもありますが、とても効果的と実感しています。 「当たり前」との偏見を捨てて、少し、お付き合いくださると嬉しいです。 オススメは「日の出少し前に起きる」事です。 季節により、朝4時台になるので、ハードルが高すぎる場合は、 普段起きる時間よりも少しずつ早起きしていくのでも構いません。 日の出前30分頃からの空は本当に美しいです。 そして、常に刻一刻と「変化し過ぎ去る」姿を実感できます。 早起きできたことが、自分を褒めたくなり、 小さな自信になり、他の物事にも前向きな気持ちが生まれます。 シアワセを感じていくのには、何よりまず、 自分を「やったじゃん。早起きできたじゃん!」と褒められる 小さな一歩を重ねていくことから始められるのが、何よりよいのではと思っております。 そして、早起きすると、「忙しい」と感じがちな現代人においても、 自由な時間が生まれます。 時間があると、心に余裕ができて、心がおだやかになります。 ぜひ、チャレンジしてみてくださいませ。 そして、次は「散歩」 天気次第ですが、朝がオススメです。 日の出の前後は、本当に美しいです。 そして、歩くのはできれば30分ほどは歩きたいですね。 そして、自然が感じられる場所がより良いです。 都会にお住まいの方なら、公園に足を運ぶなど。 太陽や雲の様子、鳥や虫の鳴き声、草木や虫の様子。 普段もしかしたらほとんど意識できてないかもしれない方こそ、 そういったものに目を向けながら、歩いてみてくださいませ。 いろんな生き物が、一生懸命生きている姿が実感できるかもしれません。 自分も頑張って生きているツモリですが、彼ら彼女らも必死に頑張っている。 そして、そんな自然や他の生き物がつながって、 自分という生命も食物連鎖でつながってい