「甘えたいのに、遠ざけてしまう」- とある女性からの学び


"近しい男性ほど、甘えたい気持ちがあるのに、遠ざけようとしてしまう"

そんな自分を改善するには…。


とある女性(Sさんとさせて頂きます)より

龍光ポストに

「知り合いから龍光さんのことをお伺いしました。ぜひ一度、お話させて頂きたいです」

とご連絡を頂き、先日都内でお会いさせて頂きました。


その結果、僕自身、とても学びのあるやり取りが生まれ、

御本人の快諾もあり、みなさまにもシェアさせてくださいませ。


Sさんは、都内のカフェで待ち合わせをして、お会いした時から

まっすぐに相手の目をみて、気持ちのよい挨拶をされ

丁寧なコミュニケーションを意識されていらっしゃる方だなぁ

という印象を受けておりました。


Sさんはユニークなキャリアを持ち、

かつて警察官をされており、今は御自身でビジネスを始め

コーチングを通して様々な方の力を引き出し自立をお手伝いする

キャリアウーマンです。


そんなSさんの課題感は、男性と近しい関係になるほど、

会う約束に仕事の予定をかぶせてキャンセルしたり

あえて相手を遠ざけてしまう自分が生まれてしまう。

そんな自分を改善したい、というものでした。


そして、振り返ると、御自身のお父様に対しても

幼少期の記憶で

「意図を汲み取ってくれない」「期待に応えてくれない」

父親の姿が残っており、

小さい頃より、どこかお父様に心開けないSさんがいたそうです。


Sさんは、御自身も様々なコーチングを受けたり勉強をしたり、

また自分を見つめ直し、自分の考えをまとめるノートを数冊持っており

とても向上心にあふれ、

客観的に自己分析をすることができる素晴らしい方です。


Sさん御自身でも、

幼少期の頃、お父様に感じた「思うとおりでない」体験が

その後、近しくなる他の男性に対しても

あえて遠ざけるようになった要因になっているのでは、

と分析している。

「他人は他人で、自分とは違うのだから」

時に、自分の期待に応えてくれない相手が現れるものである、

と、お父様への理解を示しつつも、

でも、何かひっかかる所があり、心を開ききれない。

お母さまに対しては、心を開いて繋がれているのに。

そして、それは今のパートナーの男性だけではなく

過去のパートナーだった男性に対しても

同じように、心を開ききれず、

あえて遠ざけようとする傾向があった。

自身でコーチングを受けていくなかで

徐々に緩和されてきているけれど、

今のパートナーに対しても、

遠ざけようとする自分がいる。

それを改善したい。



そんなSさんといろいろとお話をし、あくまで、ひとつの可能性として

Sさんにこういったお話をさせて頂きました。

人は誰だって、自分が大切なもの。

もしかしたらSさんは、

自分にとって大切な人(お父様やパートナーの男性)だからこそ

「私を大切にしてくれている」という実感を確かめたいのかもしれない。

だから、あえて遠ざけたりすることで、

相手の自分に対する「大切にしてくれている」実感を得たいのかもしれない。


幼少期に、お父様に対し「期待に応えてくれない」と感じた体験が、

近しい男性に対して「期待に応えてくれない人かもしれない」恐怖心を起こさせ

近くにいたいのに、遠ざけようとして、相手からの

「私の期待に応えて、私を大切にしてくれようとしている」気持ちを感じたかったのかもしれない。



でも、もしかしたら、それ以上に大切なことは、

Sさんは、自分自身を、自分で大切だと認めてあげられていないのかもしれない。

自分に対し「期待に応えきれてない自分」を感じてしまっているのかもしれない。

ということ。


向上心がある方ほど

「自分はまだまだ足りてない。改善が必要」と自分に言い聞かせ

自分を認めたがらない傾向が生まれるのだけれど、

Sさんは、もっと自分を褒めて、自分を認めてあげてもいいのかもしれない。

「S、あんた、結構がんばってやっているじゃん。

