「瞑想の学ぶのに最適な方法や場所は」- ご質問とお戻し

         ※このご質問とお戻しの内容は、4月27日に開催させて頂いた

ピアニスト・永田ジョージ、作家・大木亜希子、無職ハゲ小野龍光による
「ご質問コーナー」に頂いたご相談へのお戻しです。

イベント中でお戻しができなかったものに「よろしければブログ上にてお戻しします」とお約束したものとなります。


ご質問----

お名前:じんさん

タイトル:「瞑想を学び方のオススメを教えてもらえますか?」

本文:
こんにちは 今日のイベント 楽しみにしていました !瞑想の学ぶのに最適な方法や場所があれば教えていただけませんでしょうか?

僕は仕事でタイに 月1回行くようになり タイの文化にすごく興味を持ってるうちに タイ仏教式(上座部仏教式=ヴィパッサナー瞑想)の瞑想を本やYouTubeで見ながら
やり始めました。色々悩みが多かった人生ですが 瞑想し始めて少し楽になってきたような気がしてます。
仏教や 瞑想について お詳しい皆さんにご質問でした。

お返事---

じんさん

こんにちは、龍光です。

イベント楽しみにして頂き、有難うございます。
また、お返事お待たせいたしました。

さて、自分は、仏教や瞑想がどういったものなのか、

分かっているような格好をしているだけで、実はよく分かってないハゲアタマにすぎません。

すでにタイに行かれて瞑想もされ、悩みが少なくなってきたとの実感をお持ちのじんさんへ

自分ごときがお答えする内容は、なーんにも価値などないかもしれませんが…。

とはいえ、せっかく頂いたご質問ですので、

あくまで自分なりの浅はかなものですが、下記…。

以前、「瞑想について」というブログを書かせて頂いたので

ご興味あれば、そちらもご覧頂ければと思いますが、

そこには書いてない、瞑想についての自分なりの気付きを少しばかり。


約1年半ほど前に今の生活を始めてから、日常で瞑想なるものを始めてみたのですが、

最初はなかなかうまくいかず、感覚がよくつかめず、

ずいぶん瞑想したかなと思っても2-3分しかたっておらず、

ただ、座ってみただけ?みたいな状況でした。


これが、一気に変わったのが、

たまたまビーチに座って日の出のタイミングで瞑想を試してみた時です。

気がついたら、1時間くらいあっという間に瞑想していた自分がいました。

「あれ?居眠りしてた?」と思いましたが、その瞑想が終わった後、

その時に頂いていた重たい悩みのご相談へ「どうお返事するのがよいのか」という

課題に、自分なりに「これがいいのでは」という善き答えを掴んでいる自分を感じたり、

他にも言葉にできない、なにか感覚を掴んだような自分がおりました。


始めて補助輪なしで自転車に乗れた時や、

初めて「自我」や「恋」というものを意識した時や、

人には、言語化が難しい「なにか新たな感覚」を掴む瞬間を体験してきているものと思います。

勘違いかもしれませんが、その時の自分も、瞑想という体験で何か新たな"感覚"を体験したタイミングだったのかもしれません。


長い時間瞑想できることが善い瞑想、という訳ではないと思いますが

自分にとって「質のよい瞑想」は、

意識の分散と集中が、波のように行ったり来たりする状態の瞑想、

と感じてます。

脳内や身体が、流れる川の水の一部になって、様々な思念や感情や感覚が、何にも囚われることなく、ただただ流れに身を任せているかのような、"フロー"の感覚である、意識の分散の状態と

そこから急になにかの思念が色濃く浮かび上がり、

潜在的に考えたいと思っていた課題や、疑問に意識がぐわっと集まり、

深い集中が生まれる、意識の集中の状態。

そして気づくと、またフロー(意識の分散)の状態に戻っている。

そんな感覚を得られている瞑想の時は、結果として時間が早く過ぎる。

あれ、もう1時間以上座っていたのか、というような。
(これが、ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想のつながりなのかも、という知識は後から得たのですが)


