「執着の手放し方について」- ご質問へのお戻し

        ※このご質問とお戻しの内容は、4月27日に開催させて頂いた

ピアニスト・永田ジョージ、作家・大木亜希子、無職ハゲ小野龍光による
「ご質問コーナー」に頂いたご相談へのお戻しです。

イベント中でお戻しができなかったものに「よろしければブログ上にてお戻しします」とお約束したものとなります。


ご質問----

お名前:うっしーさん

タイトル:「執着の手放し方」

本文:
日々引きこもごも、囚われることが多く悩ましい事があります。

お返事----

うっしーさん

こんにちは、龍光です。
イベントから日がたち、お返事お待たせいたしましたが、お元気にお過ごしでしょうか。

悩ましいことが多い中、イベントに脚を運んでくださり、改めて有難うございました。

囚われ、うっしーさんの胸中を理解することなどできはしませんが、

囚われの苦しみ、というのは、自分なりの体験を思い出すと胸が重くなります。

あらゆる苦しみは、囚われがもたらす。

囚われは「こうあってほしい」という欲から生まれる。

「欲」というと、なんだか悪いことのように聞こえるかもしれませんが、

それは、ささやかな願いや希望とも言える。

生きるうえで大切なものだと思っています。

なのですが、人は生きている間「思うとおりでない」ことに向き合うもの。

自分の身体も思う通りにいかず、時に病になったり、老いてゆくもの。

気に食わない人と向き合わなければ行けない時もあれば、

大切な人との別れも起こるもの。

そして、何かを求めたいけれど手に入らない苦しみや、

なんだか満たされないそこはかとない苦しみに苛まれることもあるもの。


こう言うと切ないのですが、人生は「思うとおりでない」ことの連続でもある。

ですが、それを、うまく流すこともできる。

うまく流せない時、「思うとおりでない」気持ちが心に滞留してしまう時が

まさに「囚われ」が生じている時でもあります。


でも、勝手ながら、うっしーさんは、大変ラッキーなのでは、と思うのです。

(こう申し上げて失礼に聞こえたら申し訳ありません)

なぜなら、「囚われ」ている御自身を意識できていらっしゃるからです。

実は、一番苦しいのは、自分が何かに「囚われている」ことに気がつけていない時が一番苦しいのです。

「自分には囚われていることなどない!」という考えこそが、実は「先入観による囚われ」なのですが、その時はとてもつらいものです。

怒っている人が「怒ってない!」とイライラしていたり、

めちゃ酔っ払っている人ほど「自分は酔ってない!」といって飲み続けて二日酔いになるようなものでしょうか。


くだらない例えを持ち出してしまい失礼しました。

さて、「囚われているかも」という、自分への客観視がある、ということが実は大切なことではと思っています。

何かの「囚われ」を流すのに、重要なのは、自分を「客観視」することだと思っています。

「こうあってほしい」と望み、期待するけど、それが「思うとおりでない」と感じるから

「なぜそうならないのだ」「こうあるべきなのに」「こうあってしかるべきだろう」

と強く念じるほど、それが「囚われ」となります。執着ともいえます。

そんな自分を、客観視して

「あいつ、あんなに、あれにこだわっているけど、本当に必要かそれ?」

「生きてくのに、それ、なくちゃならない?」

「だいじょーぶ、時間がたてば忘れるし、みんなそのうち死ぬんだから。それまでのちょっとの辛抱よ」

「オマエの立場からみたら、そう思っても、人それぞれ違う考えだってあるもんじゃね?」

だとか、自分に自分でツッコミをいれていく感じでしょうか。

一つの観念(見立て、解釈)に「囚われ」るから、苦しむ。

違う観念(見立て、解釈)があるかもね、と感じられると、「囚われ」がほどけていきやすい。

そんな感じです。

でも、なかなか「囚われ」に意識が向いているときは、

「なぜ思うとおりでないのだ」「こうあってほしい/あるべきなのに」という事柄に

意識が凝り固まって、ほどけにくいもの。

そういうときこそ、外のお散歩です。

ジョギングや水泳、サイクリング、ハイキングでもいいですし、

家や庭掃除でもよいです。

なにか、自分の心が向かう、身体を動かす活動をしていく。

言ってしまえば「気をそらす」ということでもあるのですが、

意識の糸が一つの事柄に凝り固まっているのを、ほぐしてあげる行為でもあります。

もしくは、今回イベントに来ていただいたように、

何か心の針が向かう事柄に脚を向けてみる。

身体を動かしたり、何か心を満たしそうな事柄に出会ったり、

そこで新たな人や自然に触れ合ったりする中で、

自分のなかに新たな視点がうまれ、それが、いま「囚われ」ている事柄への

視点をときほぐしてくれる。

頭でばかり考えていると、同じことに考えを巡らせてしまい、

意識の糸が凝り固まってしまいがちなので、

五感で、身体で感じる体験を重ねてこそ

新たな事に興味が向かい、意識の糸がばらけて、さまざまな事柄に

意識を広げやすくなるもの。そう考えております。

今回のイベント参加だけでなく、心を動かすことに、身体を動かしていき

うっしーさんの日々に「おもしろき」と感じる事柄が増えていくことで

いまの囚われへの糸がほぐれていくことを心よりお祈り申し上げます。

なにも心が動くものが見つからなかった時は、

朝、早起きしてみて、自然を感じるところで散歩しながら、

道行く人に挨拶して、ゴミ拾いをして歩く。

たったそれだけでも、新たに感じ入るものがあるのではと思います。

うっしーさんの今日に、おだやかでおもしろきと感じる時間が重なっていきますよう。

龍光





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