前警察官だったのに、今は勉強してコーチングで独立できるまでになっているんだし。

よくやってるじゃん」

そうやって、自分をハグするように、自分を認めてあげてもいいのでは。

自分に一番近いのは、ご両親や、パートーナー以上に、

誰より自分自身。

お父様やパートナーが「私を認めて、私の期待に応えてくれそうか」を確かめる前に

まずは自分で「自分を認めて、期待通りに(そこそこ)頑張れている」と信じてあげてみては。


「自分を自分で認めたくない。自分は期待に応えられてない」

そんな自身を頼れない自分が心にいたままだと、

自分以上に不確かな誰かに頼って期待するのは

「期待に応えてくれないかも。裏切られるかも。」と、もっと怖いもの。



まずは、自分を「ようやってる!」と認めて褒めて、信じてあげる。

もっと、自分自身を認めて、ハグしてあげる。


そのうえで、お父さんや、パートナーの男性に対して

思いっきり「有難う」と感じられる機会をつくってみてはどうだろうか。


幼少期に「期待に応えてくれない」と感じたお父様は、

Sさんを裏切ろうとしてたわけではなく、

口下手だったり、思っていることを表にださないタイプだから

Sさんには「期待に応えてくれない」と感じただけかもしれない。

お父様を赦して、心より「有難う」と言ってあげることで、

お父様へのわだかまりも流れていくのでは。

それは、パートナーの男性に対する距離感の改善にも繋がるのでは。


パートナーの男性にも、これまでも「有難う」は言えているとのことだけれど、

「この人は自分の期待に応えてくれるのだろうか」と信じきれない相手には、

なかなか心から「有難う」と言いにくいものなのでは。

他人は他人で、時に期待どおりにならないことはあるものだけど、

まずは自分で自分を信じて、そして相手も信じてあげて

「有難う」と心から言ってみる。

たとえば、まずは恐れずに、思い切って甘えてみてはどうだろうか。

そして応えてくれたら、心から「有難う!」と念じて言ってあげてみてはどうか。



そのような内容のお話を、都内のカフェでコーヒーを頂戴しながらさせて頂きました。


Sさんは、後半はお会いした時以上に、明るい笑顔になられ

ハゲアタマなりに少しはお役にたてたかなと、嬉しい気持ちとともに

お互いそのカフェを後にしました。


…そして、数日がたち、Sさんから改めて長いお礼のメールを頂きました。

下記は、その一部の抜粋です(御本人より快諾頂きシェアとなります)


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龍光さん

先日は、お忙しいところ
本当にありがとうございました!!!!

お時間作って、私の話を聞いていただきありがとうございました。
心より感謝申し上げます。

龍光さんとお話しをさせていただき、
いろいろと気づかされ、
数日たって少し思考が整理されてきました。


一番の気づきは、

「お父さんと話しても、お父さんは意図を汲み取って返事をしてくれない」
「期待に沿う回答が得られない」

という気持ちが幼少よりあったために、

確かに私は、お父さんに「こうしたい」「これがほしい」「これが食べたい」など、
ねだったり、お願いなどを、積極的にすることなく育ったな、と気づきました。

思い起こせば、アイス買ってあげる、という少額なことでも、
「いらない」と断ったりしてた気がするなぁ、、と。

龍光さんが仰っていたように、お父さんの発言はいつも、
一切悪気がないことは
子どものころからわかっていました。

だからこそ、他人は他人、と、割り切りはある程度していたのですが、
私はなるべく自分の意思を表現することを控え、要望をすることのないようにしていたなと。


むしろ要望をすると、借りを作ってしまうような気持ちすら起こっていたため、
「お父さんにお願いはしたくない」と考えていたことに、
改めてその原因が明らかになったと気づきました。