すみません。求められてもいない、自分なりの瞑想の"感覚"について書き連ねてしまったのですが、

ここに「瞑想を学ぶ、場所や方法のヒント」があるのではと感じたのです。


結論からいうと、

自然に近い状態で瞑想するのが、(自分として)質のよいと感じる瞑想を作りやすい、

ということです。

じんさんにとっては、なんだそんなことか、という内容かもしれません。


それまで、瞑想がうまくできてない自分は、部屋の中で瞑想をしていました。

ですが、たまたまビーチでの瞑想、かつ朝日のタイミングは、生理的によき瞑想になりやすい環境だったのでは、と。

波打ち際では、つねに波の音がいったりきたりしています。

風も強まったり、弱まったり、鳥の音も徐々に大きくなったり、収まったり。

そして、明るさも、日の出前の暗いところから、徐々に明るく、

寒い状態から、温かな状態へ。

このような"自然"の変化、徐々に生まれては消えてゆく変化というのが、

あらゆる物事はただ流れ行くものだ、という感覚を実感するには、とてもよい環境だったのでは、と。


スマホ脳、というベストセラー本にもありますが、

人はスマホが近くにあるだけで、「メッセージが来てないか」「なにかニュースがないか」「面白い動画の投稿がないか」など、思念が引っ張られて、自分の中に意識を向けられなくなる。

それは時に子供のテストの成績に影響するほど「意識を削ぐ」力を持つ。

そんな内容がありますが、まさに、同じような事が、部屋の中での瞑想をする自分に起きていたのでは、と。

家の中では、スマホ以外も、自分の意識を削ぐ様々な「日常生活のもの」に溢れている。

テレビや、パソコンや、美味しいコーヒーを楽しませてくれるコーヒーメーカーや…。

それらに囲まれている環境では、潜在的に意識がそこへ引っ張られている。

それは、何かに意識を少なからず囚われている状態でもある。

そして、街中だと、車の音や、自転車の音、さまざまな人工的な機械音。

これらの音は、自然界の音とちがって、人の思考に様々な「思念」をもたらす。

たとえば、車の音がすれば、脳内に今日の移動の予定を想起させたり、

冷蔵庫のジーという音は、何か腹を満たしたい欲を起こしたり。

そのたびに、意識は何かの機械音や生活臭に反応して

無意識のうちに、意識をもっていかれる。

それは、意識を分散もできておらず、集中も作りにくい。


だからこそ、なるべく離れた、自然にあふれた環境は

質のよい瞑想を作りやすいのでは、と。


ブッダが悟りを開いたのは、菩提樹の下で瞑想をしていた時というお話がありますが、

自然の中で、質のよい瞑想をしていたからこそ、

「なぜ人は苦しむのか」といった疑問に対する善き答えへの気付きがうまれやすかったのでは。

それだけ、集中を作りやすい環境だったのでは、なんて考えております。


それ以来、様々なご相談で、お答えするのが難しい内容を考えたい時や

自分なりに仏教や哲学の事を学ぶなかで、これはどう解釈したらよいのかといった事を考えたい時は、

できるだけ自然を感じられる環境で瞑想をするようにしています。

雨で部屋からでられない時は、窓を開けて雨の音を感じながら瞑想するだけで

自分なりの効果が得られると感じています。


仏教のことはよくワカラナイながらも、

仏教は知識ではなく「気づき」や"新たな感覚"を伝える教えではないかと感じています。

頭で「慈悲が大切」「人に善きことをすれば自分に善きことが返ってくる」と学ぶのと

「人に善きことをすることで得られる満たされ感を実感する」ことは違うもの。

頭だけではなく、体験を通して、身体で学ぶ、腹落ちする、腹に刻む、

そんな感覚や気付きがあってこそ、学びが深まるものなのではと感じております。

だからこそ、経典という頭での学びだけではなく、

瞑想、や滝行もそうですが、身体や五感を使った「行(ぎょう)」が伝わっている。

そんな風に感じております。


すでに体験も学びもされていらっしゃるであろう、じんさんに、

くだらぬ浅はかな考えを羅列してしまいましたが、

ただただ少しでもお役にたてるものがあればと書き連ねてしまいました。

さらに自分も学び、体験し、ささやかながら自己を磨いて過ごしていきたいと思います。

貴重なご質問を頂き、有難うございました。

龍光

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