雨の日に、駅までの送り迎えなどですら、
自分が遠回りで大変になるほうを選択してでも
「要望をしない」ようにしてきました。

迎えに来てもらうのも、なにをしてもらうにも、
借りを作っているように感じていました。
(お母さんにはお願いをしていたし、ありがとうも、
お父さんに対してよりは圧倒的にできてたと思います。)


もちろん何かを買ってもらったり、
良くしてもらったこともあったのですが、
(覚えてないだけでおそらくたくさんあるはずなのは言わずもがなで、、)


当時は、間違いなく、感謝より、
「借りを作ってしまって、なんだか腹立たしい。そんな自分が気に入らない。」
という気持ちが強かったと、とてもよく覚えています。


ありがとうと、口では言ってはいたものの、
本当にそれに焦点を当て、
きちんと感謝ができていなかったし、
するつもりも、なかったと、
当時のことを思い起こすと、間違いなくそう思います。


人間というか、動物はすべて、
親には甘えたく、
愛情を受けたいという本能的な欲求があるのに、
その欲求に幼いときから蓋をしてきて、
それが長年で強固に閉まり続けてきたのだと気づきました。


私の自立心の強さは、ここから来ているのかもしれません。

「誰にも甘えずに、自分でなんとかしたい。
だって要望しても、期待に沿う回答は得られないから。」


というのが潜在意識の中に、観念となり、根付いたのだと思いました。


それを抑えれない、つまり、頼ったり、お願いをする状況になると
本来の欲求とそれを抑えたい自立心、
自立が阻まれたような屈辱が相まって、
腹立たしくなって、そんな自分を許せず、認められず、
だからありがとうも言えなかったな、と。

(屈辱が一番意識レベルが低いとホーキンズ博士の意識レベル表にありました笑)


だからこそ、近しい男性になるほど、
あえて遠ざけるなどの行動(先約にかぶせてキャンセルをする)をし、
あなたがいなくても、
あなたの助けを借りなくても私は大丈夫、
だってあなたに頼っても、私が望むようには応えてくれないんでしょ。

仮に望むように応えてくれるとしても、結構です。
だって望むように応えてもらったら、私の自立が阻まれる。
私の自立を阻む私を、私は許さない。

と。

ちょっと支離滅裂な感じもありますが、
非常に納得いく文章になりました。笑

これだなーとPCを打ってて思いました。


今度、実家に帰る際、
お父さんに、
「居酒屋に連れてってごちそうして」と、お願いしてみようと思いました。
(実家の近くに、すごくおいしいお寿司の居酒屋があり、
お父さんもとても好きなお店です。)

そこで、お父さんに心から感謝の気持ちをきちんと伝えたいと思いました。

私は甘えたくても甘えられなかった自分を認めて、赦したいと思います。


そして、自立することと、甘えることは対義語ではないので、
その意味をよく理解し、本当の自立をしていけるように努力していきたいと思います。


インドで龍光さんにまた会いたいです。


そして、私は、近い将来、
あなたの話を聞きたい、という人が自然と集まってくれるような
キャリアウーマン系現代版ブッダ
(良いネーミングもしくはキャッチコピー募集中です)
を目指したいと思います。

龍光さんとお話しできて本当に良かったです。

よかったら、またzoomなどしていただけますでしょうか。

よろしくお願いいたします。

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以上がSさんからのメッセージでした。

お父様が大好きな居酒屋に、Sさんが「連れて行って!」って言われたら

お父様はどれだけ喜ぶだろうか、と想像し、思わず涙を流しながら読んでおりました。

そして、Sさんの

「自立することと、甘えることは対義語ではない」

「本当の自立をしていけるように努力」

素晴らしい考え方で、自分も努力せねば、と大いに感じ入る内容でした。


有り難くも、この内容をシェアさせて頂くのもSさんより快諾を頂き

何か皆様にも感じ入るものになるかも、と思い、長々とご紹介させて頂きました。


それでは、みなさまの今日も、おだやかでおもしろき時間に溢れますよう。




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